充電と放熱
「……靜さん」
「んー、なにー?」
「『死霊のえじき』は多分ファンタジーじゃないですよ」
「は? いや知ってるけど」
「……棚まで間違えないでくださいね」
佐川くんはジトっとした目で私の手元を見つめたあと、やれやれと肩をすくめてスタッフルームを出ていった。あまり客の来る時間帯ではないとはいえ、二人きりの店員が三十分近く引っ込んでいたことについてお互い何も気にしてなかったのはどうなんだ、と思いつつ、指摘すると自分も真面目に店に出る羽目になるので黙っておく。
それにサボっていたわけではない。店内の棚の作品を入れ替える下準備のため剥がれそうだったり印刷が掠れているラベルがあれば取り替えるという作業をしていたわけで、私の手元にはいま主にホラー映画コーナーの新入りたちが……ん?
「おぁ?」
思わず変な声が出た。ケースに貼るラベルには作品情報やバーコードが印字されたもの意外に「ホラー」だの「ラブストーリー」だのジャンルを示すものがあるのだけど。
「あー……全部剥がさなきゃじゃん」
積み上げた作業済みのケースの背中を見てため息をつく。いつの間にかホラーのシールが切れて、隣りにあった「ファンタジー」のシールをなんの迷いもなくぺたぺたしていたらしい。単純作業だからと思考を別件に注いでいたせいだ。
「……いやでも、ゾンビ映画は一周回ってファンタジーなのでは?」
RPGのザコ敵とかにもよくいるし。などとぶつぶつ呟きつつ貼ったばかりのシールを剥がしていく。もちろん、頭のリソースを割いているのが何かと言えばマキちゃんのことだった。
『あんたは「捨てられた女」じゃないよ』
いつせの言葉を思い出す。確かに、そのことは私の喉に突き刺さっていた問題ではあった……んだと思う。自覚はなかったけれど、いつせにそう言われて少し気持ちが軽くなったのは間違いない。
いつせに見限られた、恋愛対象であり続けることができなかった。そんな思いが私に、マキちゃんに想われる資格がないと考えさせる一因ではあった。
でも、それがいつせによって否定されたところでじゃあマキちゃんも同じなのかと言われたらそうではないだろう。いや、いつせと同じだと言われるとそれはそれでまた私が振られて今度こそ勢い余って吊るんじゃないかと思うけども。
まぁ、うん、結局のところ。
「怖がってるんだろうなぁ……」
臆病は自認するところだ。捨てられることも拒絶されることも怖ければ、愛されることも同じだけ怖い。好かれなければ、愛されなければ捨てられることもないのだから。
「怖がってるとこすんませんけど」
「ひょお!」
「……お客さんでスよ」
やめろ、不意打ちで声かけられたからって本当に椅子から浮く勢いでビビった二十六歳をバカを見る目で見るんじゃない。泣くぞ。
っていうかお客?
「いやお客さんなら普通に対応してよ」
スタッフルームにわざわざ戻ってきた佐川くんにあなたレジも打てるでしょうになんで私が、と思っているとそんな佐川くんの横からひょこっと小さな頭が飛び出した。
「靜さん!」
「マキちゃん!?」
あ、あー、お客さんってそっちの、あー、うん、そっか、うん。
「今日は遥さんもいないんでうるさく言いませんケド、仕事中っスからね」
「あ、はい、ごめんなさい」
私が呼んだわけじゃないけど、釘を刺してなかった私にも責任はあるよね、ということで素直に誤っておく。佐川くんは「んじゃ、仕事戻るんで」とさっさと出ていき、スタッフルームにはニコニコ笑顔のマキちゃんと私が残される。
「えっと、マキちゃん? 今日は私、夜まで仕事だから」
「あ、うん、わかってるよ。あのね、今日はね、映画借りにきたの」
映画? 真っ先に思い浮かんだのは先日一緒に映画を観た時の記憶。ついでにその後のキスの感触まで蘇ってきて脳みそが蕩けそうになったが「ここは職場、公共の場」と言い聞かせて踏みとどまった。
でも映画か。魔法少女の映画の話じゃないよね?
「どうして急に、っていうか、映画だったら店に来なくても言ってくれれば私が貸すのに」
店員なのに売上に貢献させる気のない発言をしつつ首をかしげるとマキちゃんは「んーん」と首を振る。
「靜さんがお仕事の日もね、靜さんのこといっぱい知りたいなって。そしたらアナンちゃんが、いっしょの趣味を持つといいよーって教えてくれたから」
……だからわざわざ、私の家で会えない日まで私のために映画観ようとしてくれてるってこと? いや、うん、嬉しい。にやける。にやけるけども。
「マキちゃん、私言ったよね。ちゃんと私以外の人との時間も大事にして欲しいって。マキちゃんが私と仲良くなりたいと思ってくれるのは嬉しいよ。でも、そればっかりじゃなくてちゃんと」
そこはしっかり線を引いてもらわないと、困る。マキちゃんの将来のためにも、私が彼女に甘えすぎてしまわないためにも、私ばかりを優先するようなことはしてほしくない。
「だいじょーぶだよ。あのね、映画はアナンちゃんとも観る約束してるの。アナンちゃんもおすすめ教えてくれるんだって」
「そ、そう……まぁ、うん、ちゃんと友達も大事にしてるならいいんだけど」
……べ、別にちょっと残念とか思ってないし。ないし!
「だからね――」
と、恥ずかしそうにしながら袖を引かれたので「なに?」と屈んで目線を合わせると、そっと耳元に口を寄せて
「靜さん分の、充電にきたの」
そのささやき声も、恥ずかしそうにパッと離れてえへへと笑う顔も、耳に残る彼女の吐息の熱も、全部が私に「ああこの娘が好きだな」って想わせる。
そうやって「好き」を自覚すればするほど、不安になる。
――恋愛ってどちらかが好き過ぎたら続かないと思ってるんだよね。
会うたび、顔を合わせるたびに私はこの娘に惹かれて、どんどん想いは強まって。引き返せないところでパッと手を離されてしまったら、私はどうなってしまうのだろう。
「……靜さん?」
「あ、ごめんね、ちょっとぼーっとしてた。ほら、借りるの選んできなよ」
「ん……あ、待って」
「うん?」
店内に送り出そうとしたマキちゃんがまた顔を寄せてくるのにちょっぴりドキッとしつつ先程と同じように耳を差し出して内緒話を聞く体勢になる。マキちゃんは二人きりだというのにわざわざ口元を手で隠してひそひそと、
「だいすき」
呆ける私の耳もとにちゅっと口づけまでして、幸せそうにはにかむと私の反応を待たずにスタッフルームを出ていった。
「あー……あー!」
残された私はと言えば、真っ赤になった顔でこれじゃあ店に出れないじゃないかと思いながら手で口を覆ったまま感情を叫び声として吐き出すしかなく。
私の彼女、可愛すぎる……。
好きになるのも、好かれるのも不安で、だけどやっぱり好きだと言われるだけでこんなに嬉しくなるほどあの娘が好きで。
ああああ熱い。顔が熱い。頭がクラクラする。こんなの、こんなのまるで――。
「……けほっ」
……まるで、あらら?
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