女学校の眠り姫 -2-
「ねえ、先生。『人という文字は人と人とが支え合っている』なんていうのは、結局のところ人は誰かと依存し合わないと生きていけないという、個人主義の敗北を意味しているんじゃないかしら?」
「また随分と難しいことを考えているんだな、お前さん」
先生は煙草をくゆらせながら、少しだけ面倒くさそうにそう言うのだ。
先生の喫煙タイムにお邪魔してのちょっとした語らいの時間は、ここ数日のお昼休みの日課になっていた。
「そりゃ思春期ですもの。いろんなことを考えるわ」
『私』は校舎の壁にもたれて、そして先生は窓枠に肘を突いて、煙草を吹かす。
昼休みのほんの一時、渡辺先生とのおしゃべりするのが好きだった。
先生は『私』が転入してきた、少し後に赴任してきた英語講師だ。
長身でダークグレーにチョークストライプの入った三つ揃えのスーツがよく似合う。
目を半分覆うかのような長い前髪に黒縁のメガネをかけているんだけど、全身から漂う危険な感じのイケメンオーラは隠しきれていない。
『私』はこの先生の少し前というほぼ同時期にこの学校に入ってきたせいだろうか?
この先生に対して妙な仲間意識が芽生えてよく話をするようになった。
先生曰く、『私』が一方的に絡んできたそうだけれども。
1週間そこそことはいえ、『私』は転入の先輩として先生と仲よくする義務があるのだ。
そんな自分勝手な理由だったけど、毎日、私は先生に小難しいことや日常の些細な疑問を投げかける。
先生はイヤな顔一つせずに聞いてくれた。
ううん。もしかしたら究極のポーカーフェイスで、内心では嫌々聞いているのかもしれないけれど。
そんなのお構いナシに『私』は話しかけるのだ。
「そもそも『人』という文字は『1人の人間が歩く姿を写した象形文字』でしょう? 支え合う、だと解釈がかなり違ってくると思うの」
「まあそうだな」
退屈そうに先生の吐いた白煙が、するすると宙空を昇っていき消えていく様を見るのも好きだった。
消えてしまった跡は誰にも気付かれずに空気に溶け込む。
それは『人』の人生にも似ているように感じられて、その儚さこそがなんとなく愛おしくも思うのだ。
「それで? お前さんは人が支え合うってぇのには否定派なのか?」
「いやだわ先生。『私』個人としては支え合うって考えはそれはそれはとてもとても素晴らしいことだと思うわ。だけど漢字の起源を考えれば、その教え方はなにか違うんじゃないかしら? というごくごく一般的な疑問を投げかけているのよ」
「悪いが、そういうのは国語の先生に質問してくれ」
「くすくす、そうね。渡辺先生は英語の先生だったものね」
最近赴任してきた渡辺先生の担当教科は英語だった。
言葉遣いがぶっきらぼうな教え方はともかく、英語の発音はかなりネイティブに聞こえる。
しかも結構イケメンなので生徒たちの人気も高い。
「先生は海外での暮らしが永かったのよね? どこの国に行ってたの?」
「さぁてな。どことも知れずあちこちの国を渡り歩いたからな」
「へええ。もしかしてバックパッカーってやつ?」
「ばっく? あ? なんだそれ?」
「知らない? リュック一つで世界中を旅する人みたいな」
「そういうのじゃねえな。多分」
「でも、とっても英語が上手だから、多分英語圏よね? アメリカ?」
「ああ。アメリカも行ったな」
「ふぅん、アメリカも、ってことはイギリスは?」
「イギリスも行った」
「そうなんだ! どうだった?」
「どうって。特に何も変わらねえよ。そこに人が暮らして、いろんな問題を抱えてる。なにも変わらん」
「なにそれ? じゃあ何年くらい行ってたの?」
「さあな。忘れた。お前の産まれる前からなのは間違いない」
「へぇ~。それであの綺麗な英語のイントネーションなんだぁ」
「綺麗かどうかは知らねえが、お前らにそう聞こえるんならそうなんだろう」
「うんうん。クラスのみんなも言ってたよ。先生の声、すっごくいいから、つい眠っちゃうって」
「それは……全然よくないんじゃないか?」
「あ、あははっ、そうよねぇ。『私』としたことが。今のはなし。忘れて。ね?」
と両手をぶんぶんと振る私を見ながら、先生は煙草の火をコンパクトタイプのポケット灰皿で揉み消した。
「それで? あの件はなにかわかったのか?」
いい声をちょっとだけ低くして先生は聞いてくる。
「例の、眠り姫たちのことは?」
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