無責任じゃないっすか?
「え、うちに来る?」
佐川くんの変な映画趣味のせいで妙に混乱させられたその数時間後。だいぶ日も傾いてから店を訪れたマキちゃんが「うん!」と元気よく頷いた。
「おねーさんのおうちに、遊びに行きたい!」
「あー、うーん……?」
それは、どうなんだろう。別に構わないといえば構わない。部屋はそこそこ散らかっているが、人を招けないほどではないし、別段見られて困るようなものもない。子供の教育に相応しくないものは……犯罪映画のBDとか? いや、まぁ棚に並んでいるくらいならこの店と大差ないだろう。
ただ、家に招く、というのは。
「……事案? いづっ!」
ぼそっと通りすがりの佐川クンが私にだけ聞こえるように呟いたので肘を打ち込んだら鈍い悲鳴をあげて逃げていった。
とはいえ、その通りだ。親でも親戚でもないのに、保護者の了承を得ているわけでもないのに、小学生を自宅に招き入れるというのは社会的にあまり堂々としていい事ではない気がする。
いや、もちろん、別段なにをするとかなにかするとか、そんなつもりも予定もないのだけどね。
「え、と……今日?」
「ううん、明日。あのね、学校休みだから、お泊り!」
「とまっ」
思わず固まった私を笑える奴がいたら、一度その身で同じ状況を経験しろと言いたい。
「……事案だ」
「私もちょっとそう思ったから黙って」
「?」
戻ってきた佐川くんと私のやりとりをキョトンとした顔で見つめるマキちゃん。
いやー、お泊りはいかんでしょ、お泊りは。
しかし衝撃の山を意識が通り過ぎると一周回って冷静になってくる。
遊びに来る、というのはまだグレーなラインであり迷う余地があった。でもお泊りとなると、それはもう完全にNGラインを飛び越えていると断言できる。とするとお断りするしかないわけだが、例によって濁した解答でマキちゃんを説得できるとも思えない。
だったら、私よりもマキちゃんにとって絶対的な人に、否定してもらえばいい。
「……ね、マキちゃん。今日おうちにお母さんいる?」
「? うん、いるよ」
「そっか、うん、じゃあちょっと待ってて。今日はあと三十分でお仕事終わりだから」
「どーして?」
「お泊りしていいかどうか、ちゃんとお母さんに聞かなくっちゃダメでしょ?」
「ほんと!? わかった!」
私がマキちゃんの家に行く、という意図を理解したらしいマキちゃんが目を輝かせて何度も頷く。そんな彼女をスタッフルームに招き入れて、私が戻ってくると呆れた顔の佐川くんがいた。
「いいんスか?」
「どれのことかね?」
「どれっていうか、全部っつーか。家まで挨拶に行くとか、お泊りさせちゃうとか?」
「平気でしょ。私は断られに行くだけだし」
「はい?」
わっつ? と首をかしげる佐川くんに、スタッフルームの扉から離れながら、少し声を落として説明する。
「よく知りもしない女が、娘さんを一日お預かりしますーって来たら、普通断るでしょ?」
「まぁ」
「で、そんな胡散臭い女と娘が関わってるなら、やめさせようとするのが親心ってものじゃない?」
「……まぁ」
「で、二度とうちの娘と関わらないで、ってなってくれるのが、一番穏便だと思うのよ」
私が言うと、佐川くんはどこかいつもより冷めた目でじろりと睨むように私を見てから、呆れのため息とともにがしがしと頭をかいた。
「……靜さんて、あの子のこと嫌いなんスか?」
「はぁ? あんな可愛い子のどこを嫌うっていうのよ」
「それなのに絶縁したいんでス?」
「絶縁て、いやまぁそういうことになる、のか」
言われてみれば、それが寂しくないわけじゃない。でも。
「でも、あんな小さな子の恋に、無責任な事は出来ないじゃない? だったら――」
「そっちの方が、よっぽど無責任だと思いまスけど」
「……え?」
いつも気だるげで軽薄で、口に乗せる言葉に重みのない彼にしては珍しく、その言葉は明確に非難の色を帯びていた。
「失恋もさせないまま自分だけ逃げるって、そんなの無責任じゃないっスかね」
俺関係ないんで知りませんけど、と言い捨てて、佐川くんは仕事に戻っていった。
取り残された私は、立ち去った彼が向かった店の奥と、背にしたスタッフルームの扉。そのどちらにも近づけなくて、その場に立ち尽くしていた。
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