夜まで
「さ、靜ちゃん。今日はそろそろ片付けましょうか」
「はい?」
スタッフルームから出てきた遥さんに言われた意味がわからずぽけーっと首を傾げる。片付け? まだお昼すぎなんだけど、もう店を閉めるんだろうか。
私がキョトンと要領を得ない顔をしていると、遥さんは苦笑しながら「忘れてたみたいね」と説明してくれた。
遥さんは普段、経営するこのビデオ屋と本屋とを午前と午後に分けて行き来している。車で二十分ほどの距離なのでそれなりに離れてはいるのだが、まぁどちらの店舗にもいつでも顔を出せない距離ではない。
なので店長不在で店を開けることはあっても電話一本で遥さんはどちらの店の対応もできることになっている、のだけど。
「今日は用事があって市外まで出ちゃうから、午後はお休みの予定だって言ってあったでしょう」
「……あー」
そんなことも言っていた、ような、気がしないこともない。正直最近はマキちゃんのことで頭がいっぱいだったからか、遥さんの話を聞いた覚えがない。なんとなく言われて見ればそんなことを言っていたような言っていなかったような……という程度の記憶しかなかった。
「靜ちゃん?」
「いや、はい、大丈夫です、思い出しました、はい」
正しくは思い出したとは言えないけれども、ひとまず店を閉めなくてはいけないことは理解したので閉店準備に取り掛かる。遥さんの物問いたげな視線を振り切るように働きながら、考えるのは結局マキちゃんのことだった。
お泊り、お泊りかぁ……いつぶりだろ、私の家に人を泊めるの。いまのアパートに引っ越してからはたまにいつせが泊まっていくくらいだけどあいつは泊めたっていうか勝手に居座ってるだけだし、床でひっくり返って熟睡して勝手に帰るからお客って感じじゃないしなぁ。
いや、でも私とマキちゃんは友達なわけだし。あまり気を遣いすぎるのも「友達」の範疇を逸脱してしまう気はする。とはいえ綾女さんに責任持ってお預かりしますと請け負っているのだから、そこは子供を預かる身として配慮するべきこととか……いや配慮って何すればいいかさっぱりだけど。
大丈夫、落ち着け私。友達が一泊するだけだ。怪我させないようにとか、そういう注意は必要だけども過剰に身構える必要はない。別に何か特別なことをするわけでも、何かされるわけでもない、はずだ。
『キスしよ、おねーさん』
……いや、ないない。何を思い出してるんだ私は。
「靜ちゃん?」
「ひゃい! 健全です!」
「それは結構だけど、何か心配事かしら?」
飛び上がらんばかりに驚く私にくすくす笑いをこぼしながら、遥さんが小首をかしげる。
「いや、ええと……」
友達が泊まりに来るんですけどどうしたらいいですか、というのもおかしいような、だからって小学生を家に泊めるんですけど、とも言い出せず私がまごついていると「そういえば」となにか思い出したように遥さんが続けた。ナイス話題転換、そのまま私の挙動不審については全部忘れて欲しい。
「今日はマキちゃん、遊びに来るの?」
「ど、どこにですか!?」
「どこってココにだけど……」
あ、ああそうか、お店早く閉めちゃうから、いつもマキちゃんが来る時間にはここ閉めちゃってるもんね、そうだよね。お泊りまで全部見透かされてるのかと思ってしまった。
「いや、今日は家まで迎えに――」
「あら、もうお家まで行ったの?」
しまった。動揺して思わずこぼしてしまった予定に遥さんが目に見えてぱああっと表情を華やがせる。なんでこの人こんなに楽しそうなの! やめて、詳しく聞こうとしないで!
「ま、まぁどっちにしても、昼でお店を閉めるって言い忘れていたのでこの時間には来ませんよ」
「あら、じゃあお迎えも夕方?」
「その予定ですけど……」
なかなかマキちゃんの話題から離れてくれない遥さんをじとーっと睨みながら対応するけれど、遥さんは気にした風でもなく楽しそうだ。なんで私がマキちゃんを迎えに行くとこの人のテンションが上がるんだろう。因果関係がさっぱりわからない。
「せっかく早仕舞いなんだから、早く行ってあげたらいいのに。夕方からじゃ、あんまり一緒にいられないでしょう? マキちゃんまだ小学生だものね」
「いや、そんなの今日はどうせ夜まで、あ、いや、なんでも」
「……夜まで」
ほほう、と遥さんが目を細めた。我が口ながら考える前に返事をするいい加減さが憎い。
「…………お泊り?」
「お、親御さんが忙しいとかで、一晩預かるだけですってば」
「親公認ってわけね」
「いや非公認で小学生連れ込んだら犯罪ですってば」
「ちゃんとマキちゃんの気持ちも確かめるのよ? 大人なんだからちゃんとリードしてあげて、マキちゃんのしたいことをちゃんと受け入れる懐の深さをアピールするとグッドだと思うわ」
「教育の話ですよね!? 躾とか子育て的な意味合いですよね!?」
「子育てだなんて、もうそこまで考えてるの? でもマキちゃんにお母さんはまだ早すぎるんじゃ」
「お疲れ様でした!」
逃げるが勝ちだ。私は勢いよく遥さんに頭を下げるとさっさと店を出た。鍵かけたりとか、その辺は店長の仕事だ。
「はーい、お疲れ様ハンバート」
「誰がですか誰が!」
背中にかけられた声に思わず怒鳴り返すと遥さんは笑いながら店の奥に引っ込んだ。……なんか、軽口の傾向が佐川くんに似てきてませんかね。
「……大丈夫よ、家に泊めて、ご飯出してお風呂入れて、ゲームでもして寝かすだけ。何も、何もないのよ、うん。親戚の子を預かるみたいなものだから」
などと自分に言い聞かせながら、親戚にマキちゃんくらいの女の子がいたかどうかも思い出せずにいる私だった。
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