高い場所へ昇る男-4-

 ベージュのスラックス、淡いグリーンのカラーシャツにエンジのネクタイ、そして濃紺のブレザージャケットを羽織った男。

 待ちかねた真坂真のご到着だ。


「よう、御大尽。俺を待たせるたぁ、おめえさんも偉くなりやがったもんだ」


「それは乱時郎さんが来なかったからでしょう? むしろこの俺の無駄な労力を返して欲しいってもんですよ」


 そう言って階段を降りて来るとカウンターのスツールに腰掛けた。


「そいつぁおめえさんの情報ハナシにちゃあんと価値があるかどうかだな」


 俺はそんなマサカマとは反対のボックス席で首だけを動かしてそう言った。


「今回ばっかりはかなり美味しい情報ですよ」


「ほう? 実は俺ぁ、美味い話にぁ目がなくてなぁ」


「知っていましたよ。なら早速。例の三木藤建設なんですがね、なんで『三木藤』なんて会社名なのかわかります?」


「もったいぶらなくていい。とっとと話を進めろよ」


「ははっ、こりゃあすみません。悪い癖ってやつですね。まあ、まず社長の名前が三木徹也ってのはもう報道されていますし御存知の通りなんですが、共同経営って形でもう一人、取締役に副社長の藤川ってのが居るんですよ」


「三木と藤川で、『三木藤』か……案外単純だな」


 不破聖みたいな単純極まりないヤツに単純とか言われるのはたまらねえな、なんてことを思いながら俺は無言で続きを促す。


「確か……藤川善太朗。表には出ていないけど多額の出資者とかで社内での発言力は大きいって情報だけは掴んでいるわ」


「さすがはあやさんだ。その発言権の大きさが問題でしてね」


「あら。本当にいい話みたいね」


「内部の人間の現在の生の情報ですからねぇ。今、その情報提供者に会ってきたんですよ」


 そう言ってマサカマは手提げのカバンの中から、冊子を取り出してぱらぱらとめくり出す。


「え~っと、こいつですよ。こいつが藤川善太朗です」


「随分と若いな」


「この藤川って男、得体が知れないのよ。情報が少なすぎるのよね。まあ、十中八九裏と繋がっている人間だと思うんだけど……用心深い性格で顔もよくわからなかったんだけど……これは高く買うわよ」


「へへっ、あやさんにそう言われると俺も骨を折った甲斐がありましたよ。で、こいつなんですけど、仰る通りの元町通りで、まあ関東の建築業界の影のフィクサーってとこですかね」


「で? そいつがどう『黒』なんでぇ」


「この藤川自身が複数の暴力団の裏ボスなんですよ。これがまた巧妙でね。自分の子飼いの人間をそこのボスに据えて、金も出して指示も出す……」


「それで、裏の汚い仕事をさせてきたわけか」


 苛立たしげに不破聖は舌打ちした。


「だけどよぉ、そんな大物がなんでこんな横浜でも小さい方の建設会社に肩入れしていやがるんだ?」


「乱塊ね」


 あやの言葉に俺も反応してしまう。


「あやさん、ご名答……って、おそらく繋がりがありそうだって話はしていましたよね」


「へええ。お前ら、なんでそんな話をしていたんだ?」


「いや、裏が取れたら乱時郎さんにもお報せしようとしていたんですよ? 本当にここ数日でわかったことで……」


「まあいい。で?」


「要は例のエイチアイがこの横浜で躍進する為に、人材を受け入れる場所が必要だったわけですよ。そこで彼、藤川に声を掛けた……と」


「乱塊のヤツと繋がっていた……ていうかいつ頃からの既知なんでこいつら」


「さっきの……この冊子は三木藤建設内部の社内報なんですけども、そこに映っている藤川、何歳くらいに見えます?」


「んん? 写真だけじゃわからないけど……50はいってないんじゃないか?」


「まあ、法規上の登録では54歳ってことになっているんですが……彼の経歴なんですが、こちらがまた面白いことになっているんですよ」


 俺は無言のままラッキーストライクにオイルライターで火を点ける。

 パチンとフタを鳴らして続きを促す。


「東京に『富士建コーポレーション』ってあるじゃないですか……」


「ああ、CMもよくやっているよな」


「その前身の名前が『富士川建設』なんですけども、その創設者っていうのが藤川善太朗なんですよね」


「富士建って……70年代にはかなり大手になっていたし、それに創業自体は戦後復興期のはずよね」


「ええ。その富士川建設ってのは、終戦直後帰還兵たちに建設現場への職の斡旋なんかをして稼ぎをあげたのが始まりなんですって……」


「つまり『口入屋』か……ヤクザとも相性がいいはずだぜ」


「でも、そんなところの創業者ってことは……その当時にそれなりの年齢になっていないとおかしいが……今が1986年だから……終戦の1945年としても13歳で始めたってことか?」


「まあ……あの頃になくはないでしょうけど……荒くれの口入れ屋や帰還兵、それに建設現場の男共相手に向こうを張るっていうのは……考えにくいわね」


 その当時を思い出すようにあやが言う。


「てこたぁ、どういうことなんだ? そろそろ結論が欲しいな」


「1つ面白い資料がありましてね。戦前の横浜の港湾労働者を仕切っていた組織の1つに『相模富士川組』があったらしいんですよ」


「またフジカワか……で? そのカシラが藤川善太朗その人ってんだろう?」


「ご明察。その経歴なんですけど、どうやら日露戦争の帰還兵らしくって。帰還時に退役した軍人を集めて港湾の荷役の仕事を始めたみたいなんですよ」


「帰還兵か……戦争で堕ちたタイプか」


「まあ、そのパターンでしょうねぇ」


「多いんですか? その、戦争で魔物になってしまうってのは」


「多いか少ないかでいうなら、確かに多いかしら」


「まあな……人間の欲望がとんでもなく解放されるのが戦場だからな……堕ちるヤツが居るのもおかしくない」


「そうなんですか……じゃあ、こいつもそうなんですかね? その藤川の側近の1人なんですけど……こいつがまたヤバイ奴らしいんですよ」


「ヤバイって……なにがどうヤバいんだ?」


「市堂拓真って男なんですけど……最近、刑務所から出所してきたんです」


「今度はムショ帰りか……で? そいつはなにで捕まったんだ?」


「まあ、罪状は暴力による傷害致死……酒に酔ったケンカで相手を殴り殺したってありますね」


「おい、最近って言ったな? それはいつ頃だ?」


「え~っと……確か半年くらい前だったかな?」


「あや。盛り場付近での撲殺事件が連続してるって話は聞いているか? あれはいつ頃からだ!?」


「急になによ……確かに何件か起こってはいるみたいだけど……あっ、ちょっと待って」


 あやは慌てて奥に引っ込むと、数分ほどで戻ってくる。


「そうね……アンタの読み通りよ。半年前から起こっているわ」


「どういうこった? 前科者なら警察だってマークしているだろうに?」


 りりりりりりん! りりりりりりりりん!


 と、そこにカウンターの奥から電話のベルが鳴り響いた。


「はい……いえ……えっ? わかりました……伝えます」


 あやが受話器を置くと俺にこう言った。


「北垣佑介って知ってる?」


「誰だそいつぁ。知らねえ名だな」


「なんでも埠頭でラーメン屋台を引いている青年だって……」


「ああ。あいつ、そんな名前だったんだ……そいつがなんだって?」


「全身強殴されて病院に担ぎ込まれたって、警察から」

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