不破聖編
不破聖という男 -1-
まず俺は感謝しないといけない。
信じがたいこの話を読んでくれる諸君らに。
九頭龍乱時郎という信じがたく不可思議な男に。
そして彼に引き合わせてくれた不破聖という男に。
*
俺の名前は『
上から読んでも下から読んでも『真坂真』。
そして「まさかと思うところに真実がある!」がモットーのルポライター、真坂真でもある。
ここ数年、なにかにつけて顔を突き合わせてきた俺たちだったが、あの不破聖がここまで怒りを露わにするのを見るのは初めてだ。
まあ、捜索依頼を請けた人物が死体となって発見されりゃあ、怒りたくなるのもわかる。
事件記者なんてものをやっていると、犯人と被害者のそれぞれの事情なんかも知ることになる。
そうすると「なにもそこまでしなくても」という思いや「そうなってしまうよな」なんて同情も浮かび、さらには「周囲はそれに対してなにも出来なかったのか」という疑念が生まれる。
やがては、じゃあこの凄惨な事件はいつ、誰が、どこで、どうやって、止めることが出来たのか?
とりとめのないことが俺の狭い頭の中をグルグルと高速回転する。
それでも俺は唯一と思われる真実を見つめ、事実をひとつひとつ整理して伝えるだけだが、聖のヤツはそれだけでは済まない。
依頼人に残酷な事実を伝えなくてはならない。
こればっかりは心中推し量ることが出来ても、そのダメージまで感知することは出来ない。
だからこその『怒り』なんだろう。
子供の頃から「探偵になる」というのがそいつの夢だったという。
高校二年の進路相談の時、担当の先生に「俺は卒業したら探偵になります」と面と向かって言ったとか。
この話は同じ学校の同学年に在籍していた俺、真坂真の耳にも入ってきた。
その話を聞いた俺はなんと思っただろうか?
今では忘れてしまったが「馬鹿だな」と思ったに違いない。
嘘でもいいから「大学に進学します」と言えばいいのに……と世渡り上手を気取って考えたのだろう。
その後、都内某大学の社会経済学部を卒業し、いくつかの新聞社や出版社を渡り歩いた後の俺の行動を考えると、お世辞にも俺自身は世渡り上手とは呼べないので本当にそう考えたかどうかは定かではないことにしておこう。
さしあたって俺のことはどうだっていい。まずは不破聖について説明しよう。
俺が不破と再会したのは、ある事件の取材をしているときだった。
地下鉄沿線の住宅街で女性の腐乱死体が発見された。死後七十日を経過しており、あたりには死臭が漂っていた。まだ初夏とはいえ、結構な気温が続いていた頃だ。遺体の痛み方も大したもんだったろう。
実際捜査員の何人かは青ざめた顔で家から出てきた。その中の一人とすれ違いざまに、胃酸の酷い臭いがしたところを見ると、おそらく見えないところでしこたま胃の中のものをぶちまけたに違いない。
可哀想に。
しばらく食事はまともに出来ないだろう。
価格の割には低性能の、しかも重いカメラで周辺の写真を取り終えて、その住宅から出てきた担当捜査官が伝える情報をメモに書き綴る。捜査官は話を終えると、車に乗り込んでいささか乱暴にドアを閉め、数人の部下と共に走り去った。
だいたいその後、記者連中が周辺で聞き込んだ情報を交換するのだが、その輪に入りそびれた時に、突然後ろから声をかけられた。
「これってさ、どういった事件なの?」
事件現場にこういった手合いの者は多い。
野次馬出歯亀などに声をかけられるなんてのは、しょっちゅうだ。
更に広報の捜査官の話を聞きそびれた記者なんかも声をかけてくる。
俺に声をかけてきたのは痩身の男だった。背は俺とほとんど同じ180センチ前後。
ダークブラウンの上下スーツにミルクティー色のカラーレスのシャツにノーネクタイのスタイルに彼の服装のセンスの良さが伺える。
フリーのライター間では競争が激しく、なかなか自分の持っている情報は、たとえ顔見知りにでも伝えたりはしない。実際、俺の数歩先で情報交換している連中も、仲よさげに話をしているように見えるが、その実腹の探り合いだ。だから俺はこいつが若手のリポーターか何かだと思って、少し邪険に言い放った。
「残念だったなネタが欲しけりゃ、もう少し早くくればよかったのに」
「いや、何もアンタのネタをくれって訳じゃない。俺はただの……」
そういってソフトジャケットの内ポケットから一枚の名刺を俺に差し出した。
あまり出す機会がないのか、少しくたびれた名刺には素っ気ない文字でこうタイプされていた。
『不破探偵事務所
探偵 不破聖』
「不破聖?」
俺は見覚えのあるその名前に多少場違いで素っ頓狂な声を上げた。
「…………?」
向こうは一体何を驚かれているのか訳が分からず困惑した表情だ。
「覚えてないかな? 俺だよ、マサカマ。真坂真だよ!」
そう言って俺はジャケットのポケットをまさぐり名刺を出した。出してから俺の名刺も不破のに負けず劣らずくたびれているのに気がついた。
「あー……」
記憶のファイルの奥から俺の名前を見つけだしたようで、聖は懐かしげに目を細めた。
「すげーな。マジで探偵やってんだな」
進路相談で探偵になりたいって言ったヤツがいるという噂を耳にしていたが、本当になっているのに俺は心底驚いた。
「ああ、まぁな」
高校の同級生といっても、クラスも違えばお互い名前くらいは知っているって程度の間柄だ。
再会の喜びも何もあったもんじゃなかったが、死体が発見された現場の近くで長話をするつもりもなく、俺達は少し歩いて人気のない喫茶店に入って話をすることにした。
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