そして大好きな人

「好きだから……」


「あたしはさ、シズと付き合うまでにもいろんな娘と付き合って別れてしてたから、あの時もなんとなくわかってたんだよ。ああ、この娘とも、やっぱりずっと一緒にはいられないなって」


 でもね、と軽く指で涙を拭いながらいつせは続ける。


「でも、それまで付き合った誰よりもシズのことは好きだった。だから、例えばお別れを言いに行って、シズに引き止められでもしたら、あたしは受け入れちゃう気がして、怖かった」


「それは……そりゃ、引き止めた、だろうけど」


 間違いなくそうしただろうと思う。進学のために引っ越すと言われても、それなら定期的に会おうとか、今まで以上に連絡を取り合おうとか、交際を続けるための何かを要求しただろうことは想像に難くない。だって私は確かにいつせが好きで、別れたいなんて少しも思ってなかった。


「言ってなかったけどね、大学でシズと再会するまで、あたし彼女いなかったんだよ」


「……嘘でしょ」


 彼女の気の多さは折り紙付きだ。実際、私と付き合った時点で高校生にして過去の恋人の数は二桁を余裕で越していた。そんな彼女が一年以上恋人を作らずにいたなんて、普通に考えたらまずあり得ない話だろう。


「嘘じゃないよ、これでも傷心だったんだから」


「自分で振ったクセに」


「だから、ってのもあるのよ。大好きなものを自分で手放したのもそうだし、黙って離れちゃった罪悪感もあったもの」


「だったら、連絡してくれたら良かったのに」


「そんな訳にいかないでしょ。未練タラタラだったんだから」


 いや、うん、わかる。いつせの言っていることはわかる。好きだけど離れなきゃいけないんだって思うなら中途半端に関係を続けるような真似はするものじゃない。それはわかる。でも、その前提が。好きだから別れる、っていうのがわからない。


「わかんないよ、なんで好きなのに、別れなきゃいけなかったの?」


「……あたしはさ、恋愛ってどちらかが好き過ぎたら続かないと思ってるんだよね」


「好き、過ぎる?」


「うん。お互いにだったらいいんだけどね。好きでも嫌いでも、気持ちに温度差ができちゃったら続かない。自分が求めるほど相手は自分を求めてくれない。自分は無理をしないと相手を満たしてあげられない。そうなったらもう終わりだなって思ってる」


 それは、ちょっとわかるかもしれない。求めすぎて満たされないのも、求められ過ぎて満たしてあげられないのも、相手と距離が出来てしまうような気はする。たとえ好きの気持ちがお互いにあっても、その大きさが違ってしまえば気持ちはすれ違う。


「……じゃあ、私がいつせを好きになりすぎてた、ってこと」


「ばか、逆よ逆。あたしが、あんたを好きすぎたんだ」


「え」


 思わず目を見開いていつせを凝視してしまう。気恥ずかしそうに口をもにょもにょさせながら「ひどい羞恥プレイだ」とぼやいたいつせだったが、それでも頷いた。


「そーなのよ。だってあたし、心のどこかではあんたに追いかけてきて欲しがってた。何も言わずにいなくなったらそのまま別れるのが普通。でも、その普通を超えてあんたが追いかけてきてくれたらいいな、って往生際の悪いことも考えてた」


「それは……」


 追いかけたい、とは思った。会いに行きたい、と思った。


「でもあんたは来なかった。ま、当たり前だよね。逆の立場ならあたしでも行かないし。あたしもガキだったのよね」


「そんな、終わったことみたいに言われたって」


 こっちはそれをどう飲み込んだらいいのかも、わからないのに。


「終わったことでしょ。今はあたしら、お互い彼女持ちなわけだしさ」


「そう、だけど」


「はいはい、羞恥プレイおしまい。あたしが言いたかったのは一つだけ」


 場を仕切り直すようにひらひらと手を振って、いつせはふっと微笑んだ。


「あたしはあんたに愛想を尽かして別れたわけでも、嫌いになって別れたわけでもない。あんたは「捨てられた女」じゃないよ」


「!」


 そう言われて、胸のモヤモヤが少し軽くなる。納得したわけじゃないし、モヤモヤが消えてなくなるわけでもなかったけれど、少なくともいつせが私のために今の話をしてくれたのはわかった。……別れた時、きっと本当に好きでいてくれただろうことも。


「シズはいい女だよ、自信持ちな」


「フッた当人に言われてもなぁ」


「言ったでしょ、実質あたしがフラれてんのよ」


「どういう理屈だ」


「あたしの方があんたのこと好きだったんだもん、諦めて受け入れて」


「なにそれ」


 思わず私がくすりと笑えば、いつせも笑みを深める。


「だからあんたの彼女も見る目あるって。そだ、今度会わせてよ」


「絶対イヤ」


「なんでよー」


 けちぃ、といつせの頬が膨らむ。

 そりゃ私だって親友としていつせをマキちゃんと会わせたい気持ちはある。けど、さすがにまだ時期尚早だろう。私とマキちゃんの関係や距離感も正直まだ実感できていないレベルなのに、そこに私の元カノなんか連れてったら意味深過ぎるし。


 それに、そうでなくても――。


「いつせは美人でかっこいいから、マキちゃんが好きになったら困るでしょ」


「……あー……この娘はもぉーさぁー……もぉーさぁー!」


 ばたんと突っ伏していつせが自分の頭をガシガシと両手でかきむしる。ああ、きれいな髪がぐしゃぐしゃに。


「ねぇシズ、一回あたしに抱かれとく気ない?」


「…………私彼女いるんだけど」


「あたしもいるけど、ちょっと我慢できない」


「帰って彼女に盛れ浮気者」


「シズがかぁわいいこと言うからじゃないの」


 ま、でもそうね、とひとつ頷くといつせは立ち上がる。


「今日はこの辺にしときましょ」


「ま、待ってよ、私まだ相談してな」


「あんたは十分可愛いからへーき」


「いや、そういうことじゃ」


「そういうことよ。結局シズは不安なんでしょ、あたしに捨てられたと思ってたから、今度もそうなるんじゃないかって」


 ……そう、なんだろうか。

 確かに私は自分がどうしてマキちゃんに好かれているのか、未だに納得できる答えに至っていない。彼女と親しくなるほどに、情けないところを見せてばかりで、恋人としてどころか年上の友人としてだって頼りにならないと思われていてもおかしくない。


 好かれている理由がわからないから、本当に好かれているかどうかに自信が持てない。そして何を間違えたら嫌われてしまうかも。


「そりゃ恋愛に絶対はないかもしんないけど、必要以上に怖がんなくてもいいんだよ」


 少なくとも、と言いながらテーブルを回り込んだいつせがずいっと顔を寄せてきて、私は座席に手をついてのけぞった。それでも、いつせは覆いかぶさるように迫ってきて、そのキレイな顔が目の前にある。


「少なくともあたしは、シズのこと抱きたいって思うくらい好きだから」


「……ば、っか」


「そういうとこ、多分彼女も可愛いって思ってるよ」


 帰りましょ、といつせが身を起こして、伝票を手に歩き出してしまう。私もその背中を追いかけながら、そっと自分の唇に触れる。

 ドキドキした、したけど、でも。


「……したいって、思わなかったな」


 ようやく、高校生の自分を振り切れたような、そんな心地だった。



* * *



「ああああしんどい」


「おかえりなさー……あらあら」


 帰宅するなり服が汚れるのも厭わずズルズルと座り込んだあたしに、リビングから出てきた美女が眉尻を下げる。

 声の主はすらりと背が高く腰が細く胸と尻の大きい、お前は昔の漫画のお色気要員かと言いたくなるモデル体型の美女。美しいブロンド髪は祖母譲りと聞いた。クォーターらしい。


「汚れるわよー、その服、お気に入りでしょ」


「うー、かぁえー、しんどいよぉ」


「はいはいお風呂入って着替えてらっしゃい。話はあとで聞いてあげる」


 あたしがかえ――恋人である楓の腰にしがみついて呻くと、楓は優しくあたしの頭を撫でながらも淡々と「お風呂湧いてるわよー」と促してくる。


「……一緒に入る」


「今日のいつせは甘えんぼね」


 先に入ってて、と言われて頷いた。いつもならやんわり断られる誘いをあっさり受け入れてくれたのは、あたしの気持ちを慮ってのことだろう。元カノを口説いてきた恋人に、なんとも甘いことである。


「……かえ、怒らないの?」


「んー、なにに?」


「……あたし、シズに別れても好きだったって言った。冗談だけど、抱きたいって言ったよ?」


「怒らないわよ。ちょっと妬いちゃうけど」


「でも」


 なおも言い募ろうとする私の、彼女の腰に回した手がゆっくりほどかれて思わず押し黙る。かえは膝立ちになって私に視線を近づける――それでも彼女の方がいくらか高い――と、ふわりと私を抱きしめる。


「よく頑張ったわね」


「…………ん」


 シズを勇気づけるためにしたこととはいえ、苦い失恋の話を当事者に語るのは正直辛いものがあった。何より、こうしてかえに甘え、甘やかされていながら、あたしの心のどこかには未だシズを愛おしく感じる自分が往生際悪く居座っている。


 だから、それらの感情を押し殺して、全部過去のこととして語るのは、正直堪えた。頑張った、と思う。でもそれは目の前の恋人に対しては酷い振る舞いだということも自覚している。


「かえは、もっとあたしに怒っていいと思う……」


「いいのよ。こうしてちゃんと、私のところに戻ってきてくれるもの」


「でも――むっ」


 ちゅ、と軽めのキスで言葉を遮られる。すぐに顔を離したかえは私を安心させるように柔らかく微笑んで。


「でもはナシ。私がいいって言ってるんだもの、いつせが気に病むことじゃないわ。それでも気になるっていうなら――」


 今夜はいっぱい、可愛い声を聞かせてね。


 耳元で囁かれて、ゾクゾクと背筋に甘い痺れが駆け抜ける。


「さ、お風呂入りましょう」


 ぱん、と手を合わせて「お着替え〜♪」と調子はずれなオリジナルソングを歌いながら着替えを取りに行った恋人を見送って。


「……いい女すぎる」


 あたしはべしゃっと、その場に倒れ込んだ。

 あー……フローリングの冷たさが、火照った顔に気持ちいい。

 冷たい床で顔と頭を冷やしながら、あたしは理解のありすぎる恋人との出会いに改めて感謝を捧げるのだった。

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