わからない、気にならない、くらいに。
本日、二月十四日。
いわゆるひとつのXデー、である。
マキちゃんには既に連絡してある。きっと寂しい思いをさせてしまっただろうから、本来なら私から出向いて謝るべきなのだろうけれど、でも綾女さんの目があるところでマキちゃんと「今後のお付き合いの話」なんてできるわけも無いので、我が家へご招待と相成った。
そしてこれまた本来であれば、せめて彼女の家の近くを待ち合わせ場所にしてこちらが迎えに行くべきなのだけど……それもしていない。情けないことに顔を合わせる気まずさを少しでも先延ばししたい、という気持ちもあったけれど、そもそも外で顔を合わせてから家に着くまで、いったい何を話せばいいのかまるで思い浮かばなかった。
今日の本題は、歩きながら片手間にすることじゃないし。かといって、その話をする前に何食わぬ顔で世間話ができるほど、私は器用な人間じゃない。
だからマキちゃんに来てもらうしかなかった。……いや「しかなかった」はさすがに、都合が良すぎる言い方だけども。
でもその分、ちゃんと覚悟は決めたつもり。
あの日、楓さんに言われたように、マキちゃんより十以上年上の「おねーさん」として、なんてそんな余計なことは考えないで。
私を知りたい、私の好きなものを好きになりたいと言ってくれた彼女に惚れ込んだ、ただの恋人として。
――私も、ちゃんとアピールするんだ。
マキちゃんが好きって言ってくれることに甘えるんじゃなく。もっと言うなら、マキちゃんに好かれているかどうかもこの際脇にどけて。私がマキちゃんを好きだから一緒にいたいんだよってこと、ちゃんと伝えなきゃいけない。
そのための準備もした、けど。
「……やっぱ、手作りにするべきだったかな」
リビングのテーブルに鎮座するラッピングされたチョコレートを見て怖気づく。元々くっついていたメッセージカードでは小さすぎて、結局自分で用意したレターセットがくっついているそれは、何の変哲もない市販のチョコレートである。……いや、何の変哲もなさすぎるかもしれない。
や、やっぱり想いを伝えるならそういうものの方が……? い、いやでもさ、私チョコとか作ったことないし? だいたい素人の手作りってあれ、要は溶かして固めただけっていうかそれを手作りですってマキちゃんに差し出す度胸は私にはないっていうかだって嘘つくのはヤだしそれで手作りだーって喜ばれるのもなんか違うなって思うしだから手抜きとかそういうのではなくていやほんとでも自分の手を使って作ったものじゃないのはやっぱり――。
ぴんぽーん。
「ひょわっ」
思わず椅子の上で跳ねてしまった。ぽこっ、と開きっぱなしだったチャットアプリにマキちゃんからメッセージがくる。
『ついたよー』
ああ、これはもう間違いない。チャイムの主はマキちゃんだ。いや、今日この時間、学校が終わったあと一度帰ってからでもいいよと言ったのに、すぐ来るからって言ったのはマキちゃんの方だから、そりゃ時間どおりに来るのは当然なんだけど。
「はッ、はいはーい」
裏返りそうになる声をなんとか押し留めて玄関扉に向かって返事をする。落ち着け、落ち着け私。大丈夫、大丈夫だ。最近あんまりお喋りできなかったことを謝って、改めて好きだよってチョコを渡すだけ、そう、それだけだから、何も心配することとかないから!
一度だけ深呼吸。そしてそっと、扉を開ける。
「――靜、さん」
「マキちゃん、こんにち、は……」
「ふぇっ」
じわり。
「え、え?」
「う、ぐす、ひぅ……」
「えぁ、あ、あの、マキちゃん、泣いて、えっ、あの、ごめっ、私、ごめんね、ごめんね?」
「じずがざぁん」
ひしっと抱きつかれる。ま、待ってマキちゃん扉! 扉開いてるから! ここで抱きつかれちゃうと閉めれないから! 一階じゃないとはいえ同じフロアの人とか通ったら丸見えだから!
「……ない、で」
「え?」
「嫌いにならないでぇ……」
ぎゅうっと、しわが寄るほど服の背を握り込まれる。マキちゃんの小さな身体は震えていて、喉からは嗚咽が止まらない。いくら私が鈍感だって、これが寒さからくる震えじゃないことくらいわかる。
「マキちゃん……」
「靜さん、すき、だいすき! だから、わたしのこと、きらいにならないで! かのじょがんばるから、靜さんにもっといっぱい、わらってもらえるように、がんばるから、だから――」
「マキちゃん」
少しだけ、語調を強めて名前を呼ぶ。私が傷つけてしまった、大事な女の子の名前を。
「ごめん、ごめんね、不安にさせたよね」
「靜さん……?」
「逃げるようなことして、ごめん。ちゃんと私の気持ちを伝えて、相談しなくてごめん。彼女なのに、勝手にいろんなこと決めようとして、ごめんね」
「しずかさん」
「たくさん、たくさんごめんなさい。それでも、これだけは言わせてちょうだい?」
言いたかったこと。言うべきこと。
使い古された言葉。これまでも、何度も伝えた言葉。
それでも、何度でも言いたい。
今、言わなくちゃいけない。
「大好き、なの」
かっこつけた言葉で飾るような洒落た真似はできなくて。
「大好きだよ。逃げるようなことして、マキちゃんを泣かせちゃって、私ホント、ダメだけど。風邪引いて、ダメなのにマキちゃんが来てくれて嬉しくて甘えちゃうような人間だけど、でも、ほんとに、ほんとに好きだから」
「わた、ひぐ、わだじ、も。すきだから、しずかさんのこと、すきだから!」
「うん、うん」
マキちゃんにつられたみたいに、私の視界も滲んでくる。
「も、やだ……! 会えないの、やだ。あそびにいっても、すぐに帰らなくちゃいけないの、やだ。ぜんぜんいっしょにいれないのやだ! しずかさんが、笑ってないの、やだぁ!」
「……っ」
ひくっと、私の喉も震える。声こそ出さなかったけれど、吐き出す息が波打って、視界いっぱいに広がった涙でマキちゃんの顔がぶわっとぼやける。
「私も――」
そうだ。大人だから、節度を持たなきゃって。我慢しなきゃって。マキちゃんを、ちゃんと大人にしてあげなきゃって。そう思ってたけど。そう思わなくても、いいのなら。
「私も、毎日だって会いたい。もっと一緒にいたい。お泊まりだってして欲しい。たくさん抱きしめてあげたい。好きだよって言いたい。マキちゃんに、笑って欲しい!」
涙声の私は、マキちゃんにどう見えてるんだろう。情けない、ダメな大人だって思われてるかな。それは望ましいことではないのかもしれない。恋人の前ではカッコつけたい、そんな私もいる。
でも、だけど今は。
それも私なんだよって言いたい。私の好きなものを知りたいと言ってくれたあの夜みたいに、私の弱さも、受け入れて欲しい。私のダメなところも知って、それでも好きだと言って欲しい。
私達は泣きながら抱き合って、玄関扉を閉めるのも忘れてわんわん泣いた。泣きながら、何度も何度も、もうまともな言葉にもならない涙声で「すきだよ」って言い合った。
どっちが大人か、子供か、わからないくらい。
――どっちが大人で子供かなんて、気にならないくらいに。
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