わたしの全部

 脱衣所が狭いから先に入ってて、と言ったのは良心と罪悪感のどっちが理由だろう。


「〜〜〜〜♪」


 おそるおそる脱衣所に入ると、既にすりガラスの向こうからはご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。ああ、これは私が入ってくるの待ってますね……。


 今ならまだ引き返せる、と私の頭では理性が喚いている。けれど同じ理性が、ここで引き返せばマキちゃんに嘘をついたことになるぞと私を脅す。ああもう、どっちだよ理性、意見は統一してから喋ってほしい。いや、両方私だし、私が迷ってるんだけども。


「いい加減腹をくくるか……」


 なんでそんな悲壮な覚悟みたいになっているのか自分でもわからないまま、私は意地と諦観にまかせて服を脱いでいく。下着に指をかけた段階で、ふっと手が止まった。


 待て、待って。私マキちゃんの裸を見ちゃうことばっかり考えてた、けど。

 もしかしてこれ、私の裸も見られるんじゃないの?


「…………」


 自分の身体を見下ろす。

 太っては、いない。かといってスタイルがいいわけじゃない。背もそんなに高くないし、筋肉も脂肪も薄いから全体的に頼りない印象が拭えない。お腹周りが薄い分、胸も尻も薄い。


 ……いや、別に、だからどうって訳でもないけど。


 別にマキちゃんは私を「そういう風に」見るわけじゃないだろうし。これが同年代の、たとえばいつせなんかが相手だったら、昔付き合ってたなんて過去も手伝って多少は気になったかもしれないけれど、一緒に入るのはマキちゃんだ。


 私を好きだと言ってくれてはいるけれど、それでもまだ小学五年生の女の子。同性の裸を即座に行為のものさしで測るようなことにはならない、はず。

 そうやって自分を諭してみるけれど、ホックを外そうとしてもパンツを下ろそうとしても、どうにも手が上手く動かない。……いや、うん、ほんとはわかってる。そりゃ、自分のことだし。


 どう見られるか、じゃない。

 どう見られたいか、なんだろう。


 マキちゃんが実際に私の身体を見てどう思うかなんて知りようもないし、知ったところでどうにかなるわけでもない。

 だから結局、私が気にしているのはマキちゃんにどう見られたいのか、っていうワガママみたいなものだ。


 別に、えろい身体だと思われたいわけじゃないけれど。でも、もっと女性的な身体だったらと思うのは本心だ。マキちゃんにとって、理想とか、憧れとか、そんな風に見える存在でありたかった。そうであったなら、いつかマキちゃんが私への気持ちに飽きた時、憧れても仕方ないくらいの人だったって笑ってもらえただろうに。


「……言っても仕方ないよね」


 あと3分でバストアップしてウエストを絞る方法があるなら、今ならどんなに胡散臭い話にも飛びつきそうな心持ちだけど、あいにくそんなものはなかった。


「おねーさん?」


「ん、今行くよ」


 待たせればそれだけ気を持たせるだけだ。私は諦めのため息と一緒に、勢いよく下着を脱ぎ捨てると洗濯カゴに叩き込んだ。



* * *



「お邪魔しまーす……」


 自宅の風呂なのに変だなと思いながらも、先客に挨拶をすると「どーぞー」と返事があった。


「マキちゃん、お風呂熱くな」


「えっへへー」


 むぎゅ、っとつるすべの感触がお腹まわりを覆う。


「ま、マキちゃん、滑ったら危ないからそういうのは――」


「すべすべー」


 いやそれ絶対私より君のお肌だから! ふおおすべすべでもちもちな柔肌が!

 私のお腹にひっついて頬ずりするマキちゃんをどうにかひっぺがす。危なかった、太ももの下のあたりに一瞬なにかしら柔らかくも確かな突起が擦ったような気がしたけど気がしただけだ、そのはず、うん。


「え、とマキちゃん頭は洗った、かな?」


「うん、おねーさんとおんなじシャンプー!」


「あ、うん、そうね、そうだね」


 ……お風呂上がりにマキちゃんから嗅ぎ慣れた臭いとかしたら恥ずかしくて死にそう。今は忘れよう。


「えっと、身体は?」


「まだ!」


「そう、じゃあ」


「洗いっこしよ、おねーさん!」


 湯船に浸かって待ってるから、と言いかけたところで爆弾が投下される。


「洗いっこ、とは……?」


「あのね、アナンちゃんと一緒にお風呂するとき、いっつもやるんだ」


「それは……ああ、うん、わかった、洗ってあげるからそこに座って」


「やった」


「あと、私は自分で洗うから」


「えー、なんでー」


「なんでも、ほら座って」


 ……いま胸とか触られたら反応しちゃいそうだから、なんて言えるわけがなかった。

 硬めのボディタオルを泡立てると、将来有望な玉のお肌を傷つけないように(あと直視しないように)後ろから腕を回してなるべくソフトタッチで洗っていく。


 まず腕……細! え、細い! これが小学生……これが小5女子……。


「んん」


 マキちゃんが身じろぎしてハッとなり、今度はなんとか意識を保ったまま反対の腕をこする。そのまま肩まで上ったタオルを一度外し、首の裏側から背筋を横に撫でるようにしながらゆっくりと下へ。腰のあたりで脇腹をこすったか「くすぐったーい!」と楽しげな声を上げるマキちゃんには辛うじて「あはは」と乾いた笑いで返したけど……後ろからで良かった。私の口はひくひくと緊張に引きつるばかりでとても笑顔には見えないだろう。


 年相応に薄い、けれど張りのあるお尻が視界の下の方に一瞬映って慌てて顔を上向けた。一旦保留。

 タオルをマキちゃんの身体の前面に回して、下腹部のあたりから優しく円を描くようにこすりながら少しずつ手を上へ、上へ……。


 大丈夫、大丈夫だから落ち着きなさい靜。これは身体を洗っているだけなの。ほんのささやかな、可愛い程度のスキンシップ。友達同士のほんのじゃれあい。そうよ、私だって付き合ってる時も大学で再開してからだっていつせの裸くらい見たことあるし、胸はともかくお腹周りくらいつついたこともある。それと同じ。まして相手はまだ子供だし、私が勝手に意識しすぎてるだけ。平常心、平常心。


 震えないように必死に力を込めながら滑らせた手のひらが、タオル越しにくりっとささやかな突起に触れ――。


「ひゃん」


「ごごごごごめんなさい!」


 マキちゃんの口から漏れた声に思わずホールドアップ状態に移行した。抵抗しないから許して。


「はぇ? どうしたのおねーさん?」


「い、いや、その……」


 刺激してごめんなさいって言うべき? それって自首になる?


「おねーさん、はやく続きー」


「う、うん」


 マキちゃんはケロっとしたものだ。そうだよね、なんだかんだ言ってもまだ五年生だもんね、そんな、いちいちそっち方向に凝り固まっている私の脳みそがピンクなだけだ。


「じゃ、続きね」


「おねがいしまーす」


 楽しそうに足をぱたつかせるマキちゃんの胸、より少し下のあたりをもう一度軽くこすりながら、もう一度覚悟を決める。意識しちゃダメ、しちゃダメ、しちゃダメ――。


「……おねーさんなら、もっとぎゅって触っていいよ?」


「ンンッ」


 耐えろ私ィッ!

 肩越しに私を見上げるマキちゃんの視線が色っぽいとか思っちゃいけない。十歳以上年下の子に誘惑されて動揺するとかチョロすぎるぞ私!


 なんとかマキちゃんから視線を逸らしたまま無事に彼女の首元まで洗い終える。な、なんとか乗り切った。耐えきった、偉いぞ私。何に耐えていたのかは気づかないふりをしておく。

 ……というか、前まで洗う必要あったかしら。これ最初から「背中流しっこしようねー」で済ませておけば被害は最小限で済んだのでは?


「じ、じゃあマキちゃん、あとは自分で――」


「おねーさん、下もー」


 ……した?


 思わずマキちゃんの身体を覗き込みそうになった首を慌てて引き戻した。っぶな。


「し、下は自分で」


「えー、全部おねーさんやってよ」


「いや、それはさすがに……」


「おーねーがーいー!」


 ここで駄々っ子!? マキちゃんいつも聞き分けいいのに、なんで今に限って!


「い、いや、だって下は、その」


 ど、どうする、なんて言えばマキちゃんは納得してくれる? あ、あんまり変なこと言うと私が意識してるみたいだし、いや正直もうかなり意識しちゃってるっていうかしまくりだけども!


「ちゃんと全部、おねーさんに洗ってもらいたいんだもん」


「それは、えと、なんで」


「だって」


 泡だらけの身体でくるりとこっちを振り返ったマキちゃんから目をそらそうとして、寸前で踏みとどまった。てっきりからかうように笑っているかと思った彼女の目が、思いの外真剣だったから。


「だって、おねーさんのこと、好きだから。わたしの全部を、好きになってほしいの」


 ……もう、なんでそんな恥ずかしいことを、この子は、もう、ほんとに、もう!


「馬鹿なんだから」


「え」


 私の返事にマキちゃんがサッと表情を変える。雑踏で手を離された迷子みたいな顔をする彼女の泡だらけの身体を、ちゃんとしっかり、正面から抱きしめた。


「マキちゃんの全部なんて、とっくに大好きだってば」


「……わたしも、おねーさんのこと全部だいすき。でもね、あのね、いま、もっと好きになった、かも」


 ああもう、可愛い!

 恥ずかしそうに付け足された言葉に悶絶する。肌と肌で触れ合っている私達の鼓動の音が交ざって、もうどちらの心臓が鳴ったのか判別がつかない。どっちもすごく、どきどきしてる。


「だから、ね、おねーさん」


「ん、なに?」


「ちゃんと、わたしの全部を洗ってね」


「……あ、うん」


 忘れてなかったか。

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