消えたラーメン屋 ー3ー

 横浜の騒がしい繁華街から静かなオフィス街へと向かう途中、ビルの谷間の路地に足を踏み入れると、その先に小さな看板がある。


「あや」とだけ書かれた看板だけでは、なんの店かもわからない。


 通用口のような扉を開けて地下へと続く階段を下りると重い鉄扉を開けることで、ようやくこの店が小さなバーであることが判別出来る。


 俺はそのバーの一番奥のボックス席でいつものように腕を組んで休んでいた。


「乱時郎さん、乱時郎さん! 起きてください!」


「ん……ああ?」


 俺は一度深く眠るとなかなか起きないんだが、その日は偶然浅い眠りだったのか、身体を揺さぶられてすぐに目覚めた。


「なんだ、不破聖じゃねえか」


 奴はいつものダークブラウンのダブルのスーツ姿で俺の視界に入り込んできた。


 相変わらずネクタイをつけない襟なしシャツをその中に着込んでいる。


「よかったぁ、起きてくれた」


「ったく、なんだよ」


「いいですか、ちょっと話を聞いてもらえませんか?」


「寝ている人間を叩き起こして、すみませんの一つもねえのかよ。そんなだから、いつまで経ってもてめえは餓鬼なんだよ」


「俺はもう餓鬼じゃありませんよ」


「餓鬼はみんなそういうのさ」


「はぁい♪ せいちゃん、いらっしゃい」


 店の奥から出てきたのは、この店の主であり、表の小さな看板にあった「あや」本人である。


 彼女の名前は井上あや。この街の裏に通じる情報屋だ。


 その素性もよく分からないし、そもそも名前だって本名かどうかすらあやしい。


 本人曰く、「あや」は「あやしい」の「あや」なのだとか。

 まぁその名に違わずあやしい雰囲気の美人であるのは確かだ。


 あやのスマイルに軽く会釈だけして、俺の隣のスツールに腰を掛ける不破聖。


「はい、これ。この前の報酬ね」


 あやは不破聖に厚めの茶封筒を差し出した。先日の飛猿を排除した謝礼金だった。


「おい、俺の分とずいぶん量が違わねえか?」


「うん。乱ちゃんのは貸したお金の利子分引いてるからね」


 俺は時々金に困ってこの女から借りることがある。おそらくその利子分が勝手に自動的に引かれて俺の手元に残った分を渡したというのだ。


「それで? 聖ちゃん、今日は他に何か用でもあった? お金なら言ってくれたら振り込んでおいたのにわざわざ来るなんてさ」


「実は俺、先日からずっとラーメン屋を探しているんです」


「なぁに、聖ちゃんラーメン食べたいの?」


「探すもなにも、そこいらにいくらでもあるだろうが。ここは横浜だぜ?」


「いや、俺が探しているのは、そういうラーメン屋じゃなくって、毎晩の波止場でラーメンの屋台出している、彼のことなんですよ」


「ああ、あいつのことか……そう言えばこの前も休んでいたな」


「彼が今どこに居るか知りませんか?」


「なんで俺がアイツの居場所を知ってなきゃなんねえんだよ? だいたい俺が知っていると思うのか?」


「いや、思わないですけど」


「じゃあなんで聞きに来たんだよ? まるっきり無駄足じゃねえか?」


「だって長い付き合いなんでしょう?」


「お前なあ、付き合いが長いからってだけで、飯屋の主人が普段何してるか知っているのか? ヤサとか知ってたりするか? 名前まで知っていたりするか?」


「いやまぁ、そんなには知らない……かな?」


「それで? その波止場に出してるラーメン屋がどうかしたの?」


 話が進まないことに業を煮やしたのか、あやが聖に聞いた。


「いえ、それが、ここ数日ほど屋台を出してないんですよ」


「そりゃ休むこともあるだろうが? 放っておいたらその内ひょっこり店出すって」


「だといいんですけど……」


「なんだよ? アイツになにか用でもあったのか?」


「ちょっと聞きたいことがあって……ただ妙な気配がするんですよ」


「なんだよ、曖昧だな」


 どうやらこの男は知らず『魔』の存在を感知しているみたいだった。


「乱ちゃん、暇なんだから、手伝ってあげればいいじゃないの」


「手伝うって……だいたい仕事でもなんでもないんだろ、それ?」


「まぁ……そうなんですけどもね。実は、これから彼の実家に行こうと思っているんですよ」


「おいおい話の流れが見えねえぞ。なんで素性もわからねえ男の実家が割れてんだ?」


「それがですね、彼のラーメン屋のルーツを調べてみたらわかったんです。彼が昔、修行したっていう中華料理屋が横浜にあるっていうんですよ。きっと彼はそこに行っているんじゃないでしょうか?」


「なんでそう考えんだよ」


「彼を昔からよく知るラーメン屋の主人が、そんな話を聞いたって教えてくれたんです」


「あー……なんかラーメン屋がいっぱい出てきてややこしいな」


「そのラーメン屋台の男を知る、横浜の古いラーメン屋の主人が、横浜の下町で修行してたんだそうで……」


「で? そいつがなんで『俺に関係ある』って思ったんだよ? 俺にそんな話を持って来たってことは、”裏”があるって目星付けて来たんだろうが」


「えっと……まぁ……そんな気がするってだけです」


「はあ? 確証も無いのに、わざわざそんな話を持って来やがったのか?」


「ええ……一応は耳に入れておこうかと思いましてね」


「んじゃあ、ダメだ。その程度の情報でいちいち動いてられっかってんだ」


「とにかく、その店の様子がわかったら、ここに電話入れますから、居なくならないでくださいよ」


 不破聖はそう言い残して出て行った。


「ちっ……忙しい野郎だ」


「でも確かにちょっと気になるのよね」


 あやがちょっと小首を捻ってそう言った。


「なにがだ?」


「最近、東京に続いてこの辺りも地価がうなぎ登りに上がっているんだけど……どうにも悪い噂が耐えない連中がのさばっているのよねえ」


「まぁ、大方その屋台のラーメン屋もその辺りのゴタゴタに巻き込まれてるんだろうよ」


「でもね、その中でも最近特に気になるのが、大規模に動いている背後の組織の動きなのよね」


 あやは手を小さく尖った頤に当てて続ける。


「そこが関与した件でね、行方不明者が8人、原因不明の死者が11人、自殺者が5人……」


「おいおい、半端な数じゃねえな。金に群がる連中の中に『魔物』に唆されたヤツが居るってのか?」


「まぁ、聖ちゃんが行けばその辺り燻り出せるかしら?」


「そう簡単に黒幕が出るとは思えんが……お前、さてはその下調べにアイツを行かせたな?」


「さぁ? なんのことだか?」


「まったく怖い女だぜ」


 俺はあやとは目を合わせないようにして煙草に火を点けた。

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