第54話 シミュレートによる対抗
〘奴はどうやら、その能力を起動したようだな。ここからが本番だ。俺が言った通りにやってみろ。案ずるな、最後に立っているのはお前のはずであるからな〙
魔王の気配はそれっきり遠ざかった。やはりこちらの次元に干渉するのには限界があるという事であろう。でなければ、奴は直接己好みの悪の魂どもを摘み喰いしているはずだ。ここからは人間と穢れた怪物の戦いであった。呪われるべき邪悪を討ち滅ぼさなければ。
ベッドの上で捻じ曲がるようにして立っているその怨霊は、廃校で遭遇した不定形の怨霊とはまた種類が違うようであった。他の事例に似ているものもあったが、しかし悪意の強さはこれまで体験した中でも随一と言えた。いずれにしてもこの敵に何ができるかをシミュレートしなければならない。起こり得る可能性を導き出し、それによって敗北を回避し、勝ち筋を発見しなければならない。
まず逃げ出す事を試しにシミュレートしてみた。この部屋は入り口から通路があり、その通路沿いには先程錆水が出たキッチンがあって、その反対側沿いにはトイレへの入り口と風呂場への入り口がある。通路を軽く歩くと部屋が開けて、奥の空間にリビング兼ベッドルームがある。ジョージの部屋はそれ自体がやや広めのホテルの一室とも言えた。
その上で逃げようとするとどうなるかを考えた。何が起きるか推測を立てようとしてみた。最初はそうすればいいのかわからなかったが、しかし高速で思考し続ける内に何やら鮮明な像が見え始めた。逃げる。特に条件を指定せず走って逃げるとする。三歩歩いた時点で後ろから気色の悪い感触に襲われる。腐敗した死体じみたものの感触があったかと思えば、次の瞬間には両脚に大きな骨じみたものが突き刺さっている。激痛。三歩歩くと罰則じみたものがあるのか? 三歩である。他の条件は? 走らなかった場合。三歩で罰則。もっとゆっくりとかなりの低速で歩いた場合。三歩目で罰則判定。後ろ向きに進むとどうか? 辿り着く事が可能、罰則無し。後ろ向きに進む事が条件か? 諸条件でシミュレート。進む速度は無関係。向きも無関係。怨霊を目視せずに歩いたか否かが条件だと断定。辿り着いたとして、脱出手段はあるのか?
猛毒を用いて入り口及び壁や天井を全て塞いでいる不浄なエネルギーの流れを攻撃。猛毒を分泌する肉体による打撃、あるいは何かしらの物体を掴み、怨霊の方を見続けながら毒を付与した攻撃。打撃は効果無し、猛毒は僅かに効果あり。しかし相手が攻撃してくるので、それを回避しながら壁の結界を攻撃するのは非現実的、しかもいずれ回避不能の〈否定〉の攻撃が実施される。逆に、己自身へのダメージを確認。怪異への毒は、己が怪異ではない事及び己自身への毒に対する自己耐性によって無効化。ただし素手または何かしらの物体を用いた攻撃はそのダメージを己に反転させ、自傷する。本体への攻撃も同様に反転。もしかするとこの〈否定〉の能力を展開する前に攻撃していれば勝てたか? シミュレート結果は相手の展開にこちらの攻撃は間に合わず、接近する必要があったあの状況では奇襲しても間に合わない。よってこの件はこれ以降無視する。
状況を整理。敵本体への攻撃は、打撃のダメージは反射されて無効だが、しかし猛毒自体は有効。しかし敵は接近を察知すれば逃げる。結界に対しては、打撃は反射されて無効、一方で猛毒は僅かに効果あり。敵の罰則攻撃は〈否定〉に基づくもの、それ自体は猛毒では掻き消せず、己の真実という〈否定〉よりも格上なので無効化できず。
では、こちらからの攻撃を無効化する能力によって鉄壁か?
❝質問、わたしはだれ?❞
レコードが破損して不愉快な音声が流れているかのような、悍しい声が鳴り響いた。ジョージはその質問についてもシミュレートした。
この質問は一体何か? 質問に答えない場合、全身から血が噴出して死ぬ。猶予は十秒程。質問に答える。適当に回答した場合をシミュレート。体が動かなくなり、腐った何かの手でぐっと締め殺される。〈否定〉による罰則。正解をシミュレート中。少し時間が掛かる。猶予が迫っている。緊張は無い、冷静に思考しろ。正解を発見、『クローゼットの少女』と答える。
「クローゼットの少女」
ジョージは相手の変化が異様に長く感じられた極度の集中によって全ての速度が遅く思えた。
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