魔眼の少女編
魔眼の少女 -1-
なんの因果かあろうことか、俺は女の園に講師として潜入する羽目となった。
言っておくが羨ましいなんて思う奴は女というものをわかっていない。
わかったと思っている奴は、残念ながらそれは女の一部であり、奴らはそれをわざとこれ見よがしに披露している部分に過ぎないのだ。
向こうが大っぴらに、あるいはそれとなく隠そうとしつつ見せてくるものに碌なものはない。
それはだいたいの場合、罠だ。
憐れなり。
その男は……いや、昨今の時代だと男とは限らないかも知れないが……。
なににせよそんな巧妙な疑似餌に吸い寄せられてきた憐れな獲物は、見事、やつばらの巧妙に仕立てた水槽に飼われ、その様を見られ笑われているのだ。
総じて、女の本質は絶対君主である。
誉めて称えてご機嫌を取って、奴隷から愛人へと昇格することになる。
いや、それを「昇格」と呼んで良いものなのかどうなのか、今の俺にはほとほと理解しかねることだが。
話が逸れた。
いずれにしても、女には気を付けなくてはならない。
特に女の園に生きる女は、特に、だ。
九頭龍乱時郎なんて、仰々しい名前は秘することにして、俺は旧名の渡辺次郎を名乗って潜入する。
遠い記憶を辿ってみれば、俺が渡辺の姓を名乗らなくなって随分経つ。
もはや九頭龍姓を名乗る方が10倍近い年月に至ってしまっている。
なのでいきなり、女学校の生徒から「渡辺先生」なんて声を掛けられても、数秒の時間、自分が呼ばれているとは気が付かなかった。
「ねえねえ、先生。渡辺先生」
彼女はそう声を掛けてきた。
「ん? ああ、俺のことか?」
「くすくすっ、おかしな先生。ここ、この場に於いて、先生と呼ばれる人物は他には居ないでしょう?」
「さてな。そも俺が先生と呼ばれる存在だとは限らないからな」
「なにそれ? ヘンな先生」
「そんなヘンな先生に一体なんの用だ? 新任講師を茶化すのなら、他を当たってくれ」
「あら? 茶化したくなるような新任講師という自覚はあるということかしら?」
「そんな自覚は持った覚えがないがね。特になにもないなら、俺は他所へ行くぞ」
「いいえ。それはないわ。先生、たった今、煙草に火をつけたばかりじゃないの。まさか喫煙所以外にそれを吹かして歩くおつもり?」
これはしてやられた、というべきか。
見知らぬ少女に話しかけられて、どう対処すべきか落ち着こうとするあまり、俺は新たに煙草を一本取り出して火を付けていたのだ。
「なら、こいつを吸い終わるまでは、話を聞いてやろう」
こうして俺は昼休みの喫煙所で毎度毎度、彼女の話を聞くことになったのだ。
正直、俺は心の置くで勘弁してくれと叫びたい気分だった。
ガキのお守りは、本気で嫌いなんだが……。
そんな俺の気など当然知らず、少女は語り出した。
内容はあまり覚えていない。
覚えようにもあまり記憶に止めておく必要性を感じない、とりとめもない些細なことばかりだからだ。
そんな中でも、ある日に聞いた話は、多少なりとも興味を引いた。
「ねえ先生。色ってさ、なんだかまるで、人間みたいじゃない?」
「漠然と、抽象的すぎてなにが言いたいのかよくわからんな」
「だから、色も、人も、自分が見られたいように人からは見てもらえないってことよ」
「…………」
俺は黙って煙草の煙を吐き出した。
「あのね。昨日、読んだ本に書いてあったんだけど、その物の色ってのは、その物が弾いた色を見て私たちはその色を特定しているって話」
彼女は続ける。
「だから、もしかしたら真っ赤なバラは、真っ赤じゃないかもしれないし、桜色をしている桜は、実は私たちが見ている桜色じゃないかもしれない」
「あー……確か、物体色は光源色によって左右される……とかそんな感じの話だったか?」
俺はうろ覚えながらどこかで聞いたそんな色の話を呟いた。
「そうそう! その本でも書いてあったわ! だから、異なる種類の光を当てるとね、その物は違う色に見えてしまうのよ」
「それはまあわかった。で? なんでそれが人間と同じだ、なんて話になるんだ?」
「だって、人って、自分がこう見られたいって思っても見る人によってその見え方は違うじゃない?」
「なるほど。当たる光の具合から、その人物の見え方が変わってくる……確かにそうかもしれないな」
「でしょう! 先生ならきっと理解してくれると思ったわ! やっぱり話してみて正解だった」
「おいおい、それこそ違うんじゃねえのかい? お前さん、俺をそういう風に見てはいるが、俺はそんな風に思われるのを心外に思っているかもしれねえぞ」
「その時はごめんなさいってあやまるわ。人と色の違いはそこにあると思うの。色は本来の色とは間違ったまま人の目に映り、人の記憶に残るけど、人間はちゃんと『違うわよ、私はこういう人間よ』と伝えることが出きるもの」
「なら伝えておこう。勝手に俺の印象をお前さんのなかに作るんじゃあないよ」
「あら、これは違うわ。これは私の先生へと憧れであって、先生にそうあって欲しいと強要をするものでもないんだもの」
「よくわからんな」
「でも、きっとそうやって、なかなか『私は違う』って言い出せない人が居るんだと思うの」
「ほう……例えば?」
「そうね……学園のお姫様みたいな存在で周囲からちやほやとされているのだけど、本当は気兼ねなく話が出きる相手を求めていたり……」
「お前さんにしては随分と例えがありきたりじゃないか」
「そうかしら?」
「今日の無駄話はここまでだ。そろそろ予鈴だ。教室に戻れ」
俺はそう言って喫煙所から踵を返し、窓の外で不貞腐れている彼女に背を向けるのだった。
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