閑話休題その2

乱時郎、夢日記

 眠りに落ちる。

 深い深い眠りに落ちる。

 こう言う時は大抵の場合、非常に不快な夢を見る。

 九頭龍乱時郎はその”龍”としての能力ちからを使うとその代償として休眠期間を必要とする。

 一度眠りに落ちると、次にいつ目が覚めるかわからない。


 だからこそ、彼はその能力を必要以上に使うのを渋ることがある。


 若い頃、武者修行の旅を続けている内に天明の大飢饉最中の東北を放浪することとなった。

 その際に、ある男からよくわからない肉を差し出され貪り喰った。

 それが何の肉だったのか、今となってはわからない。

 ただ、あれからしばらくは何を食べてもすぐに吐き戻した。


 空腹と嘔吐……異なる二つの苦痛がずっと身体を蝕み続ける。

 それでも腹は減り、喉は渇く。

 乱時郎は山中を彷徨い歩いた。

 歩き続けている内に、とある谷へと出た。

 崖の下にはなんと、全ての川が乾ききったと思っていたのに水が流れている。


「あ……ああっ……」


 胃の中が空っぽで喉も口の中も乾上がってしまっていた。

 永い空腹は彼から思考力も誇りも奪い去っていた。


(このまま谷底へ……)


 ある意味それは自殺願望にも似た心境だったのかもしれない。

 もしかしたら、死んでもいいから水を飲みたいという意識が働いていたのかもしれない。


 とにかく、彼は、身体を引き摺って谷底へとその身を投じたのだった。


 深い深い不快な暗闇の中を漂い続け───。


 目が覚めたそこは小さなむらだった。


 本当に、小さな小さな山間の集落だ。


 小さいが、のどかで温和な邑だった。


 そこでは子供達が笑って暮らしていた。


 腹が減ったと泣く子供も、それを叱り喚く大人も居なかった。


 メシがあって、家があって、貧しいが衣服が整えられていて……。


 何よりもみんな優しかった。


 そこは小さいが楽園だった。


 朝となく昼となく夜となく、子供達と人々の笑い声が絶えない邑だった。


 全ての村や国が、こんな風になればいいと、本気で思った。


 乱時郎はそこで、初めてその身に『聖龍』を宿したことを伝えられた。


「俺にその力があるのなら、人々の為に役立てたい」と乱時郎は再び旅に出る。


 小さな理想郷の姿を胸に抱きながら、彼は苦難の旅を続けた。


 旅の途中、彼はとある土地に流れ着いた。

 そこで出逢ったのは『三の姫』だった。

 彼女はその土地の豪族の娘だった。

 そして、彼女はある宿命に縛られていた。


 この地に巣くう魔物『大蜘蛛』の人身御供になるという宿命が。


 まだ年端もいかない小さな姫だったが、既にその宿業を受け入れていた。

 自らが犠牲になって、その土地の民が幸せに暮らすことが出来るなら安いものだと言って笑った。


 乱時郎は豪族の当主に頼まれて大蜘蛛退治を請け負うこととなった。


 何よりも彼は三の姫を助けたかった。

 彼女を救いたかった。


 だから、彼は戦った。


 乱時郎は戦った。


 だが、彼はまだ『龍神』の能力ちからを使いこなすことは出来ていなかった。


 それに何よりその『大蜘蛛』は手強かった。


 おそろしく巨大な大蜘蛛を相手に必死に、懸命に、頑なに、戦った。


「俺に『龍』の能力が眠るというのなら! この時、覚醒しめざめてくれ!」


 そう願った。


 何度も何度も願った。


 叫んだ。


 何度も何度も声が涸れるまで叫んだ。


 しかし、大蜘蛛は強く、怖ろしく、そして狡猾で、残酷だった。


 人身御供を差し出す約定を違えたとして、三の姫の生命を奪った。


 大蜘蛛の巨大な奇怪な爪が、三の姫の小さな身体を貫いた。


 その後の事は、なにも覚えていなかった。


 当主から後で聞いた話によると、彼の身体が眩い光を発して、土蜘蛛を消滅させたのだという。


「乱殿……」


 姫は事切れる前に短い言葉を残した。


「どうか……この国の……行く末を……見守りたもう……」


 痛かっただろう。

 苦しかっただろう。

 辛かっただろう。


 なのに彼女は口の端から血を流し、それでも彼に微笑みを向けた。


 なぜ彼女が笑えたのか、百年以上経った今でも乱時郎には理解出来ない。


 ただ、最期の最後……ほんの一瞬でも、彼女が宿業から解放されて幸せになったのだと、そう願い、また自分に言い聞かせることしか乱時郎には出来なかった。


「あーん! わぁ~ん!」


 どこかで子供が泣いている。

 腹を空かせて泣いている。


 大飢饉の最中、行く先々で耳にした、哀しい泣き声だ。

 苦しい泣き声だ。

 忌まわしい泣き声だ。


 誰が悪いわけでもない。

 何がダメだったわけでもない。


 ただ作物が実らなくなってしまった、その状況で、一体、誰が、何を出来たというのか?


 藩は自分たちの食い扶持を確保して立て籠もり、幕府おかみは動かない。

 それどころか腹を減らした連中がお江戸には入れないようにしたという。


 彼にはそれが理解出来なかった。

 彼にはそれが我慢ならなかった。


 この国をどうすればいい?

 どうすればこの国で子供が泣かなくて済む?


 この国でなにをすれば、飢えがなくなる?


 幼い姫から託された願い───。


 この国の行く末を見守る約束───。


 それを果たし終えるまで、この生命が消えることはないのだろうか?


「あ~ん! あ~ん!」


 また、どこかで、子供が泣いている───。

 腹を空かせて泣いている───。




「ああーーーーーっ! うるせえっ! 誰だよ、餓鬼を泣かせてるのぁよぉおっ!」



 *



「あ、乱時郎さん! 起きたんですね」


 と、不破聖の野郎がとぼけたことをぬかしやがる。


「起きたんじゃねえよ、起こされたんだよっ! まったく……おかげで夢見が悪いったらありゃしねえぜ!」


「今日はまた一段と機嫌が悪そうですね」


 肩をすくめるマサカマに俺は言ってやる。


「機嫌の問題じゃあねえ、夢見が悪いって言ったろうがよ!」


 そして泣いている餓鬼が……小さな女の子と、それを一生懸命に、自分も泣きそうになりながら宥める男の子……。

 おそらくは兄妹だ。


「なんだ? この餓鬼共ぁ?」


「聖ちゃんが連れてきたのよ。ついさっきね」


 あやの説明に俺は思わず鼻で嘲笑う。


「はっ! 餓鬼が餓鬼を連れてなにしてんだよ?」


「だ、誰が餓鬼ですかっ!」


「ほぉら、餓鬼はみんなそう言うんだよ……で?」


「で? とは?」


「そんな餓鬼拾ってきてどうすんだよ。とっとと警察にでも連れて行って引き渡すのが筋ってぇもんだろうがよ」


「それが……」


「ちっ……まったく……ここに連れてきたってことぁワケありってこったろうがよ! 話が遅えんだよ、この鈍間っ!」


「わかってんなら聞かなくてもいいじゃないですか……」


「とにかく! 面倒見るってんならぁ、お前が全部面倒見ろよ。ピーピー泣かすんじゃねえ。耳障りな」


「いや……そんなこと言われても」


「おい、餓鬼ども。腹ぁ減っているのかい?」


 男の子はこくんと頷いた。


「おい、あや! なんか食いもんだ」


「あのねぇ、そんなの急に言われたってないわよぉ。レタスだけのサンドイッチならすぐに作れるけど」


「んなもん、こいつらの腹の足しになるかよ」


 俺は餓鬼共に向き直る。


「おい。おめえら。ラーメン食うか?」


 子供達は元気に頷いた。

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