第40話 差別と迫害の果ての悲劇
ジョージが一旦自宅に戻った際に会社から電話があった。なんでも、メディアが最近『連続殺人か?』と見做し始めたこの一連の心停止事件について精力的に調べている記者がいると、遺族の間にやや話が広まったとかで、その内一つの遺族から電話があった。
二番目の犠牲者である若い白人男性――ジェイコブ・ケリー・クローゼという名前であった――の遺族、母親から電話があったとの事であった。ジョージは電話番号をメモして、自分から電話してみた。ベッドの上に投げ出した新聞にAMCの『ペーサー』という車の広告が出ていた。
電話の待ち時間は目が泳ぐものだ。特に、ある程度覚悟をしないといけないような話が待っていると予想できる場合においては。
ジョージは邪悪との戦いで命を落としたジョージ・ヘンダーソンの部屋を調べに行く前に、まずジェイコブの遺族と会う事にした。己が調べているのは珍しい鉱石が発見されたとかそのような話ではない。血が通った見知らぬ誰かが深刻な侵害を受けて殺された事件についてなのだ。
故に、その犠牲者遺族を無視する事は彼にはできなかった。彼は怒りに燃えようとも、そもそもその怒りの由来については冷静に考える事ができた。自分自身による義憤、邪悪を憎むというだけではない。犠牲者が何をされ、その遺族がどうなったか。これを忘れる事は彼にはできなかった。
正直に言うとジョージは迷った。このままジョージ・ヘンダーソンの家に行くか、それともその前にクローゼ家に行くか。直前に死んだインディアンよりも、もっと前に死んだ白人の家族を優先するか?
あれこれ考えて、しかしもう一人のジョージなら少しぐらい待ってくれるかも知れないと考えた。無論、インディアンは様々な不正が正されるのをずっと待ってきたわけだが。
己の判断は批難に値するかも知れない。その上で、己は特権ある身である事を強く意識した。やがては、その責任と向き合わねばなるまい。
チャイナタウンに住んでいると聞いて、それについてはやや興味を惹かれたが、ともあれそれは本題ではない。問題は、どこにでもいる市民が、己の子供を奪われたのだ。ナムグン夫妻がそうされたように、そしてそれ以外の犠牲者遺族が大切な誰かを奪われたように。
アメリカの誇る大都市が、得体の知れない何かによって狩りの舞台になっている。それは許容できない。
古いが小綺麗なアパートの一室にクローゼ家は住んでいた。ジェイコブの祖父の面倒をジェイコブの両親が見ており、その三人暮らしであった。夫妻は五〇代に近かった。
沈んだ目でジョージを迎えた三人が椅子に腰を降ろしているのを見渡し、会話に移った。
「本日は私を招いて頂いて、ありがとうございます。お役に立てれば光栄ですが…」
最後の方はそのような控え目なトーンにせざるを得なかった。遺族を前に、どのような明るい調子が可能か。無理だ。
沈んだままの彼らを見て、会話を続けるのが難しそうだと考えた。ジョージ自身は彼らと話したかった。彼らの口から、何かを語って欲しかった。だが、今も癒えぬ悲しみが彼らを縛り付け、残酷に支配していた。本質的には、殺人犠牲者の遺族の傷は癒えない。
ジョージは部屋を見渡した。ビーダーマイヤー様式じみた室内には写真が多くあり、長生きなアンティーク家具の上に乗っている写真達が目に入った。顔立ちとその古さから見て、この家の先祖かも知れなかった。
「あちらの方々は?」とジョージは訪ねた。まずこういう話からするのも手だ。愛する者を殺された彼らの寡黙さを少しだけ解せるかも知れなかった。
最初は質問の意味がわからなかった遺族も、視線をジョージが指した方に向けた事で意味がわかった。
「あれは、私の両親、そしてそのまた親の世代…」
老人はやや悲痛な面持ちで、昔を懐かしむように言った。彼はこの部屋のアンティーク家具のように、様々な物事を見てきたであろうある種の説得力を纏っていた。
イリノイ州コリンズヴィルで起きたロバート・プレイガー事件は、第一次世界大戦中に発生した『ドイツ』に対する反感の酷い発露の例であった。そのような偏見と不寛容がドイツ系アメリカ人や移民のドイツ人に降りかかり、彼らの『忠誠』に疑問が投げ掛けられた。
リンチのような直接的暴力、ドイツ語由来の名称への言葉狩り、そしてそのような社会的抑圧というやむを得ぬ理由によるドイツ系社会自身による自主的名称変更…これは二〇世紀の話である。
第二次世界大戦でもドイツ系社会はこのような困難に直面した。クローゼ家は事ここに至り、その名字をイギリス風なものに変更する事で難を逃れようとした。それでも不安があったため、家族でニュージャージーから知り合いを頼ってニューヨークのチャイナタウンに落ち延びた。
クローゼ家はそのドイツ性を捨ててアメリカ社会により深く同化する事を余儀なくされた。満足に生きていくにはそうするしかなかった。だが、己らのルーツのある国が、今現在己の住む国と戦争を始めたという事実が二度も起きた事は、この家系に深刻な影響を及ぼした。
今となってはドイツ性をあえて隠す事も無いが、かつて彼らはそのような体験をしたのであって、その境遇はジョージには想像ができなかった。
日系アメリカ人やイタリア系アメリカ人から戦中の苦難や屈辱、いかにアイデンティティを守ったかの話を聞いた事はあったが、しかしこうしてそのような時代の生存者と今一度話した事で、何やら重苦しいものが胸に入って来た。
そして最悪なのは、その果てがこれなのだ。彼らの血を引く子孫であり後継者であるジェイコブが、得体の知れない虫けらによって殺されたのだ。この結果はあまりにも残酷だ。
他の犠牲者遺族がそうであるように、彼らもまた最悪の結末を迎えたのだ。
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