1.おともだち

プラスかマイナスか

『で、付き合うの?』


「……ねぇ待って私の話聞いてた?」


 きーてたきーてた、という抑揚のない返事に若干イラッとしながら、私は電話の向こうに聞こえるようにわざと大仰なため息をついた。


「聞いてたなら何で付き合うかなんて聞くのさ。どっちかっていうならどう断るかって話でしょ」


『小学生相手に告白の返事を焦らすなんてシズは悪い女だなぁって話でしょ?』


「一言もそんなこと言ってないでしょ!」


 電話口に怒鳴ると向こう側でけたけたと笑う声がする。


「相手女の子、小学生、本名も今日知ったばかり。付き合うなんて無理に決まってるでしょ」


『そかな? うちの職場にも一人いるよ、女の子と友達以上恋人未満な同僚』


「おい聖職者」


『その前に人間ってことでしょ』


 投げやりにそうぼやく電話向こうの女が、これで人を導く教師だというのだから世の中いろいろ間違っている。


 バイトを終えて部屋に帰ってきた私は、夕飯もそこそこに電話やメッセージの履歴に頻出するこの女に電話をかけ、マキちゃんのことを相談していた。

 からかわれるだろうとは思ったが、実際問題私の狭い交友範囲の中で彼女ほどこの手の問題に慣れている人間もいない。


 電話の相手、柳いつせは私のひとつ上の27歳。高校の先輩で、現在は小学校で教鞭をとる教師でもある。

 自称および他称ともに「恋多き女」であり、私のこれまでの人生に一人だけ存在する――元恋人、である。


『やっとシズにもいい人が出来たのね、おねーさん嬉しい』


「うっさい」


『あっはは。そんで? 実際なにがそんなに引っかかってんのさ。女同士には抵抗ないんでしょ?』


 今度は電話越しにわからないように顔をしかめた。

 抵抗がない、と彼女は言うがそれは少し違う。

 たしかに私は、男も女も平等に恋愛対象にできる人間だ。ただ、最初からそうだったわけじゃない。女の子でも好きになれる、そう思ったのはいつせと付き合ってからだった。


 高校の時、先輩だったいつせに告白されて、戸惑いながらも付き合って。いつせの卒業と同時になんとなく交際が途切れ、大学時代に偶然再開して気づけば腐れ縁の友人に落ち着いている現在。

 いつせのことを、今もそういう目で見れるかと言われれば否だ。あれはあの瞬間の私が抱いた憧れで、今の私はいつせを憎めない友人として見る自分に満足している。


 ただ、彼女と付き合っていた学生時代が私の薄っぺらな人生で一番中身の詰まった時期だったのは確かだ。


 人生で一度だけ出来た恋人。


 私はきっと、今も恋愛というものにあの日の輝きを追いかけている。いま電話の向こうにいる生身のいつせではなく、あの日私に恋を教えた少女の面影を、今でも求めている。


 だからきっと、私は二度と恋愛をしないんだろうな、と漠然と思っていた。


 女同士に抵抗はない。ないけどそれは多分、本当の意味で私が女の子を好きなわけじゃなくて。あの幸せだった日々の私の隣にいたのが女の子だった、という話で。


 私は眼の前にいる誰かをきっと好きにならない。いつだってその誰かの肩越しに、あの頃のままのいつせを探してしまうんだ、と私は今の自分と恋愛との関係をそう理解している。


『子供は嫌い?』


「嫌いじゃない……けど、苦手かな」


『だよね』


 知ってた、とでも言いたげな忍び笑いが漏れ聞こえてくる。なんやかんやでそれなりに長い付き合いだから、いつせは私のことをよくわかっている。


「何を考えてるかわからないし、理屈が通じないから、苦手」


『その言い方だとなんかおっそろしい生き物ってカンジね』


 いつせはそう言ってまたけらけらと笑うが、私に言わせれば正直「大差ないよ」ってところだ。考えも読めない、言いくるめようとしても理屈が通じない、それでいて相手はこちらの予想の外側を悠々と飛び回る。

 私にとって子供というのはそういう存在で、だからどう対処していいかわからない。迂闊なことをすれば壊してしまいそうで、そういう意味でも危ういし恐ろしい。怖い生き物、という言い方をすれば子供もモンスターも同じことだ。


『じゃあ、仮にその子があたしらと同世代だったら、付き合うの?』


「……どうだろ」


 どうだろう。改めて考えてみても、そもそもの想定に無理がありすぎる。マキちゃんが私と同世代だったら? そもそもあんな告白なんてしてこないんじゃない? としか思えなかった。


『子供だからって理由だったらさ、それは違うでしょ』


 少しわざとらしい棘を含んだ言葉が突き刺さる。

 私が自分に対しても他人に対しても子供扱いを嫌うことをいつせは知っている。だから今の言葉は「あんたがそれを理由にするつもり?」という非難を含んでいる。


「……お互いよく知りもしないで付き合うとか、無理でしょ」


『あたしと付き合った時なんてほとんど初対面だったじゃない』


「いつせは節操なしだもん。付き合ったって言っても、押し切られただけだし」


『あたしは可愛い子としか付き合わないって』


 ……そうか、あの頃の私はいつせにとって可愛かったのか。

 私にとってのマキちゃんも「可愛い子」ではある。でも、じゃあ付き合えるかっていうのは別の話だ。


 その理由は? 子供だから、という私の最も嫌う理由が結局大部分を占めるのだろう。そのことを理解しただけで嫌気が差した。結局、私もそこに理由を求めるような人間になってしまったのだろうか。


『シズはさ、もっとシンプルでいいと思うよ』


「シンプルって?」


『あたしはびびっとくる可愛い子だったら、誰にでも本気で告るし、付き合う。なんでかわかる?』


「恋愛脳?」


 間違ってないけどさ、と苦笑しながらいつせが続ける。


『好きなものは好きって言う、そう決めてるから。それだけ』


「……シンプルだね」


『でしょ』


 だからさ、と諭すように言ういつせの声を聞きながら、そういえばいつせは気が多い割に誰かと付き合っている間に目移りしたことはないな、とそんなことが頭をよぎった。


『付き合うとか付き合わないとか置いといてさ。まずはその子が好きか嫌いか考えてみたら? 友情でも愛情でも、好意があるなら一緒にいたらいいでしょ』


「……付き合って、って言われてるのに友情でもいいとか、ずるくない?」


『ないない。嘘ついて誤魔化したってしょーがないじゃん』


 ――プラスか、マイナスか。

 そういう見方をするなら、きっと私にとってのマキちゃんはプラスだ。

 好きだと言われて悪い気はしない。一緒にいて少し気まずい思いはするけれど、邪気のない様子で慕ってくれる彼女を可愛いと思う私はいる。


『付き合うとか付き合わないとかはさ、多分、そのうち勝手に結論が出るよ』


「……そういうもの?」


『だって、好きになったら理屈なんて関係ないもん』


 いつせの無責任な言葉が、妙に私の胸をざわつかせた。

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