消えたラーメン屋 ー2ー

 煙草の火が消えた頃、丁度ポケットの中のトランシーバーがノイズ混じりでしゃべりだした。


『乱時郎さん、そっちはどうですか? どうぞ!』


 シーバーの向こうでは不破聖ふわ ひじりが期待混じりにそう言った。


「いい風だぜ。横浜ハマのネオンがキレイなもんさ」


『あー……そこからだとキレイでしょうねぇ……今日はもう出ないんですかね?』


「どうだかな……なにもねえならいちいち連絡してくんな。またなにかあったら連絡しろ」


『了解!』


 またごおと風が鳴いた。


 ふと……。


 鉄塔の端に影が見える。一つ……二つ……三つ……風に乗って羽音がしているのでまだまだ居る。カモメにしてはでかい……。間違いねえ。


 魔物だ。


「おいでなすったぜえっ!」


 俺はシーバーのスイッチをオンにして不破聖にそう伝えた。


『こちらでも確認しました! 排除を開始します!』


 やたら芝居がかったことを言って奴は通信を切った。


 いや、不破聖よ……排除を開始とか使ったことねえだろうがよ……。


「キィーッ!」


 低脳そのものの声を上げる魔物は、俺の都合などおかまいなしに飛びかかってくる。


「翼持つ猩猩……飛猿か……」


「キキィーーーッ!」


 斬ッ!!


 一閃。飛びかかって来た一匹の魔物飛猿を、喚び出した七龍刀で両断する。


 俺の七龍刀は龍の気に呼応してその姿を現す。


 故に、俺が出したい時に姿を現し、魔物を屠る。


 便利なのは便利だが、鞘走りの音もないんじゃあ、抜いた気にはなれねえ。


 こればっかりぁ、何年経っても慣れないもんさ。


「ギイイイッ?!」


 飛猿の野郎共は知能は低くても驚愕はするらしい。


「いつも通り人間を驚かそうとやって来たんだろうが、相手が悪かったなエテコー」


「キキキィーーーッ!!」


 仲間を喪って逆上した数匹が襲いかかってくるが、当然俺の敵ではない。


 次から次へとこちらの懐に飛び込んできてくれるのを斬ればいいだけの簡単な仕事になった。


 最近、建造中の横浜ベイブリッジで夜間の作業員が原因不明の負傷をする事件が頻発した。


 なにをどう調査したところで原因は解明できず「あや」を通して俺のところに調査の依頼が舞い込んできたわけだ。


 俺の生業は一応は探偵ということになっている。


 だが扱う事件は怪現象などが専らだ。


 人の世の闇に潜む”魔”を斬る――。


 それが俺の”仕事”だ。


「そらそら、雑魚をいくら斬ったところでなにがあるわけでもねえんだが、今回は特別だ。なにしろ御上の仕事で報酬がたんまりだ。悪いが稼がせてもらうぜ」


 とはいえ俺の周囲にはまだ飛猿どもがうじゃうじゃいやがる。


「ええい、鬱陶しい! 一掃する。出でよ『炎龍』!」


 俺は刀から『炎の龍』を呼び出し、周囲の猿共に紅蓮の火球を放った。

 立ち上る火柱の中、エテコー共は全て断末魔をあげるヒマすらなく消し炭になって消えた。


「さてと。おい、こっちは片付いたぞ。そっちはどうだ?」


『いや、終わったんなら早く降りて来てくださいよ!』


「あー? なんだって? ちょっと雑音がひどくてよく聞こえないんだが……」


『嘘でしょう?! そんなの絶対嘘ですよね?』


「こんくらいの下級も下級、底辺の魔物くれえよぉ、一人で退治できるようにならねえと、先々苦労すんぜ?」


『それにしたって数が尋常じゃないんですよ! とにかく早く来てください!』


「ち、しょうがねえなぁ……」


 俺は鉄塔の天辺から足を踏み出し、そして夜の闇へとダイブした。


「飛龍翼翔」


 俺がそう唱えると、身体が重力に逆らうように浮遊する。


 鉄塔の途中、狭い足場の上で不破聖が短刀を振り回していた。


 そんな振り方じゃあ、大根も切れねえぞ、不破聖。


「……にしても数が多いな。出でよ『雷龍』」


 俺はまた七龍刀から今度は雷龍を喚び出した。


 バリバリと音を立てて雷撃が十数体の飛猿の翼を、穿ち貫き、焼いて消滅させる。

 その開いたスペースに俺は降り立つ。


「っと、まあこんなもんよ」


 スリーピースのダークグレーにチョークラインストライプのスーツの襟を正して俺は言ってやる。


「乱時郎さん!」


「情けねえ声出すなって。無事なんだろう? どうせ」


 ダークブラウンのダブルのスーツに襟なしシャツの長身の青年……不破聖に俺はそう言った。


「とにかく助かりました!」


「半分くらいにしたから、あとは頑張れよ」


「そんなぁっ!」


「ほらほら、後ろからくるぞ」


「わあああっ!」


 慌てて短刀を横にないで、なんとか飛猿を一匹仕留める不破聖。


「もっと背後に気をつけな。コイツらは死角から飛んできて人を脅かすのが習性なのさ」


 と不適にも俺に飛びかかってくる数匹をぶった斬る。


「そんなこと言われても……くそ! このっ!」


「おーおー、斬れてる斬れてる! がんばれ」


「さっきみたいに『龍』で一気にやってくださいよ!」


「かまわねえが、飯奢れよ。『力』使うと腹が減るんだよ」


「あのいつもの屋台のラーメンでよければ!」


「あー、あいつの不味いラーメンか……」


「不味いって……その割にはよく行ってるじゃないですか」


「無駄口叩いてねえで、そら右! 左! また後ろ!」


 不破聖は短刀で飛びかかってくる飛猿を切りつける。


「まぁいい。とにかく交渉成立だな。出でよ『風龍』!」


 俺は七龍刀から『風の龍』を喚び出すと真空の刃が、うるさく飛ぶ猩猩共の身体を切り裂いていった。


「キィッ! キキキィッ!!!」


 逃げ惑う飛猿にかまいたちを浴びせて、最後の一匹を刀で仕留める。


「これで……終わりですかね?」


「他に気配は?」


「……感じません」


「なら問題ねえだろう」


「本当に? 大丈夫なんですか?」


「なににせよ今夜は終わりだ」


 そう言って俺たちはベイブリッジを後にする。


 不破聖。


 彼はこの横浜で探偵という名のいわゆる「何でも屋」をやっている男だ。


 なんでも学生の頃から人からの相談事を聞いているうちにいつの間にか探偵みたいなことをするようになったらしい。


 この男にはなぜか『魔』を感知する能力がある。


 おそらく「不破聖」という名前が原因であると見ている。


 ”その者、聖なるを破らず”という言霊がはたらき、魔に属するものを寄せ付けず、同時に近くに魔物がいればその存在を察知することが出来る。


 敢えてその能力に名前を付けるとするなら『絶対聖性』とでもいおうか……。


 その証拠に、不破聖はあれだけの魔物に襲われていても傷一つ負っていない。


 しかしまだ無自覚な能力で、高位の魔物や巧妙に素性を隠す物は感知できなかったりするのだが……。


 俺はそのことを告げずにいるので本人は魔物について不安だらけの様子だ。まぁ、その内機会があれば教えてやろうか。


 俺たちが仕事を片付けて倉庫街の先の埠頭に着いた時には、すっかり夜は深まっていた。


「あれ? あの屋台……今日は出ていないみたいですよ?」


「ああ? なんだあの野郎、サボってやがるな。せっかく客が食いに来てやってるっていうのに……ふてえ野郎だ」


「まぁ、今日は別のところで食べましょうか」


「いいぜ、金を出すのはお前だからな」


 俺たちは繁華街の方面へと足を向けた。


 時は西暦1986年――


 日本はバブル景気に浮かれていた。当然、横浜もそうだ。


 なにもかも……誰も彼もが我が世の春を謳歌しているようだった。


 だが光が強ければ闇もまた濃くなるように、繁栄の裏でなにものかが蠢いていた。

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