第17話 ナムグン夫妻

登場人物

―ジョージ・ウェイド・ランキン…息子を失った退役軍人、『ワンダフル・ピープル』紙の記者。



一九七五年九月:ニューヨーク州、マンハッタン、チェルシー


 種々の悪意を目にしてきた。吐き気を催す邪悪に対して刮目し、それらを挫いてきた。しかし今も悪は増え続けていた。

 己にできる戦い方はそう多くはない。例えば危害を誰かが加えられている現場を見たらそれに介入できる場合もあろう――実際介入した経験もある。報道を通して社会正義を貫ける場合もあろう――実際何度かあった。

 そして、ジョージは何より尋常ならざる魔王〈衆生の測量者〉サーベイヤー・オブ・モータルズと契約を結んでいた。その力、すなわち超自然的な実体・怪異に対する猛毒を用いて邪悪と戦う覚悟は固かった。

 ジョージは今回の犠牲者を一連の怪死事件における最期の死亡記事にしたかった。そして可能であれば、お前の死をもってして終いにしてやる。



一時間後:ニューヨーク州、マンハッタン、イーストサイド


 ジョージは五番目の犠牲者の父親を尋ねてみようと思った。既に粗方、それらの犠牲者遺族は取材を受けているのであろうが、しかし己自身の手で調査すれば見えてくる何かがあるような気がした。

 マスコミ同士の噂で聞いたが、どうやら五番目の犠牲者の父親は軍人であるらしい。

 単純な考えかも知れなかったが、しかし軍人同士の連帯感のようなもので『何か』を引き出せるのではないかと、彼は心の奥底で考えていた。

 それがもしかすれば、心の奥底にしまっておきたい苦しみであったとしても、犠牲者のために何かをする助けにしたかった。そしてもし可能であれば、そうして得た情報を元に邪悪を滅ぼしてやる。

 ジョージはまだ見ぬ邪悪に対して己の敵意及び殺意が届けばいいが、と考えていた。その様子を見てリヴァイアサンの個体はあまりの善性故に噎せ返りつつも、しかし笑っていた。

 ジョージには再び殺す者として振る舞う決意があった。少なくともその破壊性に関して言えば、かつての破壊的征服者達のように振る舞って破壊し尽くしてやるという気概があった。

 己はそれら歴史上の人物のように権力を超常的な力に転化して活用する能力は無いが、しかし別のものを持っていた。猛毒、そして真実。

 それらをもって殺す。そして遺族にせめてもの正義を感じさせたかった。

 何より、『永遠に続くと思われた己の安寧な殺人生活』が突然終わるのだという事を、まだ見ぬ何かしらの悪しき怪異に思い知らせてやりたかった。

 傲慢さ故に存在していると思い込んでいる『己の絶対的安全圏の玉座』が、簡単に突き崩される幻想である事を叩き込んでやりたかった。

 真実をもって猛毒の威力を高め、苦しませながら殺してやる。ジョージは頭の中でそのように考えながら移動しており、しかし周囲の人々に溶け込んで目立っていなかった。

 ジョージは地下鉄の電車に乗って昨日の『NYタイムズ』『ワシントン・ポスト』『ウォール・ストリート・ジャーナル』等主要紙の記事を切り取ったスクラップブックを読みながら、邪悪に対する怒りを密かに燃やしていた。

 この世は明らかに病んでいる。それは人類の歴史と切っても切り離せない日常茶飯事であるが、しかし小さな視点で見ればできる事もあろう。


 ジョージは五番目の犠牲者遺族の元を訪れた。一度会社に戻って事前に電話を入れており、一応相手は了承してくれた。疲れ切った声が聞こえた時は心が痛んだ。

 玄関を開くと予想通りに悲しい表情が見えた。イーストサイドの住宅街で一軒家を購入して住むアジア系の男性は、愛する娘がいないという世界に生きていた。

 二度と会えない悲しみがあり、では息子を亡くして二度と会えないのに、それについて徐々に何も思わなくなりつつある己はなんなのかと内心怖くなった。

「先程掛けた『ワンダフル・ピープル』のジョージ・ランキンです。お話を窺いたくて…」

 少し時間が流れた。濁った目で相手はジョージを見たが、それから少しして『どうぞ』と招いてくれた。五〇代ぐらいのその男性の後ろ姿はどこまでも苦々しく見えた。

 客間に通されるとそこには家族写真があり、そして思った通り軍にいた頃の父親の写真もあった。

「もう大体話しましたよ、警察に記者に…何を聞きたいんです?」

 男性は椅子に腰掛け、その隣で同じく悲しい目をした女性の肩に手を回し、悲しみを共有した。その女性は茶色い髪と淡い蒼の目が特徴的であったが、しかし悲しみによってそれらは覆い隠されていた。

 夫とてそうだ。精悍な様子を受けるはずの退役軍人の容貌は疲れ切り、急速な白髪の広がりが見え、ストレス性と思われる髪の後退も確認できた。

 インド北部からアナトリアまで支配を広げたペルシャの帝王が不意に狂気に苛まれたがごとく、彼らの幸せな時期というのは唐突に終わりを迎えたものと思われた。

「私は、少し変な言い方になりますが、娘さんも含めてこれまでの一連の変死体は全て殺人によるものだと考えています」

「そういう事なら、他にもそういう事を言う人はいましたけど」

 聴取や取材の荒波でもあったのか、そう告げた母親の姿はとてもやつれて見えた。まあそれも不思議な事でもあるまいが。

 ジョージは計画していた事を口にした。

「変な事をお聞きしますが、ナムグンさんミスターは以前軍に?」

 男性、すなわち犠牲者の父ソンチョル・ナムグン――欧米風な名前を名乗ってはいないが欧米風な名・姓の順で通していた――はふとジョージと目を合わせた。その様子にジョージは何か突破口がありそうに思えた。

「それがどうかしましたか?」と女性、すなわちヘレナ・ナムグンは沈んだ様子で言った。

「実は私も以前は何十年か軍におりまして。離婚して、その後息子を事故で亡くしましたが、今でもなんとか生きています」言いながら夫妻それぞれを見た。

「赴任はどちらへ?」とソンチョルは言った。

「色々ですね。ドイツとか、あとはそうですね、沖縄の後一年程韓国にもいました。アメリカ軍のあるところは私の赴任先候補という感じでした」

「そうでしたか…私は朝鮮戦争で戦って、かなりへとへとになりながらもなんとか生き残って…ヘレナとはたまたま出会ったんです。彼女がアメリカ国籍を取ったと聞いて、私もあの戦争の辛さから逃げるようにアメリカへ渡ったんです。不安でしたが、この地域の同じアジア系の人々、それにそれ以外の人々に支えられてなんとか…娘を大学に通わせられた事で、今まで生きてきた事も無駄じゃなかったなと思っていました」

 ジョージはそれを聞いて思った。息子とそうやって接していれば、あるいは軍を早く辞めて妻ともっと絆を育んでいれば、違った結果もあったのかも知れない。目の前の夫妻を見てそのように思った。

 しかし皮肉な事に、彼らは似ていた――家族仲に問題のあったジョージも、そうではなかったナムグン夫妻も、悲しい事に愛する我が子と永遠に会えなくなったのだ。

 しかしジョージは己の過去すらも利用する事にした。夫妻から話を聞き易くするために己の事も打ち明けたのだ。

 彼はこの夫妻の娘も含めた、一連の事件の犠牲者のための報復をするためであれば、己の人生の安売りなど、どうという事は無いと考えた。

 今に見ていろ、お前は今のところ自分が安全だと思っていて、これからもまだ何人か殺すつもりなんだろうな。

 だが私がお前を特定してやる。お前の安寧を破壊してやる。お前を泣き叫ばせてから、最期に魔王の元へと送って喰わせてやる。

 私はお前の殺害者だ、それを思い知らせてやる。ジョージはそのように、まだ見ぬ邪悪への怒りを改めて燃え上がらせつつ、遺族夫妻から様々な情報を聞き出す事に成功した。

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