第56話 連続快楽殺人鬼系怨霊の末路

 悍しい虫けら、思い上がった邪悪なる殺人鬼を殺したという実感がじわじわと広がった。部屋の天井や壁から、いつの間にかあの気色の悪い不浄なエネルギーが消失している事を認識しながら彼は目を覚ました。

 そうだ、殺して、勝利したのだ。あの化け物を魔王の餌として送ってやった。〈衆生の測量者〉サーベイヤー・オブ・モータルズは今頃、あの襤褸ぼろを纏った白髪の怨霊の悪しき魂をしゃぶり尽くし、その『甘さ』に酔っているはずであった。結局のところあの邪悪な怪物の正体というか、何故あのような邪悪へと成り果てたのかという起源は全くわからなかった。奴と戦って命を落としたジョージ・ヘンダーソンの言うように、インディアンの何かしらの魔術体系を使って、『人為的に』この世に留まる事ができていたのであろうが、元が人間であったのであればそれは生前にどのような人生を送ったのか、そしてそもそも、何年にどこで生まれた誰であったのか。

 しかしもはやそれは無意味であるようにすら思えた。ジョージとしては一つ確信があった、すなわち『仮に奴が生前、悪意及び敵意に満ちた誰かの手で、親しいまたは愛する人物を生きたまま鰐のいる沼に突き落とされたり、コンクリート詰めにされたり、少しずつ切り刻まれて苦しみながら死ぬ様を見せられたとしても、それによって世の中を諸事情で恨む事になったとしても、だからと言って無関係な人々を娯楽のように殺して犠牲にする権利など存在しない』という事を。

 息子との数少ない思い出が存在するこの部屋で死闘を繰り広げた事で改めて、息子を亡くした日を思い出した。ガラスの破片が顔の片側にびっしりと生えた、愛する者の変わり果てた姿を。理不尽な事故の事を思えば、ジョージにも世の中を恨む権利ぐらいはあるかも知れなかった。しかし彼はそうはしなかった。あの亡霊もまた、正されるべき不正に遭遇して、絶望的な経験をした可能性は考えられる。

 病巣を正すべきなのは事実だ。そうしなければ第二第三の繰り返しがあるかも知れなかった。貧困と犯罪の関係と同じなのだ、凶悪犯を捕まえるのは立派な使命だが、何故凶悪犯が生まれるのかという病巣を直さねばいつまでも根本的には治安は改善しない。そしてそれと同時に、法を破る者は取り締まるべきなのだ。その上でどのような事情があったかを、その刑罰に加味して考える。

 だがどの道、無差別快楽殺人に対してそのように小難しい事を考えても仕方が無いように思えた。

 重要なのは、ジョージ・ヘンダーソンは怨霊が『死んだ』事で安らかに過ごせるという事、そしてそれと同時に、命を奪われたこれまでの多様な犠牲者達のための正義が果たされたという事。

 この勝利で彼らが帰って来る事は決して無い。あり得ない。だが少なくとも、これ以上他の誰かが奴のせいで傷付く可能性はゼロになった。あの怨霊がこれ以上快楽殺人に浸る事はできず、異次元の悪魔の晩餐として供されたのだ。

 ニューヨークで思い出と共に静かに暮らしていた孤独な老婆、戦時中の苦難を生き延びた一家に生まれた青年、複雑な性のアイデンティティーを持っていた『彼』、離婚した両親を己の死によって皮肉にも再婚させてしまった少女、人気者でありながらその使命感故に一人で最期を迎える覚悟をした少女、他の犠牲者達と同様に誰にも相談できぬまま逃亡したものの遂に助からなかった男性。不意の偶然で犠牲者の巻き添えとなり、その心を病んでしまった不幸な人物。

 そしてそれら見知らぬ、一度も会った事も無い犠牲者達のために、その名誉を賭けて戦いを挑んで討ち死にした青年。

 ジョージは彼らのために死闘を繰り広げたのだ。勝つ事ができて、今は本当に幸せに思えた。せめて、彼らの無念に少しでも報いる事ができたのであれば、それ以上の喜びは無かった。

 夕陽が差し込むのを眺めて、ジョージは部屋の片付けを始めた。


 その女、否、『女であった何か』は、己が恐るべき領域にいる事を認識しながら目が覚めた。沸騰する得体の知れない液体が辺りに満ち、乾いた血のような黯黒が広がっていた。闇に閉ざされながらも見通しはできる不思議な、しかし地獄めいたどこか。

 長い白髪の間から濁った目を覗かせて周囲を窺い、そして何故ここにいるのかという事についての因果関係のはっきりとした結論を出すに至った――そうだ、あの凄まじい猛毒によって苦悶と共に死んだのだ。霊体を殺す事ができる未知の猛毒。

 いつも通り獲物を痛ぶって殺すつもりが、逆に殺されてしまったのだ。それを思うとその怪物は、己がどれ程の恐怖と絶望とを感じながら死んだのだのかを忘れ、猛毒の持ち主の男に対して憤慨していた。

 よくも。よくもあんなことを。ぜったいにころしてやる。ゆるせない。ゆるさない。くるしませてころしてやる――。

〘――はて、この俺の領界ドメインに取り込まれた身で、お前はそのような、愚かでつまらぬ夢想に浸るのか? あたかも、あまりの狂信及び強い影響故に論理的思考が不可能となり、最も奔放な妄想を繰り広げるロキの異端崇拝カルトの信者のごとくな〙

 絶対者が出現した事は明白であり、世界は彼の意に従って畏怖を示した。時空が歪んで道を譲り、喰らい尽くされた何かしらの魂の残り滓の群れでさえも敬意と共に跪いた。

 煮え立つ何かの奥深くから強壮な触腕が出現し、水面下に麗人の巨大なかおが出現し、その歪んだ像ですら絶望的な程に美しかった。

 危険を察知した怨霊はエッグマンと呼ばれるものを呼び出し、その上で己を守護する〈否定〉の鎧の内側でなんとか美に耐えていた。しかしながらそれだけでは不充分なのだ。特にここが魔王その人の領界ドメインであれば、魔王の意のままという強力な執行力が発生し、初めからこの、かつて連続殺人という愉悦に浸っていたグロテスクな人殺しには勝ち目など存在しなかった。

 水面下より現れし魔王は甘味を感じて越に入った笑みを浮かべて、水上に出現した時点で破壊された怨霊の心はその笑みの美しさで更に追撃され、しかしそれでも精神的な永久死を許されなかった。

 いやだ。やめて。こないで。ころさないで。こんなの。いや。やめて。やめて。こないで。

 やめて!

 その瞬間、聞くも無残な凄まじい絶叫がその地に響き渡り、〈衆生の測量者〉サーベイヤー・オブ・モータルズの名で知られるリヴァイアサンの一個体は己の好物である悪の魂の甘味を味わい尽くした。

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