不破聖という男 -8-

 どうやって入って来たのかはさっぱりわからないが、窓を割って部屋に入ってきたのは、あの地下のバー『あや』で会った渡辺という男だった。


 身に纏うダークスーツはチョークラインストライプの入ったスリーピースで、手には刀のような物を持っている。

 この部屋の窓ガラスを叩き割った得物だ。


 今し方の彼の名乗りをそのまま聞くとするなら彼の名前は渡辺乱時郎ということになる。


 そんなことはどうでもよくって、あの瞬間、とにかく俺は救われたわけだ。

 窓ガラスが割れて、あの渡辺を名乗るが入って来たと同時に、目の前の扉が開いて、床に寝転がっていた俺に当たった。


「いってぇえっ!」


「あっ……すまん」


 そう言ったのはチョコレートブラウンのダブルのスーツ姿で長身の男……。


「不破聖っ!?」


 扉を開けたのは不破聖だった。


「なんだってここに!?」


「説明は後だ」


 まあそうなるわな。


「ぐぎゅるるるるるぅうっ!? 貴様ぁあっ! どうやって結界を破った!」


「破るもなにも、コイツが見えねえのかい? コイツで斬ってやったんだよ」


「ぐぎぃいいいいっ! ぎ、ぎざまぁああああっ!」


「おい、聖よぉ。こいつぁ完全に墜ちちまってるぜ」


 渡辺はそう言うと、その切っ先を、月島美憂に向けた。


「仕方ありません」


 聖が頷くのを見て、渡辺は両手で刀を水平に構えた。


「欲にまみれて『魔』に堕ちた哀れなるモノよ……」


「えっ……な、なんだ? なにが起こってんだ? 不破?」


「汝が魂、解放せんっ!」


 カッ!


 彼の手にしていた刀が眩く光った瞬間───。


「ぎぃぎゅぁあああああああっ!」


 月島美憂が……いや、月島美憂であったモノが苦しみだした。


「あばよ」


 ザシュッ!


 聞くだけで怖気だつような奇怪な音が部屋に響く。

 俺は飛び散る鮮血の幻を見た。


「ひぃいっ……って……あれっ?」


 今、彼の日本刀で月島美憂が斬られたはずだった。


 しかし、そこに月島美憂の姿はなく、かつて月島美憂だった成れの果てがサラサラと、フワフワと、光の粒になって消えていった。


「な……なんだよこれ……なんだってんだよ?」


 俺にはまったく何が起こっているのか皆目わからないでいる。


 そんな俺に渡辺はこう言った。


「お前の望み通りだよ」


「あ? なんでこれが俺の望み通りだっていうんだ!」


「まさかと思ったことが真実……まさにその通りだろうが」


「そ……そんな……」


 俺はこの瞬間まで知らなかった。

 およそ、普通に生きている99.9%の人々がそんなことを知ってはいない。


 この世に『魔』と呼ばれる存在が居て、そしてそれを密かに退治している連中がいるということを……。


「だからって……一体、なんなんだよぉ、これはよぉ……」


「ちっ……おい」


 彼はあごをしゃくって聖に合図した。


「なんとかしろ。あとは任せたぜ」


「わかった」


 気が付くと彼の手からはあの日本刀は消えていた。


「俺は先に帰る」


 そう言うと彼はドアから出て行った。


「大丈夫だったか?」


 俺は聖にそう声をかけられても、なかなか目の前で起こった事を受け入れられずにいた。


「わからねぇ……まだ頭がぼんやりしている」


「そうか」


「なあ……」


 俺はまだぼんやりとした頭で、懸命に情報を整理しようとした。


「一体、ここでなにがあったんだ?」


「見ていたんだろう?」


「見ていたさ」


「なら、見たとおりだ」


「わからねえ……わからねえよっ!」


「とにかく落ち着け。」


「これが落ち着いてられるか!」


「……」


「だいたいなんなんだよ! お前のサングラスでエラい目に遭ったんだよ!」


「そうか。悪かったな」


「ていうかなんであんなもの持ってんだよ!」


「いや、あれはただのサングラスだ。ディスカウントスーパーで980円の」


「ウソをつけ」


「ウソじゃない」


「じゃあなんであんなものが見えたんだよ!」


「わからない」


「わからないだぁ?」


 俺はこんなわけのわからないことに巻き込まれたことに腹を立てていた。

 だが、心の奥ではわかっていた。

 俺が巻き込まれたんじゃない。

 俺自身が首を突っ込んだ結果がこれだっていうことに、気づき始めていた。


「……なんだよこれ……」


「……」


「なあ、聖……教えてくれよ」


「……いいんじゃないか? 忘れた方が……」


「忘れろっつって忘れられるモノかよ!」


「今起こった事は見たまんまだ。『魔』に心を食われて身も心も魔物になってしまったんだよ。月島美憂は」


「だからって殺してしまっていいのかよ!」


「魔物に芯まで食われた人間は、殺すより他に救う道はない……だから出来るならそうなる前に助け出したかったんだが……」


「なんだよそれ……本当に……なんなんだよ」


「乱時郎も言ってたろ。まさかって思うことに真実があるって……お前の言う通りだよ」


「はぁーーーーーーっ……」


 俺は肺の空気を吐き出した。

 そしてとりあえず落ち着こうとジャケットの内ポケットから煙草を取り出す。


 少し散らかってはいたが、元々応接室だったから、程よい所に灰皿が転がっていた。


 口に咥えて火を点けようとしたところに、目の前でジッポーの火が灯る。


「サンキュ」


 見れば聖もマルボロを取り出して吸い出している。


「はぁ~~~~~……これがお前たちのってワケなんだな?」


「そういうことになるな」


「ちっ……未だによくわからん。あとであの乱時郎とか言う人にも話をさせてくれ。聞きたいことが山ほどある」


「応えてくれるかどうかはわからんがな」


「それで、お前たちはなんで、どうやってここに来たんだ?」


「少し長くなる。場所を変えようか」


「そりゃあいいが……ここはいいのか?」


「…………」


 とりあえず俺たちはこのビルの後片付けをすることにした。

 オフィスの方を見に行ったが、俺を案内してくれた社員の女性なんかも倒れていた。

 道理で静かだったはずだ。


 聖が言うには、月島美憂の身体を借りた魔物に操られ、支配下にあったのだという。

 それをあの乱時郎という人が絶ち切ったことで、意識を失っているらしい。


 俺はこのインタビューに来た記者を装って……というかそのまんまなんだが……警察に電話をかけた。


 社長のインタビューに来たら応接室がメチャクチャになっていて、社員のみなさんが倒れています! どうしたらいいでしょうか!?


 ってな具合にだ。


 それから数時間……。

 俺と聖は警察に事情聴取された。


 ようやく解放された時には例の『魔物』だとかなんだとかに関して考えが落ち着いてきた。

 そして、これはおそらく俺の悪いクセだろう。


 俺はこの『魔物退治』をしているあの乱時郎という人間に興味が湧いてきているのだった。

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