キスしてほしい

「……キス」


 ふいに、マキちゃんの口からこぼれた言葉に私は「ん?」と首をかしげる。


「キスしよ、おねーさん」


「え」


 前触れ無く放たれた言葉に、彼女の頭を撫でていた手が止まる。マキちゃんは気にした風もなく、どころか頭に乗っていた私の手をぐいと押しのけるようにしてこちらへ身を乗り出してくると、上気した頬の熱に目を潤ませて、私に顔を寄せてくる。


「ちょ、マキちゃん待っ――」


「だめ?」


 だめってそりゃ、ダメでしょ、普通に考えて。

 だって私達は恋人じゃないし、マキちゃんは小学生だし、私達は女同士だし、ここは真っ昼間の公園だし。


 そもそもマキちゃんは、正しく私を好きなわけじゃないのだし。


 憧れと恋心を取り違えるのも、恋愛に背伸びをしてついつい漫画やドラマみたいな行為に及ぼうとするのもわからないではないけれど。

 でもキスは、さすがにね。手をつなぐとか頭を撫でるとか、それくらいの接触なら、マキちゃんの「おねーさん」として何もおかしくない。けどキスはダメだろ、と私の中の私が呆れる。……至近距離で目を潤ませるマキちゃんに思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった私自身に、もうひとりの私が呆れている。


「だめ、っていうか」


 ダメはダメだけど、なんて言って断ればいいの、これ。


「だめじゃないなら、して」


 そう言ってマキちゃんは目を閉じる。ちょっと、そんな誘い方どこで覚えてきたの!

 ……これは、恋人じゃないからダメって言っても聞かないよね。仕方ない。


「わかったよ」


 私がそう言ってそっとマキちゃんの頬に手を触れると、目を閉じたままの彼女がびくっと身をこわばらせた。誘い方は一丁前なくせに、とちょっぴり微笑ましい気持ちになる。子供扱いしないように気を配っているつもりだけれど、こうして年相応の幼さを覗かせるのは素直に可愛いなと思える。そう思えるだけの心の余裕が、私を落ち着かせた。


「……ん」


「あ」


 わかった、と言葉にした通り私はマキちゃんにキスをした。ただし彼女の唇ではなく、額に。


「……むぅ」


 目を開けたマキちゃんがぷくうっと頬を膨らませる。


「ん!」


 そして今度はそのまま唇を突き出してきた。いやいや。


「お友達のキスはここまで。この先は、マキちゃんの本当に大事な人としなきゃ」


「うー」


 マキちゃんは不機嫌そうに唸ったがそれ以上食い下がろうとはしなかった。納得はしないが私の言っていることは理解しているんだろう。


「……わかった。おねーさんの彼女になるまで我慢する」


 あ、そうなるのか、そっか。

 私は本当に好きになった人としなさい、と言ったつもりだったんだけど、マキちゃん視点だと「付き合うまでキスはお預け☆」って言ったことになってるのか。なんだその私、うぜぇ。


 まぁでも、敢えて訂正することではないだろう。どんな理由であれ、友達から、と言ったのは私だ。マキちゃんが恋心と憧れとの違いに自分で気づくまでは、私は少しばかり嫌な女を演じるくらいで丁度いいのかもしれないな、と思う。


 いや、そもそもの話、そこまでする義理はないのかもしれないけど。


 それでも彼女に好意を伝えられて嬉しくなかった訳ではないのだ。好意の種類を取り違えているとしても、こんな何も持たない私を好きだと言ってくれた彼女の純粋な想いは嬉しかった。好意に応える応えないという煩悶に終わりが見えた途端、私は自分でも驚くほどあっさりと自分の気持を認められた。


 それがどんなものであれ、私という個人だけに向けられた好意は得難いものだ。いつせとの関係が解消されて以来久しく感じていなかった気持ちに、数年来の渇きを癒やされたような心地さえする。私がマキちゃんのために出来ることを探す理由はそれだけで十分だった。


「でも、約束だからね。彼女になったら、おねーさんからキスしてよね!」


「あはは、うん、じゃあ約束」


 言いながらもう一度頭を撫でると、不満げに膨らんでいた頬からふしゅっと空気が抜けて表情が緩む。見ている私まで幸せになる笑顔だ。

 うん、もっと笑ってほしい。もっと幸せになってほしい。そう願う気持ちが強まるたび、私の中にも気力が満ちていくような気がした。

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