不破聖という男 -9-

 それからというもの10日間という日数が瞬く間に過ぎ去っていった。

 俺は連日、警察の取り調べと、この事件を記事の作成にかかりっきりになった。

 人の噂も75日とはかつて昔の人の言った言葉だ。

 今の世の中じゃあ、1週間もあれば新しい話題に夢中になっていった。


「で?」


 真実のルポライターの俺であるところの真坂真は、あの雑居ビルの地下にあるバー「あや」に来ていた。

 そのボックス席で俺と不破聖が並んで、その前に渡辺という男が座った。


「で?」


 俺は渡辺と名乗る男性に聞かれて思わずそう返した。


「てめえの方から聞きてえ話があるってーから、どういう了簡か聞いてやってんだよ」


「あー、この人、だいたいいつもこういう聞き方しか出来ないから……」


「おめーは余計な事ぁ言わなくていいんだよ!」


 聖が気を使ったがそれが余計に男の気を苛立たせた。


「それじゃあ、単刀直入に聞きますよ。渡辺さん。あなた一体何者なんですか?」


「ああ? 渡辺って誰のことだ?」


「へっ? いや、あなたが自分で名乗ったんですよ。渡辺だって」


「俺が? 名乗った? いつ?」


「先々週、でしたよね! あの美麗会を調べるってことで不破に教えられて来た時ですよ」


「覚えてねえな」


 最初はふざけているのかと思ったが、どうやら本気で覚えてないらしい。


「じゃあ、改めて聞きます。あなたは一体何者なんですか?」


「はぁ、おい、聖。お前、教えてやってねえのかい」


「いや、いつも勝手に教えるなって言ってるじゃないですか」


「馬鹿野郎! 教えていい時と場合ってのがあるだろうが。そのくれえの区別もつかねえのかよ」


「はあ……すみません」


「だからおめえはいつまで経ってもガキだってんだよ」


「ガキって……俺、もう25ですよ。そろそろガキ呼ばわりはやめてくれませんか」


「馬鹿野郎、そう言っている内ぁ、まだまだガキなんだよ」


「え~……で? 俺はどっちから聞けばいいんです?」


「おう。知らざあ言って聞かせやしょうってわけじゃあねえが、聞かせてやるから、耳の孔ぁかっぽじってよぉっく聞きやがれ」


 そう言うと彼は胸ポケットからラッキーストライクを出して、そこから1本取りだし、流れる動作で火を点けた。


 白煙の筋がすーっと流れると、彼はこう名乗った。


「俺の名は九頭龍乱時郎。人呼んで、魔斬りの乱時郎たあ、俺の事よ」


「九頭龍……それはまた大層な名前ですね」


「まあな。で? お前さんは?」


「えっ?」


「お前さん、名前は?」


「俺、名乗りましたよね? 自分で言うのもなんですけど、まあまあインパクトのある名前だと思うんですけど!」


 横の不破聖の表情が諦め顔なことから、こういうことはよくあることのようだ。


「はあ、まあ名乗るくらいなら……俺は真坂真。ルポライターをやっています」


「ふぅん。『まさかまこと』ねえ……記者さんか。『まさかと思った事が現実になる』ってか?」


 最初に会った時と、全く同じ反応だ。


「いや、待てよ……まさかまこと……まさか……マサカマか?」


「えっ、はい、ってそれ、俺の高校時代のあだ名なんですけど……」


 この人たちに教えたことがあっただろうか?


「いや……そうか……今はそういう時点かよ」


 九頭龍乱時郎と名乗った男は紫煙をくゆらせながらブツブツと呟いていた。

 だがどうやら、なにかカチリと嵌まり合ったような、そんな感覚があった。


「そうか……だいたいわかった。で? 今はなんの件の話をしているんでぇ?」


「あの、『美麗会』を調査していた件ですよ。改めてこう言うのもなんなんですが、あの時は助けていただき、本当にありがとうございました」


 俺は席を立つと、乱時郎さんと不破聖に頭を下げた。


「つきましては、ほんの少しですが御礼を……」


 俺は懐から茶封筒を取り出して、乱時郎さんの前に置いた。


 しゅっ!


 もの凄い速さで、テーブルから茶封筒が消えた。


「ほぉん……てめえの命は随分と安いんだな」


 中身を確認すると、彼はチョークラインストライプのダークスーツの内ポケットにそれをしまい込んだ。


「すみません。情報は結構売れたんですが、事件の記事をスッパ抜くことが出来なかったもので……あまりいい収入にならなくて……」


「まあ、その間はずっと警察に取り調べを受けていたからな」


 結局、美麗会のあの日の出来事は「開発中の揮発性の薬品の所為で職員が昏睡状態に陥った。そしてその揮発したガスが偶然に爆発を起こして窓ガラスが割れた」ということで落ち着いた。

 というのも、同日、横浜市内の別の場所でも似たような爆発があったのだ。


「まあいい。くれるっつうもんはいただいておく。今回は俺も碌な稼ぎにならなかったからな」


「そうでしたか。ならよかったです」


「で?」


 こちらからなにか聞き出したい時には、だいたいこの一文字で話を進めようとするようだ。


「だいたいのあらましは聖からも聞いていますが、あのあとL&B理研で何があったのか、教えてもらっていいですか」


 あの日、美麗会の前に爆発のあったという場所……それがL&B理研のあったビルだった。


「何がって……まあ、お前さんもあそこの内偵を進めていたんなら気になるってことか……教えてやるがよ、お前さん、コイツを記事にするつもりかい?」


「まさか。魔物に身体を乗っ取られた美女……なんてぇ話、誰も信じてくれませんよ」


「三文小説でも今日日売れねえだろうな」


「まったくです」


「まあいい。なんにしても書くなら書きゃあいい。ま、ちょいといろいろと融通してくれるんなら、な」


 ジャケットの内ポケットから茶封筒をちらりと見せた。


「もちろんその時はそれ相応の額をお渡ししますよ」


「話のわかるヤツぁ、俺は好きだぜ」


「おい、そういうのはよくないんじゃないか?」


「うるせえんだよ、聖。俺はてめえみてえに聖人君子ヅラして生きられねえんだよ」


「だ、誰も聖人君子ヅラなんて……」


「まあまあ。なにか書くにしたって、先の話だって」


「はあ……まあそういうこった。で? どこから話せばいいんだったか……」


 そう言って乱時郎さんはつい先日のことなのに、まるで遠い記憶でも辿るように、思案の表情を見せた。

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