高い場所へ昇る男-3-

 さて。


 取るものも取りあえずあやの店に……と思ったが、よくよく考えてみれば別段慌てる必要もなく、俺は行きつけの喫茶『コロンビア』でモーニングを頼んだ。


 そして入り口のブックスタンドから今日付の新聞を取り上げてシートに放り出す。


 この店のモーニングってのはこれまた定番の内容だった。

 染み込むくらいたっぷりのバターを塗って焼かれたトーストに、ふやけて原形を留めていないクルトンが浮かんだコンソメスープ。

 それに薄くスライスされたタマネギ、糸のように細く千切りされたキャベツに、小さく切ったトマトを添えたミニサラダ。そして塩茹でされたタマゴに香り豊かなコーヒーも付いてたったの300円で済む。


 店内にはテレビなんて無粋なものはなく、ジャズのレコードが流れている。

 昔はジャズ喫茶なんてものが流行った頃の名残なのかはよくわからない。


 俺は煙草を吹かしながら固ゆでタマゴの殻を剥いていく。


 つるんと剥けたタマゴを口に頬張ると、俺は放り出しておいた新聞を拡げる。


 数ページめくっていくと、地元版の記事になり、そこに『三木藤建設横領の疑い・国税庁調査』の記事を見つける。


 捕まったのは社長の三木徹也(46)と現場責任者の江村正嗣(32)。

 社長の三木は現場の判断で行ったこと、現場の江村……あの餓鬼共の父ちゃんは「上からの命令でやった」と供述が食い違っているようだが。


「面倒くさいことにならなきゃ……ってもう遅いか」


 俺はそう独りごちると、サラダを貪り、そして少し冷めて落ち着いたトーストにかじりつく。


 東北は山形の田舎町から出て来た鳶職人の男が横浜の建設会社に所属して数年でどんな犯罪に手を染めたかっていうとだ。


 現場作業員の水増し報告。

 建築現場を取り仕切る大手ゼネコンから中小建設会社に職人の派遣が依頼される。

 例えばこの三木藤建設に100人の要請があったとしよう。

 当初はそれだけの頭数が揃えられないので、書類だけは居るように見せかけていた。

 しかし、80人ほど派遣しても100人分の報酬が支払われてからは会社も江村も目の色を変えた。


「このままちょろまかし続ければ、より儲かるんじゃないか?」


 まさに『魔』が刺した瞬間だ。

 そこから味を占めて、あちこちの現場でそれをし始めた。

 江村はその線の「エキスパート」として現場をいくつも掛け持ちした。

 そうなると各所の手当てもさることながら、会社からもいろいろと『心付け』ももらえたのだろう。

 いい気になって彼は悪事に手を染め続けた。

 ところがそれが世間に発覚してからは、トカゲの尻尾切りの如く、責任を押しつけられて切られようとしているのだろう。


 餓鬼共を父親に会わせようとした矢先にこんなことが起こったのだ。

 不破聖が慌てるのも無理はない。


 気が付くとラッキーストライクが灰皿の上で真っ白になっていたので、それを揉み消すと流れる動作でもう1本を取りだして火を点ける。

 今日の分の新聞をざっと目を通すと、次に数日前からの新聞を探して来てそれも記事の題を流し読みしていく。


「なんだ? ねえなぁ」


 先だって例のラーメン屋が見つけた撲殺死体の記事がない。


 あまりにも、なさ過ぎる。


 ここは頼りたくはないが、あやから聞き出すか。

 いくら取られるかわかったもんじゃないが。


 それから俺はコーヒーを飲み干すまでゆっくりと煙草をふかして、それから店を出た。


 その日、俺は妙なツキに恵まれたのか、そのままふらりとパチンコ屋に入ると、これがまた打ち始めてからすぐに掛かって驚く程出た。

 昼までの数時間で時給二万五千円てところだ。

 ほくほくと俺は一度アパートに戻り、交換した大量の景品を置いて、あやの店に着いたのは午後3時になろうかって頃だった。


「遅いですよ! 一体なにやってたんですか?」


「ていうか……なんで俺があの餓鬼共のことで呼び出されねえといけねえんだよ」


 あやの店には不破聖とあやだけだった。


「餓鬼共が居ねえのは静かでいいねぇ」


「はい。2人は母さんに預けてきました」


「聖子ちゃん……ね」


 聖の母親、その名も『不破聖子』。

 スナックを経営しており『桜木町の聖子ちゃん』と称される近隣でも噂のママさんだ。

 この子にしてこの母あり、で困った人間を見かけると片っ端から首を突っ込んで面倒を見ていくのだ。

 俺はどうもこの手の女は苦手だった。


「で? 俺を呼んだ理由ってのぁ?」


「もうすぐ帰ってくるわよ。あんたが遅いから、出て行ったのよ」


「てこた、マサカマがなにかネタでも掴んだのか?」


「だから、急いで来るように聖ちゃんに伝えておいたのに……こんな時間までなにしてたのよ?」


「なんだっていいだろうが。俺にだって都合ってもんがあらあな」


「ふぅん……で? いくら勝ったの?」


「ああっ!? なんで知って……」


 思わずそう言ってしまった。

 やられた、と思ったが最早後の祭りでしかない。


「てめえ、カマかけやがったな!」


「あのねぇ、あなた今日どんな顔で店に入ってきたか知ってる? 見るからにいいことがありましたってほくほくの顔してたわよ」


「ちっ……別にいいだろうがよぉ」


「それにつぎ込むお金があるなら、ちょっとは返済して欲しいものだわね」


「やかましいやい。ならそんだけの仕事回せよ。今の稼ぎじゃあ返せるもんも返せねえや」


「はいはい。まあ、そのうち見繕ってあげるわよ」


「いいな? 最低100万だぞ?」


「贅沢ねぇ。選べる立場だと思って?」


「思っているよ」


「あのねぇ……」


「なんだよ、低すぎるのか? ならもっと高くても文句は言わねえ」


「そんなわけないでしょ? 高すぎるのよ」


「んなみみっちい仕事したってよぉ……」


「今は大量受注大量請負薄利多売が儲けの鉄則なのよ」


「高い技術には相応の対価が払われるのが然るべきなんだ。安売りだけで勝負していきゃあ、いずれ経済が破綻するんだよ」


「なら破綻するまでは安売りしてもいいってことでしょ?」


「そういうのぁ屁理屈って言うんだよ」


「屁理屈突きつけてきたのはそっちでしょうが?」


「覚えがねえなぁ」


「まったく……とにかく! 今日はその仕事に繋がる話だから、おとなしく待ってなさいよ」


「もう待ってるよ……おい、灰皿」


「聖ちゃん、この馬鹿に出したげて」


「あ、はい……」


 聖は長身を利用してカウンターの奥に手を突っ込んで灰皿を取り出した。


「どうぞ」


「おう」


 俺はラッキーストライク、そして聖はマルボロを吸い出した。


「あの……一体いくらあるんですか? 借金」


「言えばおめえさん、払ってくれるかい?」


「まさか、冗談でしょう?」


「結構本気だったんだが」


「やめてくださいよ」


「なら興味本位で他人のプライベートに首を突っ込むんじゃねーよ」


 それから幾本かを灰にしたところで、入り口のドアベルが鳴った。

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