この時までは。
「靜サーン」
「なにさ」
大声で呼ばれて私がバックヤードから顔を出すと、声の主である同僚の男子高校生は「ん」とアゴでカウンターの方を指した。
なにさ、と繰り返しながらそちらを見ると貸し出しカウンターから少し離れた棚の陰からこちらを窺う一対の瞳と目があった。
「!」
私と目が合うとぴくっと反応して、そのままじーっと私の様子を観察してくる。う、居心地悪いなぁ。
「行ってやってくださいよ、待たせちゃカワイソーじゃないっスか」
「勝手に待ってるんだからほっときなさいよ。私、まだ休憩中だし」
「そう言いながらエプロンつけるのってツンデレっスか」
「しね」
私の呪詛を平然とスルーして返却ディスクを並べに行く同僚の背中を睨みつけてから、私は諦めと共にレジに立った。
「お待ちのお客様、どうぞ」
「はい!」
わー元気なお返事。そういうのは学校だけにしてくれないかな、何か私が恥ずかしい。
ぱたたっとカウンターに駆け寄ってくる姿に苦笑する。遺憾ながら、もう見慣れた光景だった。
「こんにちは、おねーさん!」
「はいこんにちはマキちゃん。今日は何観るの?」
「これ!」
差し出されたのはいつもの女児向けアニメの最新巻だった。最新巻といっても店に並んだのはふた月ほど前で、この子は毎週ウチの店に顔を出している。
毎回同じものではないけど、これを借りるのも私の記憶ではたしか4度目だ。
「マキちゃんこれ好きだねぇ」
レジに通しながらそう言うとマキちゃんが目をキラキラさせていた。あれ、そんな喜ぶこと言った?
「覚えててくれたの?」
「え? ああうん、そりゃまぁ、ね」
そりゃ、子供一人で毎週レンタルビデオ屋に来て、しかも必ず私がレジに立ってる時に会計するんだから勝手に頭が覚えるってものだ。
別に特別なことをしたつもりはないのだけど、マキちゃんがえへへと嬉しそうに笑うのでちょっとむず痒いものが背中と喉にこみ上げる。
私はお世辞にも子供好きするような人間じゃないと思うけれど、何がマキちゃんの琴線に触れたのか、初来店から半年ほどですっかり懐かれてしまった。
私自身も子供は得意じゃないというかむしろ苦手な部類に入るが、それでもこう無邪気に懐かれていると悪い気はしない。自分に好意的な相手ならこちらも好意を向けやすいものだ。
まぁ、よく店に遊びに来るかわいい子。言葉通り、それだけの認識だったのだ、この時まで。
「えー7泊8日の貸出になりま」
「おねーさん」
「なに?」
貸出のお約束口上を遮って、カウンター下のマキちゃんがぴょこぴょこ跳ねる。なんとなく、そういう動きをされると手をかざして止めたくなる。扇風機の間にティッシュを差し込んでみたくなるのと同じものを感じた。
「今日は何時にお仕事おわりますかー!」
なんか友達みたいなことを聞いてきた。壁時計に目をやるまでもなく今は午後一時過ぎだ。ついでに私は本来昼休憩中である。バイトが終わるまでまだ数時間あった。
「……あと5時間くらいですかねー」
「ご」
「ご、ですね」
びっくりした顔で固まってしまったマキちゃんに「ご、なんです」ともうひと押し。ついでに指を五本立てた手のひらを見せびらかす。
「……5時間は、長いです」
「そだよね」
「うー」
「うーん」
二人向かい合ったままうんうん唸る。会計を済ませたDVDを受け取っても、マキちゃんはその場を動かない。どうやら今日のメインはレンタルではなく私への用事らしかった。
「えーっと、私に何のご用事ですかしら?」
子供に呼びかける口調がわからなくてなんちゃってお嬢様みたいになりながら尋ねる。一応意味は通じたようで、マキちゃんがまたぴょこぴょこ跳ねた。
「お話し、したいです」
「お話しかー」
うーん、拘束時間がまったくもって不透明な用事だ。時計に目をやるとカウンター越しにマキちゃんと対面してから5分も経っていない。昼休みはまだ三十分近く残っていた。
「15分あげます」
「いただきます。……?」
とりあえず私に応えてお辞儀をしてからこてっと首を傾げる。意味がわからなかったらしい。
「私いま休憩時間だから。お店の裏においで、15分くらいならまぁ、おしゃべりできるよ」
「! ありがと」
言うが早いか借りたばかりのDVDを胸に抱えたまま、自動ドアに突進していった。
「……さて、お話ねぇ」
なんだろ、と首を傾げながら私はのんびりカウンターの奥に引っ込み、エプロンを外すか少し迷ってそのまま上着を羽織った。
裏口へ向かいガチャリと扉を開けると、扉のすぐ脇にしゃがみこんでいた女の子がこっちを見上げた。
「さ、なんのお話かね」
お気に入りの魔法少女の話とかすればいいのかな、なんて気楽に考えていたのはそこまで。
で、時は冒頭に戻るわけだよ。
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