2.こいびと
好きだった人、好きな人
「……逮捕されないかな」
「深刻そうな顔で何言うかと思ったら、いい報告じゃない」
マキちゃんと「お付き合い」することになった翌日の夜。いつせの仕事終わりに待ち合わせて訪れたファミレスで交際の報告をすると、いつせはカラカラと景気よく笑った。
「いい訳ないでしょ! 十一歳だよ! 私二十六だよ! いい訳ないじゃん!」
「んー、まぁ世間的にはね。でもいいんじゃない、無理やりって訳じゃないんでしょ」
「他人事だからって……」
私が恨みのこもった目を向けると、意外にもいつせは真剣な目をして私を見ていた。
「他人事じゃないよ」
「……なに、急に」
「はぁ……あんたさ、あたしがあんたのこと、都合の良い友達だと思ってるって、勘違いしてない?」
「ど、どういう意味よ」
「あたしが女が好きだって知ってて、一度付き合って別れて再会してるのに後腐れとか引きずってるものがなくて、歳も近くて家も職場もほど近い。会いたい時に会えて言いたいことだけ言ってられる。どう? 結構好き放題出来る関係だと思うんだけど」
お互い恋人は別にいるしね、と付け足される。
「そりゃ……近場に住んでる友達なら、そういうものじゃない?」
「あのさー……」
はあ、と呆れのため息をつかれる。な、なんだよ、そんなおかしなこと言ってないでしょ。
「あたしはそんな、都合のいいだけの友だちなんて興味ないし、そんな程度の相手と再会したからってわざわざ交流持たないからね」
……どうしてだろう。
いつせのその言葉はつまり、それ以上の関係性だ、とそれを保証してくれている訳で、喜ばしいことのはずなのに。なぜか私の胸には苦いものが渦巻いている。
いつせを信頼している。そのつもりだ。友達として愛しているし、恋愛感情を引きずっているつもりはない。だからわだかまりなんてない、はずなのに。
「……別に、いいよ都合のいい友達でも」
だからって自分でもわからないモヤモヤをいつせにぶつけるわけにもいかず、苦笑いで誤魔化してそう伝えるのが精一杯だった。
「違うでしょ」
けど、そんな私の逃げをいつせは許さない。
「あたしが、そんなんじゃよくないって言ってんの」
苛立たしげにドリンクバー産のジンジャーエールを煽りながら、いつせはギロリと私を睨む。元々きれい系美人のいつせがそうすると、妙な迫力があって私は腰が引けてしまう。
「都合のいい関係ってことは、都合が悪くなったら友達じゃなくなるわけ? あんたにとって、あたしはその程度の存在?」
「それ、は」
そんなことないはずなのに、そんなことない、という言葉が喉に引っかかって出てこない。胸に滞留する苦りは、徐々に煮立って、怒りにも似たやるせなさを伴い始める。
怒り。そっか、怒りか。私は怒ってる。だって、だってだ。
「――私を捨てたのは、先輩の方じゃないですか」
感情と一緒に、当時の自分の言葉遣いまでが戻ってくる。そうだ、自然消滅という形ではあったけれど、何も言わずに去っていったのはいつせの方だった。追いかける勇気がなかったのは私だとしても、関係の終わりを決めたのはいつせだ。
それはつまり、私ではダメだったってことで、そんな私を、いまさら。
「いまさらそんな、私が必要みたいなこと言われたって、そんなの私に、どうしろって言うんですか」
私の言葉にいつせは目を見開いて「そっか」と心底意外そうに呟いた。
「シズが臆病なのは、あたしのせいか」
「……っ、別に、そんなこと言いたいわけじゃ」
いつせの落ち着いた言葉に自分の感情が昂ぶっていたことを自覚させられて慌てて逃げを打つ。けれど口にした言葉は消えてくれず、私も自覚したばかりの本音を扱いかねて次の言葉が出てこない。
いつせを責めるのは多分違う。大事なら私と付き合って、と言いたいわけでもない。私が好きなのはマキちゃんだし、いつせと付き合いたいとも思わない。ただ、一度は切り捨てたものを取り戻そうとするだけのどんな理由があるのか、それが、私にはどうしてもわからない。
「だって、私は」
「あのねシズ、あんたそもそも一つ勘違いしてるよ」
「なにが……」
「あたしは、あんたがどうでもいいから別れた訳じゃないよ」
「っ、嘘だよ、だって何も、何も言って、くれなかった……」
そうだ。別れよう、の言葉すらなく。卒業して、数日後にはいつせは進学のために引っ越していた。電話もメールも反応がなくて、高校生の私にはそんな状況で自分の生活圏を出てまでいつせを追いかけることは出来なかった。
いつせと同じ大学を受けたのは記念受験みたいな意味合いが強かった。違う学部を受けていたし、再会を期待した訳ではない。いや、心の何処かでその可能性に期待した部分はあったかもしれないけれど、理性では否定していた。だから会いたかったとしても、会えると思っていたわけではなかった。
「あたしは、パートナーはシズじゃないって思っただけ。傲慢が許されるなら、あたしにとってだけじゃなく、あんたのパートナーもあたしじゃダメだって思った。だから別れたんだよ」
「意味、わかんない」
「だってシズ、あたしを好きだった時よりも今ずっと一生懸命な顔してる。そういう顔をさせられなかったあたしじゃ、あんたのパートナーにはなれないんだよ」
そんなこと言われたって、私は自分がどんな顔をしてるかなんて知らない。いつせと付き合っていた時の自分が彼女の前でどんな顔していたかも、今の私がマキちゃんの前でどんな顔をしているのかもわからない。
「……そんな、勝手な理由で」
「うん、それは悪かった。あたしのせいであんたがそんなに臆病になっちゃったとしたら、ちゃんとお別れを言うべきだったね」
「いまさら謝られたって」
「でもさ、あたしもいっぱいいっぱいだったんだよ。シズのこと、大事だし、大好きだったから」
「……っとに、意味わかんない! 好きだったなら、なんで私を捨てたの! なんで、さよならも言わないで」
「だから!」
当時は言えなかった言葉が次々溢れる私の言葉を遮ったいつせは、
「好きだから、大事だから、あたしといてもあんたは幸せになれないと思ったから! それでも、あんたといるのは心地よくて、どうしても面と向かってさよならは言えなかった! ……あんたが、好きだからだよ」
わかんない、わかんない、全然意味わかんない。そう思う私の前でいつせがはらはらと泣くから、余計にわからなくなる。
「だって、私だっていつせのこと好きだったんだよ? 私のためなんて、そんな勝手な――」
「好きなのに、あの子のために付き合うわけにいかないって言ったのはシズでしょ」
「……え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
けれど一拍遅れて理解する。マキちゃんのことだ。
「好きだからずっと一緒にいられるワケじゃないでしょ。それでも一緒にいたいって、シズはあの子を選んだんだよ。あたしのことは、追いかけなかった」
お金とか生活とか、今と違う条件はいくらでもある。けれどそれなら、いつせとの時にはなかった年の差って問題もあって、どちらが困難な選択かなんて私にもわからない。選ぶ側と選ばれる側の違いだってある。でも、それだって追いかけない決定的な理由にはきっとならない。追いかける理由にもならない。
ハッキリしている事があるとすればそれは、いつせの時は諦めてしまった私が、マキちゃんを諦められなかったということだけ。
「あたしがシズと別れた理由も、シズがあの子を選んだ理由も、結局は同じだよ」
――好きだから。
きれいな顔を涙で滲ませて、それでも私をまっすぐ見据えて、いつせはハッキリとそう言った。
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