第55話 猛毒使いvs〈否定〉使い
シミュレートには少し慣れてきたらしかった。ジョージは相手の『最もあり得るもの』が見え始めたように思えた。可能性を計算し、相手の次の手を予想した。
そして実際、相手はジョージの回答に罰則を課さなかった。正しい回答であったらしく、まだこの手のつまらないゲームが続くと思われた。同時に敵を突破する手段も考えておかなければならない。裏で様々なシミュレートをしておかなければ。
❝質問、エッグマンはきのうなにをしていたの?❞
下らないし、ナンセンスな質問であるなと内心嘲笑いつつシミュレートした。既に誤った回答の末路は計算していたので、とにかく正解を虱潰しに探すのみであった。誤った回答をした場合についてのシミュレートは途中で打ち切って高速で思考を続けた。薄暗い部屋の中で恐怖のゲームは恐怖を欠いたままで進行していた。もう少しすれば相手は苛立つかも知れなかった。
ジョージは正解を発見した。
「彼には年中休みが無い。だから昨日も仕事をしていたはずだ」
すると、その吐き気を催す長い白髪の怨霊は気色の悪いせせら笑いでそれに答えた。なんと不快極まる怪物であろうか。呪われてしまえ、狂った虫けらめ。
大都会の一室で、まだ太陽が沈んでいないのにかような恐怖との死闘が実施されており、これはニューヨーク市民として負けられない戦いであった。
ジョージはシミュレートをし続け、次の回答は何を答えても殺される事を知り得た。なるほど、そこで手詰まりになるわけだ。これは恐らくジョージ・ヘンダーソンの時と同じ、非常時の戦闘用プロトコルであろう。この悍しい邪霊とて反撃の可能性については計算に入れていたはずで、実際こうして〈否定〉の能力を迎撃――あるいは反抗鎮圧――に行使しているのだ。
まあ、あくまで現状を反映しない自動的な対応ではあるが。
「さて、腐敗した狂気の化け物め」
ジョージは相手の質問を打ち切るように出鼻を挫いた。無論全てはシミュレートした上での行動であった。奇妙な腐敗の影のようなものが、部屋の片隅でぶくぶくと肥え太るのを視認した。予想通りであった。
「人殺しは楽しめたか? だが残念な事に、今度はお前が殺される番でな」
ジョージは小銭をズボンから慎重に取り出した。その醜い影がなんであるのかは知っていた。それがどういう手段で索敵して襲い掛かるのかも知っていたし、その単純さによる弱点も知っていた。そしてそれが〈否定〉とかち合った際の作用や反動も知っていた。
ジョージはエッグマンが声には反応せず、しかし奇妙な事に物音には反応する事は知っていた。ばたばたと動けば反応されるが、ごくゆっくりと慎重に動けばその程度の音には反応しないのも知っていた。
「産業廃棄物のようにどこに行ってもお前は嫌われ者だ。無様に死ね」
ジョージは小銭を何枚か手にして、それをベッドの上の腐り果てた怨霊にぶつけた。腐敗を纏うその不愉快の具現じみた怨霊は、己にぶつかった小銭の衝突によるダメージ――無論それは痛みもほぼ無いが――をジョージに返す事はできたが、しかしそのぶつかった際及び床に落ちた際の物音に反応したエッグマンの襲撃は反射する対象が存在しなかった。己の〈否定〉がその枠組みの中で作った二つの能力派生が互いに激突した形となり、その反動で大きなダメージを受け、気色の悪いその邪霊は絶叫を放った。大男じみた腐敗の影であるエッグマンもある種のダメージ反射能力という別の派生〈否定〉からの反動で大きく仰け反り、それらは互いに傷付け合った形となった。
信じられないような、鼻や目が痛む程の異臭が漂い、まるで納骨堂か、あるいは堆肥槽の中身のような悪臭であった。もっとましな言い方をすればそれは慄然たる神々に仕える半神の使徒どもの悪臭に似ていたのかも知れなかったが、その匂いの強烈さ故に喉が痛む事を思えば別にそのいずれであろうとよかった。
ジョージは既に正しい可能性を演算し終えていた。シミュレートは来たるべき未来を予測しており、余裕があった。
気色の悪い怨霊はエッグマンを退散させるや否や、虫が這うような姿勢で目にも止まらぬ速度を出して、ジョージに走り寄った。
その腐敗した腕がジョージを締めた。無論これは、あの〈否定〉の罰則における非外縁器官としての腕による絞殺とは違い、このグロテスクで吐き気を催す邪霊がその本体によって絞殺をしようとしているのだと知っていた。埓が明かないと踏んだ際にそうする事をジョージは知っていた。そして彼はシミュレートの過程で、どのようにしてジョージ・ヘンダーソンが殺されたのかも知っていた。
苦しいというか、何やら地獄めいた感覚であった。内臓に腐敗が入り、肺の中で臭気が暴れ狂っており、血液に膿が入り込んでいるような感じがした。実際のところ、シミュレートの結果によるとある種霊的な意味ではそうなのかも知れなかった。
だがジョージは、この怨霊の最大の弱点を既に知っていたのだ。強力な〈否定〉使いでありながら、しかし呪いのバスを拠点にしなければこの世に留まれず、獲物を追い掛けている際はその獲物をアンカーにしてそこを離れる事ができるという限定性故なのか、あるいはそれ以外の理由があるのかは不明であったが、ともあれそれこそが殺す手段となったのだ。
というのも、本体及び外縁器官を使って攻撃した場合、ジョージの持つ猛毒に自動で反撃されてしまう事は既にこの怨霊も学習していたのだ。故に先程は、あの質問やエッグマン、及び諸々の罰則と言った〈否定〉から派生した副産物による殺害を図った。しかしそのどれも効果が無かったので、結局は己の両手を使って締め殺す事を選んだ。恐らくジョージ・ヘンダーソンもそうやって殺され、そのまま自己中心的な悪霊は怒りに任せて彼の首を切ったのだ。
だが結局のところ、この怨霊は『あまりにも自動的な対応過ぎる』という弱点が存在したのだ。万が一戦わねばならない時の対応があまりにも自動的で、そこにアドリブは存在しなかった。非合法的な手段でこの世に留まっている弊害か、彼女の〈否定〉の能力上の制約か、それ以外の理由か。どうであれ結局、忌むべき悪霊はジョージ・ヘンダーソンを殺した時と同じ戦術を繰り返し、その結果として――。
「どうだ? 痛いか?」
ジョージは絞り出すような声で、眼前にいる白髪の怪物の、濁った目を睨み返した。悪臭で噎せ帰り、締め付ける腕の握力によって弱りつつも、しかしジョージは相手の腕を軽く握り、もっと己の首を締め付けるようにしてやった。相手は混乱しており、何が起きているのかもわからぬまま、まるで感電者が己を蝕む凄まじい電力の発生源を手放せぬまましびれ続けているようにして苦しんでいた。
「お前が死ぬ様を特等席で見届けてやる…ところでどんな気分だ、自分が永久に居座れると思っていた立場、つまり下らない世間への逆恨みか何かで人殺しをずっと続けられると思っていたのに、そうやって引き摺り降ろされる気分は!? 現実へようこそというわけだな!」
まるで地獄から逃げ出して来た罪人どもの、苦痛に満ちた絶叫のごとく、とてもこの世のものとは思えない凄まじい声が響き渡った。
「しかし皮肉だな! お前はこの部屋を封鎖したんだ! お前の、その…悲鳴だって…誰にも聴こえ…」
ジョージは意識が薄まるのを感じつつ、なんとか保っていた。酸素が薄まっていた。相討ちになるなら別にそれは一向に構わない。少なくとも彼の側にはその覚悟があった。
❝なんなの! やだ! こんなのはやだ!❞
相手の腐った顔面には恐怖が浮かんでおり、それを見るとこれまでの調査が無駄ではなかったという充足に包まれた。意識が遠退く中で、ジョージは犠牲者達への正義が果たせる事に安堵していた。己ですら奇妙に思う程に安らかな気持ちに包まれ、滾っていた怒りは殺された人々の魂の平穏へと変換されていった。
「私は…覚悟がある…お前…お前はどうだ!?」
魔王による怪異への猛毒、そしてそれが更に進化し、怪異はジョージに触れるだけでもダメージを受ける。毒に蝕まれる。それはジョージが作った真実という〈否定〉より上位の〈否定〉であろうとも、そもそも〈否定〉系の異能ではないし、更に言えばこの程度の〈否定〉で無効化できるものでは無かった。
ジョージはこちらから『打撃自体のダメージは反射される』というのを織り込み済みで殴り掛かっても、相手はベッドから跳び退いて、この世のものならざる動きで壁や天井をよじ登って回避したり逃げたりできる事をシミュレート結果で知っていた。だが相手が己の側から触って来た場合、何が起きるかも知っていた。
❝いや、ころさないで! おねがい!❞
「死ね…取るに足らな…い虫けらのクズが!」
振り絞るように叫びながら右手を相手の顔面に押し当て、凄まじい苦痛の叫びを耳にしながら、ジョージはふとそこで意識を失った。それはやがて信じられないような断末魔の絶叫へと変わり、それでこの恐怖のゲームは終わった。狩り人というのは初めからジョージの側であり、実際のところNYC全体が彼の狩り場であったのだ。
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