第16話 連続殺人事件
登場人物
―ジョージ・ウェイド・ランキン…息子を失った退役軍人、『ワンダフル・ピープル』紙の記者。
一九七五年九月:ニューヨーク州、マンハッタン、チェルシー
ジョージは己の肉体がぶるぶると震えている事を意識した。放射冷却が始まった涼しい九月の朝、ビル街の向こうから姿を現す太陽の輝きが見え始めた。
黄金に照らされるマンハッタン及びその空の下、ジョージは己を律する事に努めた。
「そいつはビビってるのか寒いのか、どっちだ?」と不意に声が聞こえた。それが最初己に向けられたものだと思わなかったが、二秒経ってから声のする方へと顔を向けた。
ピンクに近い肌の白人刑事が見えた。以前二度程言葉を交わした事がある。
「まあ、どっちもと答えておくよ」ジョージは特に否定しなかった。本当は違う理由による震えであったが、そのような些細な事はこの慄然たる『殺人事件』の前ではどうでもよい事象であった。
「ふん、そうか」
男は近付いて来た。そう言えば互いに自己紹介はしていなかった。今後する事になるかも知れないが、今はその時でもなさそうに思えた。まだ互いに棘がある。
「それで? 今回もまたあの怪死事件なのか?」
「さあな。まあ俺は特に否定も肯定もしない」
そこで会話は途絶えた。相手の新品のジーンズのような鮮やかな目を己の茶色いそれで凝視し、その奥に隠されたものを見ようとした。
そこに何かの意図があると確信していた――立場上言えないが、しかし言ってやらない事も無い。
ジョージはとりあえずそこに否定の色は見えない事を悟った。悪くない事であったが、しかし事実であればそれは暗澹たるものだ。
すなわちここ数カ月連続で不定期に起きている、悍ましい変死体の事件なのだと。
「じゃあ私は肯定だと取らせてもらうよ」
その瞬間、警察関係者の誰かがシートを捲った。信じられないような恐怖の形相を朝の空に向けている顔が見え、ジョージは厳しい表情をした。
相手の刑事は特にそれに言及する事も無かったが、しかし相手も恐らく同様の怒りに燃えている事は理解できた。
「好きにしろ、適当な記事は書くなよ」その精力的な感じのする刑事――階級も知らない――の鮮やかな蒼い目に怒りが見えた。
それで両者背を向けて別れた。ジョージはこれまでの事件の事を考えていた。これまでのそれらしき犠牲者は五人、しかし犠牲者の人種・民族系統はばらばら、年齢も性別も特に相関性無し。
最初の事件は白人の老女、次は白人の若い男性、次は中年の黒人男性――女装や女性的喋り方をする人物だが本人の自認は『男性』であった――、次は黒人とラテン系の血を引く女子高校生、そして次はアジア系とイギリスからの移民の血を引く女子大学生。
そして今回の事件もそうであればそこへ新たに中年前後の白人男性も追加されると。嫌な事件であり、吐き気がした。
漠然とした邪悪を感じ、怒りが込み上がった。当然ながら彼が先程震えていたのは、かくも無残に人々を殺した『犯人』への怒り故であった。
ジョージはネイバーフッズともそれなりに縁があった。故に彼はウォード・フィリップスを経由して、目撃者の情報を受け取っていた――昨晩、被害者と思わしき男性を目撃したと証言する男性警備員。
強い怒りの色を発しながら歩む『ワンダフル・ピープル』の記者は、次にすべき事をするために事件現場を去った。
ここで得られるものは既に得られるだけ得たはずだ。あとは今後遅れて来る事になっている同僚に任せる。
ネイバーフッズ・ホームベースは交代制の警備員を採用している。
ヒーロー達の『活動』も時間がまちまちであり、そのため夜も眠らぬ基地が必要となったのであった。そしてその内の一人がそれらしき誰かを目撃していた。
持つべきは人の縁だなとジョージはこの高度なコネ社会で考えた。己の築いたそれがこうして役に立つのだ。
故に彼はたまたま事件の目撃者と思わしき人物と出会う事ができた。その縁の不思議さを噛み締めつつ、彼はホームベースの入り口を潜った。
身体検査を受けつつその様子に関心し、それが終わってから入場許可証を首から提げながら彼は歩き始めた。
自宅を出る前のウォードとの電話で例の警備員がエントランス・ホールの椅子に腰掛けている事を知っており、コーヒーと煙草で時間を潰しているそれらしい人物を探すのは容易であった。
そちらに向けて歩いているとこれから帰って寝ると思われるケイン・ウォルコットと遭遇し軽く握手した。
「頑張って」とジョージは声を掛けた。
「ありがとう」
ケインは軽く例の警備員の方に目を向けた。彼もこの件でジョージが来ると知っていたようで、それで驚く事も無かったらしかった。
カーゴパンツと白いTシャツ姿でブーツの足音と共に立ち去るケインの広い背中を見送りつつ、ジョージは再び歩き始めた。シフトが終わったものの、特に苛立つ事も無しにその警備員は待っていた。
ジョージが近付くと彼はそれに気付いて煙草の火を灰皿で消し、コーヒーをそのままに立ち上がった。
「あなたがジョージ・ランキン?」
「そうです、よろしく」
品のよさそうな男はなんとなくだがプエルト・リコ人であるように思われた。ジョージは肌の色合いが大してその人の出自の推測に役に立たない事を知っていた。
肌が褐色の『白人』もいる。そのような事はさておき、目元の雰囲気でなんとなく推測した。
「俺の事はアレックスと呼んで」と握手しながら相手は言った。
「了解、じゃあ私はジョージでいいから」
彼らは腰掛けながら話を続けた。
「待たせてしまったなら、これまで待ってくれてありがとう」
「いいよ」とアレックスはガラス張りから見える外の朝日を見た。それから彼は煙草をズボンのポケットに片付けつつ、軽くコーヒーを口に含んだ。
「なんというか、俺が見たのはかなりその、ヤバい瞬間だったような気がして」
「具体的には、昨日何があったんだい?」
「そうだね、昨日は、俺は久々の夜勤だったんだ。少し緊張したし、それに少しだけ眠かった。もちろんそれが仕事だから手を抜くつもりはないよ」
ジョージは頷き、アレックスのプロ意識に関心した。正直軍にいた頃も、ジョージにとって夜の仕事は大変に思えた――ついこの前夜に激闘を繰り広げた身で彼はそのように考えた。
「それで、外に立って往来の様子を見ていたんだ、誰も変な奴がいたりはしないよなって。ほら、あの五月の事件は酷いもんだかったから」
ジョージは五月に得体の知れない者がホームベースを襲撃した事件の事を思い出していた。あれ以降警備体制も見直されたものと思われた。
ネイバーフッズは休む暇も無しに、脱獄者とその協力者の群れと戦う羽目になったのだ。
少し遠回りになったが、そろそろ話が気になる箇所に差し掛かると思われた。ジョージは拳を強く握った。
「昨日の十時過ぎだったと思う、その時南の方から走って来る男に気が付いたんだ。そいつはなんだろうって思ったよ。だから身構えつつ、その様子を観察した。あと少しで制止しようと思うような距離に差し掛かって、その男は五〇ヤードぐらいの所にいた。俺はその時どうにも、目を擦りたいという気持ちを我慢できなくて目を擦った。ほんの小数点ぐらいの秒数で、まさに一瞬だったと思う。でも、目を向けるともうその男はいなかった。そんな馬鹿なと思って駆け寄って確認したけど、誰もいなかった。俺は無線で仲間に報告して、二人の同僚が誰もいないか確認してくれた。そうこうしているとちょうどネイバーフッズのメンバーのリードも来てさ。彼も入念に通りとその周辺を確認したんだけど、でも誰もいなかった」
ジョージはアレックスの目を見た。彼は今、何かしらの後悔、申し訳無さを抱えているのかも知れなかった。
「俺は…その、あの時目を離さなければ何かできたような気がする」
多分既に警察にも同じ事を話したか、これから話すのか。まあそれはどちらでもいい。
「私が思うに君が責任を感じるべきじゃないと思う。よくわからないけど、何か理不尽な事が起きたんだ。世の中にはニュー・ドーン・アライアンスだとか、怪しい結社だとか、異星の邪神だとか…そういうよくわからない奴らがいる。もしかしたらそういう超常的な何かが作用したのかも。いきなり消えるなんて普通だとは思えないしね」
「でも、そうかな」
「君は優しい人だ。私も以前軍にいたけど、君はその時の私よりも余程立派に夜勤を務められると思うよ。ドイツのビスマーク基地にいた時なんか、時間があれば酒を飲んでいたのが私だからね」
これは本当の事であった。その時の彼は、あの偶然のケイン・ウォルコットとの出会いを経験したが、しかしケインがそうであったようにジョージも精神的に抱えるものがあった。
家庭が上手くいっていなくて、既に離婚話が粛々と進んでいた。
ジョージは最後にもう一度アレックスと握手をして立ち去った。許可証を返却し、規定の手順に従いながら彼は外に出た。既にニューヨークには抜けるような蒼穹が広がろうとしていた。
ジョージは頭の中で異界の王者が笑うのを無視して歩み始めた――必ず見付け出す、特定し、お前を殺してやる。ジョージはまだ見ぬ何かに対して義憤を燃え上がらせていた。
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