第2話 廃墟調査
登場人物
―ジョージ・ウェイド・ランキン…息子を失った退役軍人、『ワンダフル・ピープル』紙の記者。
―
一九七五年、九月、昼:ニューヨーク州、ロングアイランド南西部郊外、ジャーマンタウン病院廃墟
慄然たるリヴァイアサンは今のところ己の働きに満足しているらしかった。
ならば、せいぜいこの関係が長く続く事を祈ろう。正直ジョージは、彼が知らない所で
もしかしたら胸糞悪い事をやっているのではないかと思ったが、しかし彼にはどうしようもなかった。
彼とて目の前の悪魔が次元違いの実体である事は理解していた。さながら、蟻が巨象との圧倒的な存在の差を知るがごとく。
少なくとも今は刃向かうよりも、この関係を続けて一体でも多くの怪異どもを仕留めた方がましであるように思われた。偽善だと笑う者がいれば笑うといい、私は私がしたい事をするから。
その様子を見て、門の向こうからこちらを見ている美しい異形の悪魔は満足そうな声色で言った。
〘そうだ、それでいい。続けろ〙
そう言うと門は消えており、また昼間の廃病院の静寂が戻り、不気味なぼろぼろの室内は
そうだ、これこそ己が冒険する場所なのだ。小説で読むような未知の異世界や、未知の惑星などではない。
この汚らしく人々に見放されて久しい残骸こそが、己が踏み越えて行く場所なのだ。そこに害ある何かがいれば、排除するまで――むしろそれが目的であるが。
ジョージはその調子で全ての階を見て回った。二階以降は床が木であり、耐久性が微妙な箇所が散見された。やや杜撰な設計にも思えた。
割れて久しいガラス窓から差し込む陽光がやや傾く辺りで調査は終わり、そして予想通り得られたのは『
ここは事前調査通りの場所であり、打ち捨てられたままの病院であり、虫すら見なかった。
野生動物の痕跡も見られず、それらの足跡や排泄物が無いかと変な期待をしたものの、あるのはぼろぼろのシーツや机、剥がれた壁の塗料の類いであった。
確かに、予想していた通りに昼間はただの廃墟なのであろう。ならば今日はひとまず近くで泊まって情報を整理し、夜中になったら状況を探ってみるとしよう。
彼は元来たルートを辿って一階まで降りて行った。道は覚えたし、それに車には取り寄せた見取り図があって、それも予習済みだ。
ふと、変色して何かの滓や残骸が転がる階段を降りながら考えた――あるいは帰りは何か起きるであろうか。しかし彼のやや期待の混じった予想は外れ、また汚らしい一階の通路まで降りて来た。
意外と錆に抵抗している壁際の暖房機器、ぼろぼろの車椅子や松葉杖、そして傷みが酷い天井。何も変わらず、結局平和なままで玄関口から外に出た。
外に出るといつもこうだ――まず空気の新鮮さに驚く。これは都会だろうが田舎だろうが変わらないと思われた。
淀んだ廃墟内の空気はやはり、そこが所詮廃墟であるという事を物語っていた。
腐食やその他の異臭もあるし、それにぼろぼろの光景はやはりずっと見ているとうんざりもしてくる。だからこそ外に出れば心と体とが生き返ったような気持ちになる。
まあ皮肉な事に、夜が来ればまたその不潔な場所へと足を踏み入れるのであるが。
彼はとぼとぼと歩いて車へと向かった。念のため数百ヤード向こうに止めており、往来をちらちらと見ていたが誰も通る様子は無かった。
やはりこの辺り一帯が打ち捨てられて、人々はここが存在しなかったかのように振る舞っているのであろう。
しかし本当の意味でここを忘れる事はできまい――行方不明者が出ているのであれば、その不気味さを想像せずにはいられない。
一九七五年九月、午後:ニューヨーク州、ロングアイランド南西部郊外、ジャーマンタウン病院廃墟付近の車内
行方不明者は三人、内訳は不動産や解体業者の者であった。いずれも警察の捜査では何もわからず、捜査は打ち切られている。
三回とも各々の車のみが近くで発見され、人の痕跡は見られなかった。よく見ると病院の周囲には足跡や草を分けたような痕跡はあった。
という事は警察は中まで入らなかったという事であろう。そしてジョージは中まで入って調査し、行方不明者の痕跡を一切発見できなかった。人が入った形跡は数年無し、動物の痕跡も無し、虫すら無し。
そうした情報をメモしつつ、メモ帳をペンでこつこつと叩きながら思案した。
これまでも行方不明者の出た場所を調査した事はあった。その奥に巣食う悍ましい何かと対峙し、それらを無慈悲に殺してやった。
だが行方不明者の足跡などの痕跡を全く発見できないのは今回が初めてだ。一体何が起きているのか。夜にならなければ何も起きないのはわかっていたし、
しかし夜になると何が起きるのか。まあ、何かしらの悪しきものが現れるのかも知れなかったが、だが痕跡が無いのはさすがに変であろう。夜になれば行方不明者の痕跡が出現するとでも言うのか。
とりあえず思考を打ち切ってエンジンを入れて、彼は少しドライブに出た。
一九七五年九月、午後十一時:ニューヨーク州、ロングアイランド南西部郊外、ジャーマンタウン病院
彼は車内で泊まった。軍にいた頃はもっと酷い環境で寝るのもしょっちゅうで、車はむしろ快適な感じがした。
九月に入ってやや涼しさが見え始め、夏の暑さは立ち去ろうとしており、夜が近付くと冷たくない程度に涼しく感じられた。
病院から何マイルか離れた海岸で車を止めてそこで何時間かぐっすり眠り、左手の黒いタグ・ホイヤーのメンズ・ウォッチを見ると時刻は十一時ちょうどぐらいであった。既に食事も済ませたし、そろそろ時間か。
彼はエンジンを掛けて再びあの病院まで車を走らせた。昼間よりもゆっくり走り、これから直面する未知について考えていた。
さあ、来てやったぞ。私に何かしてみたいなら、どうぞやってみるがいい。私も私がしたい事をさせてもらうがな。
十分程してから彼は病院へと到着した。やや遠くで眠ったのも、今こうしてやはり数百ヤード離れた所で車を止めたのも、万が一眠っている間に何かが病院で起きてその悪影響を受けるのではないかという懸念からであった。
病院自体は不気味に静まり、星空はその中で特に自己主張の激しい月によって明るかった。まあ、これから入る場所がどの程度明るいかは期待していないが。
懐中電灯、手袋に長袖長ズボン、背負ったリュック。必要なものが揃っている事を入念に確認した。
準備はできた。後は行くだけだ。彼は車を降りて施錠し、それからゆっくりと、しかし確固たる足取りで昼間に入った正面の玄関口へと向かった。
さわさわと草が風に揺られ、不気味さを煽った。だが彼にとってそれらはむしろ環境音楽であった。
そして手袋をした手で彼はドアを開いた。さて、何が出るものか。
しかしその瞬間、慄然たる変化によって彼は姿を消した。
一九七五年九月、昼:コントラストの異なる位相、ニューヨーク州、ロングアイランド南西部郊外、ジャーマンタウン病院廃墟
何が起きているのかはよくわからなかった。彼は周りの雰囲気が変わるのを感じ、視覚的な情報が一新された事にすかさず気が付いた。
暗い廃墟の風景は色合いのコントラストが変更され、各々の色がやや原色っぽく見えた。
彼は特に深く考えなかった。すなわちこれが行方不明者の痕跡が発見できなかった原因であり、それがわかれば充分であったからだ。ここは彼にとっての不思議な異世界であった。
生憎ここには囚われのお姫様や異星の客人などはいない――と思ったが、後者に関しては微妙かも知れなかった。
何せこの世には異星人や異星神が存在するのであるから――が、代わりに不愉快極まる廃墟と不気味な色合い、そしてその奥に潜む何かがいた。
「ありがとう」と彼は皮肉を込めて言った。恐怖は塗り潰され、蹂躙され、心の中でいじめ尽くされた。
もちろん彼はこの状況を作った者こそが行方不明者を生み出した原因だと考えており、『お礼』として相応の対応をするつもりであった。
懐中電灯を左手で持ち、彼は辺りを捜索し始めた。そう言えば、と彼は思った。よく考えたらあのネイバーフッズのウォード・フィリップス、怪奇小説の登場人物と同じ名を持つ紳士はこうした超常現象に詳しいらしかった。
今度アポイントを取って色々と聞いてみようか。彼らは隣人的ヒーローであるから、多分答えてくれると踏んでいた。
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