幕間:アナンちゃんとあずさ先生

「失礼します」


「あら、いらっしゃい」


 声を聞いて、声をかけて、それから振り向きざまに流れるような動作でその小柄な身体を抱きしめた。


「んーっ、今日もアナンはいい匂いねー」


「せ、せんせ……っ」


 恥ずかしそうにもぞもぞと身を捩りながらも、積極的に私の腕を振りほどこうとしないのは無意識にこのままでいることを望んでいるのか、それともそうやって私を煽って誘っているのか。どちらにしても可愛らしいことこの上ない。


「ひ、人が来ちゃったら、見られちゃう」


「いいじゃない、生徒とのスキンシップも大事なケアの一つなのよ?」


 養護教諭としての倫理観をビリビリ破り捨てるようなことを言うと、アナンが「だ、だめです……」と腕の中でか細く訴えてくる。

 しょうがない、大人として分別はつけますか、と腕をほどこうとしたら、逆にぎゅっと背中に腕を回された。およ?


「私以外の生徒に、こんなことしちゃ、だめ、です……」


「え?」


 思わず聞き返してしまった。アナンはかあああっと耳まで真っ赤になりながら、ぎゅっと私に抱きつく腕に力を込めてくる。


 え、なに、この可愛いの、なに。


 さっきのは「見つかってもスキンシップってことで誤魔化せるよー」というそれはそれでペラペラな言い訳をジョークとして交えてみただけだったのだけど、それをこの子は「このくらい他の生徒にだってしてるからなんとも思われないよ」という風に受け取って、あまつさえそれに嫉妬して他の子にするなって独占欲出してきてるの? ほんとに? 私の脳みそがこの子の可愛らしさで溶け出して解釈を誤ってるわけではなく?


「あーなーん」


 とんとんとリズミカルに頭をぽふりながら名前を呼ぶと、ぐりぐりと私の胸元に埋めていた顔が上向く。私の自慢の双丘の間から、恥じらうような遠慮がちな上目遣いが覗いた。あー押し倒したい。


「ベッド行く?」


「い、行きません!」


「ちぇっ」


 私が口を尖らせると恨みがましい視線を向けてくるので、改めてそっと頭を撫でる。


「心配しなくても、こんなのアナンにしかしないわ。頼まれたって脅されたってやらない。私にこんなにひっついていいのはアナンだけ、アナンをこうして抱いてもいいのも私だけ。そうでしょ?」


 こくん。頷きが返ってきたのを確かめて「ん、よし」と硬い髪に指を滑らせる。

 この子の髪はきれいだけど髪質が硬いから、触り方一つで簡単に傷めそうで心配だ。年頃の少女としては髪型にも無頓着で飾り気がないのは彼女の趣味なのか、それともこの髪質が自然とそうさせているのかどっちだろう。長いほうが好き、と私がこぼしてから伸ばしてるみたいだけど。ああもう、可愛い。


 今度アクセサリを贈るのに、高価すぎず、この年頃の子が自然に身につけられるものってことでヘアピンとかも考えてたんだけど、ひとまず保留にして別のにしようかな。

 硬質ですべすべの髪質を指先で堪能しながらそんなことを考えていると。


「お、脅されたら、やってください。先生になにかあったら、嫌なの、で」


「ぷ」


 思わず吹き出すと目を吊り上げて睨まれる。でも私に密着したままなので可愛いだけだ。


「アナンは真面目ねぇ。わかったわ、いつだってアナンと一緒にいるためにできることを頑張る。それでいいわね」


「……はい」


 そう言っていつもは大人びている顔を破顔させるものだから、ああ私この子のこういうとこ好きだなぁと思いっきり抱きしめた。その時。


 ガララ。


「おーす……って、あずさ、あんた何してんの」


「お邪魔虫は帰って」


「ピンク脳擁護教諭が学校追い出されないように様子見に来てやった同僚にひどい言い草だと思わない、ねぇ小澤」


「柳先生……」


「……小澤にも睨まれるとは思わなかった」


「へ? い、いやっあの、そんなつもりは」


 多分、いいところだったのに、みたいな目で見たんだろうなぁとクスクス笑いながら、慌てて謝罪するアナンとわざとらしく嘘泣きするいつせを眺める。


「いつせも大概意地悪よね」


「学校でイチャイチャしてるあんたらが悪いよ」


「はいはい、以後気をつけまーす」


 生返事ばっかりしやがって、と苦笑するいつせだったが、ふと真顔になってこぼした言葉が気になってしまった。


「……あの子も、あんたたちくらい素直になれたら幸せだろうに」


 無意識だったのか、私が物問いたげに視線を向けると「あー、なんでもないよ」と誤魔化されてしまう。けど、私はハッキリ聞いたぞ。

 あの子、ねぇ。いつせ自身は今同棲中だし、相手とは円満だとノロケ話も聞かされている。それに確か、いつせの彼女は年上だったはずなので「あの子」という呼び方にはどうも違和感がある。


 それに何より恋愛脳の彼女には珍しく、純粋に「あの子」とやらを心配するような声色だったのが気にかかった。


「……ま、いいけど」


 そんなことより私は目の前の天使を愛でるので忙しいし。


「アナンってばー、いつせばっかりじゃなくて私もかまってー」


「うえ!? あ、あの、せんせ、柳先生が見て、ひゃう」


「あずさ、あんたそれ以上やったら本当に免職ものだからね」


 あーあー、世間の目って鬱陶しいわね。愛する二人が触れ合うのに、何を嫉妬してるのかしら。

 私は同僚の忠告を無視して、可愛い恋人をもう一度抱きしめるのだった。

 ……ああ、いい匂い……。



***



※お知らせ※

以上で第一章終了ですが、同時に書き溜めが無くなったので一気に更新速度が落ちるかと思います。ゴメンナサイ。のんびり待っていただくか、しばらく放っといて思い出した時に一気読みしてやってください。

おそらく週二回前後の更新ペースになるかと思います。

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