女学校の眠り姫 -13-

 私の意識が戻ったのは、彼……渡辺先生……いいえ……。

 あの人は、確か……乱時郎と名乗ったかな?

 そう……。

 魔斬りの乱時郎……九頭龍乱時郎と名乗った彼が、学校を去ってから数日以上過ぎた後だった。


「未知子さん?! もう大丈夫ですの?」


「編入していきなりこんな奇妙な事に巻き込まれて……大変でしたわね」


「それで……寝ている間、お身体に問題はありませんでしたの?」


 とクラスに入るとみんなが心配そうに声をかけてきてくれる。


「はい……身体の方はなんとも……それよりも……」


 私は気になる事をクラスメイトのお嬢様方に聞いた。


「九条院さんは……」


 そう。あのお嬢様について、私はだいたいのあらましを聞いてはいた。


「陽菜子さんはまだ衰弱が酷いみたいで……」


「でも、先日お見舞いに行ったらやっと面会が叶いまして……意識は戻られたみたいでしたわ」


「案外お元気そうで安心致しましたわ」


「食事もお摂りになって、元気も取り戻されているご様子でした」


「そうなんだ……よかった……九条院さん、無事だったみたいで」


 私がそう安堵の息を吐いた時だった。


「未知子さん。1つよろしくて」


 そう言った彼女の声音が少し厳しくなったように感じた。

 なにか私、変な事を言ったかな?


「私どもの学校では、お互いを呼ぶのは苗字ではなくて、名前で呼び合いますのよ」


「えっ?」


「そうですわ。あなたももう私たちとお友達なのですから、是非とも名前で呼んでいただきたいですわ」


 記憶の中、『私』だけがそれも知らずにみんなを苗字で呼んでなかった。


「そ、そう……だったんだ……」


「はい。やはり外の方は慣れませんでしょうが、私たちはともかく陽菜子さんはそう呼んで欲しいと、思ってらっしゃるはずですわ」


「わ、わかった……その……出来るだけ……呼ぶようにしてみる」


「そうしてくださいまし」


 そんな話をしているうちに予鈴が鳴って、「それではまた後ほど」と会釈して彼女たちは席につく。

 それから私は昼休みを待って、中庭に向かった。

 そこで彼女はいつもの瀟洒なベンチに腰掛けて、文庫本を開いていた。

 私が近づくと、本を閉じてこちらを見る。


「やあ。来ると思っていたよ」


「はい。え~っと……摩耶さん、ってお呼びしても?」


「あははっ! いいよ。この学校の習わしだものね。私も未知子さんって呼んでも?」


「その……いきなり下の名前って結構恥ずかしいんですけど……」


「その恥じらう表情も悩ましいね」


「そ、の、そういうのが恥ずかしいんですよ」


「慣れてもらわないとね。それで? わざわざ挨拶に来てくれたの?」


「あ……いえ。私、あなたにいろいろと失礼なことをしたから、それを謝ろうと思って……」


 私が人見さんと初めて話をした時、彼女に失礼な態度を取った事を詫びたかった。

 それに、その後『私』が彼女に罪を着せようとしていたことも……。

 これは私が謝るべきことなのかどうなのか、少し迷ったけれども……。


「失礼なこと……ふぅん……それはキミが? それとも、もう一人のキミが?」


「えっと……この場合は……どっちも……」


 私には、私が眠っている間の『私』の記憶がきちんと残っていた。


「私は気にしていないよ」


「本当に?」


「本当だよ。それよりも、私には他に気になっていることがあるんだ」


「他に? 一体それは……」


「キミのことだよ」


「私?」


「そう。私にはね、『魅了チャーム』と呼ばれる力があるんだ」


「はあ……」


 なんだかそんな事を先生が言っていたような記憶がある。


「まあ、実感なんてわかないよね。いきなりファンタジーだもの」


「いえ、そんな事を言ったら魔物も眠り姫も大概ファンタジーですよ」


「確かにそうだね……あの先生、って言えばいいのかな? とにかく彼が言うには私のは先天性の魔眼って呼ばれるモノらしい」


 魔眼……ますますファンタジー染みてきた。私がこの学校に来てから日常の概念が日々損なわれていく。


「私自身、薄々勘付いては居たんだけど、彼ってそういうのの専門家らしくってね」


 あの先生……つまり渡辺先生のことだ。

 彼は確か……乱時郎と……そう名乗ったはずだ。

 魔斬りの乱時郎と……。


「その私の魔眼で、見徹すことの出来ない女の子がある日突然に現れた」


「見徹す……ですか?」


「うん。なんていうのか、私はね、魅了した相手の心が私にわかるような、そんな感覚があるんだよね。どうやらこのほくろのせいらしいんだけどさ」


 そう言って摩耶さんは左眼の下にある2つ並んだほくろを指した。


「これのおかげで、特に深く知りもしない女の子から迫られたり、一方的に惚れられて後をつけ回されたり……いろいろあったんだ」


 そこでようやく私は彼女の身について回るスキャンダラスな噂の真相を理解した。


「そっ、そんなこととは知らずに、私ったら……」


「いいんだよ。それにまるっきり誤解ってわけでもないからね」


「えっ?」


「つまり、気に入った子はこの眼を使ったこともあるし」


「ええっ!?」


「だから、この目を使って落とせなかった事があるのはたった一度だけだ」


「はあ……」


「いや、そんな他人事みたいに……」


 と思って彼女を見ると、その熱を帯びた瞳で私を見つめていた。


「えっ……? それって……つまり……私ぃっ?!」


「あれ? まだ気付いてなかった?」


「って……あっ……あああっ!?」


「ごめん、一応ここお嬢様学校だから、あまり大きな声は……」


「あっ、す、すいません……」


「そのおかげでキミの中の欲望が肥大化しちゃったんだけどね……ってこれは彼の……そう、乱時郎さんの受け売りだけどね」


「彼は……先生は……どこに?」


「さあ……横浜のどこか……自分の居場所しごとに戻ったんじゃないかな?」


「そう……」


「なにか? 心残りでも?」


「せめて、お礼を言いたかったなって……」


「そうか……そうだよね……」


「あの……気のせいかさっきから顔が近くないですか?」


「いや、だって癪じゃないか。こんなに口説こうとしているのに他の男の話だなんて」


「ええっ!? 口説くって……わ、私をっ!?」


「さっきからそう言っているのに」


「あっ、あの……そういうの……私、よくわからないから……」


「じゃあ、私が教えてあげるよ」


「そっ、そういう冗談ばっかり言っているから誤解されたりするんじゃないんですかっ?」


「残念ながら、冗談じゃないんだよね」


「だから顔が近いですって! 息づかいも……なんかやらしーし!」


「嫌なら嫌って言ってくれればいいんだよ」


「い……嫌っていうわけでは……」


「じゃあいいんだ?」


「ズルイです! 私、本当にそういうのよくわからないから……」


 私は摩耶さんの身体を押し退けようとして両手を突き出した。そんな私の態度になのか、彼女は少し溜め息をつく。


「はぁ……わかった……脈があるって思っていたんだけど、やめるようにするよ」


「ですからぁ、いきなりってのは……やっぱり困るんです」


「ん? いきなりじゃなきゃいい?」


 そう言ってまた顔を近づける。

 なまじ見た目がいいから、あまり顔が近いとドキドキさせられてしまう。


「そういうことじゃないですから……その……せめて……まずは……友達……からっていうのじゃ……」


「えっ?」


 今度は彼女が驚く番だった。


「その……だから……」


 なにか言おうとして身体が熱くなる。


「最初は……お友達から……じゃ……ダメ……ですか?」


「うん……」


「えっ……?」


「うん、うんっ! いいよ! 友達で!」


「いや、だから顔近い! 友達の距離じゃないですし!」


「ふふっ、ごめんごめん。あんまりうれしくって……それじゃあ、よろしくね」


「わ、私こそ……その……お願い……します……」


 ドキドキと心臓の早鐘とは別に鐘が鳴り響いた。


「お昼休み、終わりだね」


 こうして私は摩耶さんとの友好関係を結ぶ事となったのだ。

 それから数日後、九条院さんたちもすっかり快復し、私もこの女子校生活に慣れ親しんできて、みんなは日常を取り戻していった。

 そして、あの先生の事も、『私』のことも、いつの間にかみんなの記憶から消えていった。

 だけど、私にはかつての、『私』だった時の記憶が残っている。

 全てが終わった今、私は奇しくも『私』のおかげで友達を作る事が出来た。

 自分ではよくわからないけれども、摩耶さん曰く、かなり積極的に人と接するようになったらしい。

 だから、こうも思うのだ。

 私がこうして友達と過ごせるようになったのは、結局『私』のおかげだと。

 それと……。

 英語の臨時講師の先生のおかげだと。

 それを知るのは私と摩耶さんだけだった。

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