第33話 惨殺の様を見て
登場人物
―ジョージ・ウェイド・ランキン…息子を失った退役軍人、『ワンダフル・ピープル』紙の記者。
一九七五年、九月:ニューヨーク州、マンハッタン、ハーレム、ニューヨーク市立大学シティ・カレッジ
シティ・カレッジの寮へとジョージは再び戻って来た。犠牲になったシンディ・ナムグンの部屋に用があった。彼女の部屋がまだ片付けられていない事を知った時は本当に安堵する想いであった。
だが、あの覚悟によって構築された封鎖された地に再び踏み込むのかと思うと心が重たくなった。学生達を掻き分けながら、許可証をぶら下げたジョージは歩いて行った。彼女が死んだあの寮が見えて来た。
彼が寮へと入ろうとすると、中からヘンリエッタが出て来た――なんという偶然か。
「また会いましたね」とジョージは軽く挨拶をした。
「ハイ」とヘンリエッタは静かに返した。喪服じみた黒い上着が寒さだけでなく、悲しみすらも覆い隠そうとしているように思われた。
「またあの子に用?」
彼女の言い方は未だにシンディが生きているかのような雰囲気があった。だが現実にはそうではなく、理不尽に悍ましい何かによって殺されたのだ。その悍ましい何かはシンディの事も嘲笑っていたのか? 恐らくそうであろう。
「はい、どうしても確認しておきたい事がありまして」とジョージは真剣な様子で答えた。
「何か重要な事に気付いたのね」と彼女はある種の確信に基づいて質問した。
「ええ」
「じゃあ…真実に辿り着いてね」
ジョージは軽く会釈をして擦れ違い、それから彼女へと振り返った。ヘンリエッタの目はこう言っている気がした――絶対に犯人を探し出して。
ジョージは目的の部屋へと辿り着いた。部屋のドアの前に立ち、彼は色々と考えた。彼女はこの部屋に立てこもって周囲との接触を最終的には断った。その上で最期の日々を迎えた。その時具体的には何が起きたのかとジョージは考えた。
その時彼はあの幻視じみた何かに入っていた。あの廃病院や、あるいは廃小学校でも体験した、起きている時に見る夢のような一瞬の体験。ジョージはその中で吐き気を催すものを見た。
彼はすぐに『これはシンディの最期』だと確信した。心の中で何かが燃え上がるのを感じた。今回はシンディの視点でそれを体験し、今から入ろうとしている部屋の過去の様子が描写されていた。
シンディは実際に魔術的実践を独学で学び、その責任感故にこの部屋へと閉じこもった。誰もいない孤独の空間、処刑を待つ囚人が最期の日々を過ごす房室じみた地。ジョージが見せられているシンディの視線は部屋のあちこちを見ていた。彼女は何度も頭を抱えるようにした。
震えている事はすぐにわかった。彼女は明らかに怯えており、布団を深く被ってもそれは変わらなかった。ここには何も救いが無かった。助けが無かった。彼女は自ら孤立を選んだが、しかし少女が陥る運命としてはあまりに残酷過ぎた。
彼女がばっと布団を跳ね除けて視線を踊らせると、視界の端に何かが見えた気がした。それはすぐ近くにいた。そしてそれは濃密な死を纏っていた。巨大な鎌を持った骸骨じみた死の具現のごとき、それでいて純粋な悪意を湛えた何者か。
人間がそのようなものを目にして、あるいは対峙して、その大抵は平気でいられるはずがなかった。それはあまりにも恐ろしく、本能的な恐怖を煽っていた。嘲笑うかのようにあちこちにいるような、あるいはずっと何かに見られ続けているかのような濃密な違和感があった。
そいつは彼女が弱り切るまで悠長に待つ捕食者であった。禿鷹かハイエナのごとき執拗さによって待ち続け、そして恐らくはそれが望む瞬間を待っているものと思われた。
というのも、昨晩の夢でこれについては確信があった。あの夢の中では最終的に老婆は命乞いをしていた。そうだ、あの人間の尊厳を奪い去り、その上でそれすら嘲笑う。そして満足したところで殺すのだ。
シンディは明らかに疲弊していた。戦いに疲れ果て、もう降参しようとしていた。己で始めた覚悟の上の行動であったが、しかしもう耐えられなかった。どうして普通の大学生の少女が、死そのもののごとき悍ましき何かがいる部屋にずっと閉じこもって正気でいられようか。
否、狂えればそれだけ救いがあったかも知れなかった。しかし彼女は最終的な局面を迎えても発狂を許されなかった。彼女は正気のまま、その恐怖に直面したのだ。
『お願い、もうやめて…』
あの人気者で明るい優等生のシンディが、とジョージは思った。生前の彼女に会った事の無い彼でさえ、今のシンディがどれだけの落差から堕ちたかを悟る事ができた。それはおよそ許される行為ではなかった。奴はかくしてまたも、一人の人間を貶め、そして命乞いをさせた。
それこそが望む瞬間であり、恐らくは今至高の快楽や愉悦に浸っているのかも知れなかった。それは何かしらの理由によって世の中全てを憎む邪霊としてこの世に留まり、条件に合う犠牲者を選び、そして殺すのだ。
シンディの甲高い悲鳴と泣き声が響いた。ここまで悲痛な声を想像していなかったジョージはさすがに驚いた。あの夫妻の自慢の一人娘、その末路がこれか? 人気者で、そして恐らくこの大学のあらゆるマイノリティ層の模範であったかも知れなかった、太陽のようなシンディの末路がこれか?
彼女は自ら覚悟を決めてこの展開を選んだ。だが、その後最終的にはあまりの恐怖故に耐え切れなくなって、全力で命乞いすらして泣き叫んでいる。
なんでもするから許して、どうしてこんな事をするの、お願いだからやめて、もう嫌、来ないで、やめて、やめて、やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて嫌、死にたくない、パパ、ママ、助けて、嫌嫌嫌、死にたくないの、やめて、やめてやめて!
それをなんとか聞き流せるようにジョージは心を整理していた。しかしそれでも、一人の人間がここまで命の最後に残った火を使って、それによる全力の命乞いを見せるとは…。
ジョージはこの悍ましい幻視を打ち消した。真実によって〈否定〉した。もういい。
彼はドアを乱暴に開け、そして入ってすぐに目的の物を発見した。彼女の勉強用の机の上に、筆記用具と一緒にバスのチケットがあった。それは最初に殺された老女が利用したバスと同じ便であった。
バスの番号、区間、何もかも同じであった。そうか、なるほどな。やはりお前はそこにいるのか。
お前の違法な命があとどれぐらい長く続くかを見届けよう。いずれにせよ、お前は魔王に貪り喰われるクズに過ぎない。お前がいる薔薇色の第二の人生から引き摺り下ろす。お前はただの虫けらで、その永遠に続くと思われた充実は突如終わる。
その時が来れば楽しみだ。全力で私に命乞いをするといい。私もお前がしてきたように、お前の事を嘲笑ってやる。
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