大好きな人

「ごめんなさいね、こんな時間まで」


「いえ、すみません……」


「夕飯、食べていかれます?」


「や、大丈夫です、すみません……」


 ぎゅうううう。


「お腹、鳴ってますけど?」


「……すみません」


 おのれ私の腹め。綾女さん笑ってるし。


「よかったらどうぞ」


 テーブルを挟んで対面に腰を下ろした綾女さんはビスケットの乗った皿を私とのちょうど中間あたりに置き、二人分のコーヒーを並べた。ちなみに私にはまだマキちゃんがお腹から胸あたりにしがみついたまま寝ているので椅子から立ち上がることもできない。


「おねーさ……えへぇ……」


 くっ、可愛い。


「ふふ、よく寝てるわね。よっぽど気に入ったのかしら」


「……そう、なんですかね」


 私の返事とも質問ともつかない言葉には反応せず、綾女さんはズッと音を立ててコーヒーを口に含んだ。私もマグカップを手に取って、ふーふーと軽く冷まして口をつけずテーブルに戻す。猫舌ぎみなのだ。コーヒーも感情も、熱いのが苦手。安い表現だなと自分で思ったことに苛立った。


「さっきは、ごめんなさいね。てっきり、マキから明日のことを聞いているんだと思って」


「明日、なにかあるんですか?」


 そういえばさっきも、助かる、とか言っていたような。


「何かってほどでもないんですけどね。明日は私、夕勤スタートの昼まで残業コースなので」


 人手不足ってヤですよねぇ、と笑い飛ばされる。


「一晩マキを一人にしておくのは心配だったし、お泊りできるお友達がいたらお願いしてみて、って今日学校に送り出したのよ。でもまさか、柊さんを連れてくるとは思いませんでしたけど」


「う、すみません」


 そうだよね、こんな得体の知れない女連れてきて、挙げ句その女に半ギレされるとか思ってないよね、わかる。


「あ、いえいえ違うんですよ。もう、そんなに謝らないでちょうだい」


「いや、だって、あの……すみません」


 だって、謝る以外に何を言えばいいのか、よくわからない。初対面の人にあんな意味不明なキレ方するとか、十数分前の自分をはっ倒したい。


「柊さんは、マキのこと好きですか?」


「はぇ!?」


 思わず椅子から飛び上がりそうになって慌てて胸元のマキちゃんが起きてないかを確かめる。

 いやそれはいい、とりあえずいい。ソレより何より好きって、好きってナニ!? まさかマキちゃん家でも私のことをそんな風に、っていうか告白したとか全部もう喋ってたりするの? ちょっと待ってよ、仕事してよ思春期。恥じらえ。


「好き、というか、あの、可愛いなっていうのは、思ってますけど」


 変質者か私! いやほんと、嘘偽りのない感想なんだけども!


「そーでしょ、可愛いのようちの娘」


 にへーっとだらしない笑顔で調子に乗る綾女さんは、とても娘を蔑ろにしているようには見えない。


「その可愛い娘が、いつも貴女の話をしてるんですよ」


「え」


「優しくてかっこよくて可愛くて大好きなんですって」


 悪戯っ子のようにニヤリと笑ってそう告げられて、私は先程までの怒りや焦燥とは全く別のベクトルで全身に熱が回るのを感じる。


「別にね、マキの言うことを全部鵜呑みにしてるつもりはないわ。でも、子供っていうのは大人よりずっと敏感だから。懐くってことはちゃんと理由があるってことだと思うのよね」


「……理由」


「ええ。それは私達には言葉にできない、とても感覚的なものかもしれないけれどね。でも、あの子が大好きーって毎日言ってる人が悪い人だとは思いにくいでしょ?」


「それは、まぁ、はい」


 マキちゃんが「大好き」な人なら、なんとなく私も信用してしまうような気はする。なんというか、マキちゃんは言動こそ幼いけれど適当に誰でも褒めるわけじゃない。遥さんと初対面のときだって、始めは距離をおいて、私とのやり取りを見てから近づいていた。そういう警戒心は、ちゃんとある。


「それに、電話で済むところをこうしてわざわざ家まで来てくれて、私の粗相の片付けまで進んでやってくれるんだもの。悪い人じゃないなってことくらいわかるわよ」


 悪い人、ではないか、うん。


 自分が悪人だと嘯く趣味はない。でも、大学出て、これといった目的もなくふらふらとフリーターを続けているような女だ。決して出来た人間じゃない。社会的地位、みたいなものもきっと、相当低いし。


 悪人ではなくとも、疑うに足る人間だと、私は自分をそう思っていたのだけど。


「だから柊さん、もしよかったら明日一日、マキのことお願いできませんか?」


 この子も喜ぶと思いますし、と。そう言って眠りこけるマキちゃんを見る綾女さんの目は優しい。それはよくわからない女に娘を預けてなんとも思わない人の目つきじゃない。


 娘の「楽しい」や「好き」を大事にしてあげたいと、そう思っているだけのただの母親の目で。


「……綾女さんは、いいお母さんですね。さっきは、本当にすみませんでした」


「あらお上手。ま、こんないい子を育てましたからね、なーんて」


 からからと笑う綾女さんが尊重するマキちゃんの気持ちを、私だって蔑ろには出来ない。何より、今日ここに断られるつもりで来たとは言え、そもそものところ、私は。




『……靜さんて、あの子のこと嫌いなんスか?』


『はぁ? あんな可愛い子のどこを嫌うっていうのよ』




 私だって、マキちゃんのことは可愛いし、大好きなのだから。


「おね、さ……すきぃ……」


 ……いや、もちろんマキちゃんの言う「好き」とは別ですけどね!


「責任持って、お預かりします」


 結局、私はそう言って綾女さんに頭を下げた。

 胸元で寝息を立てるマキちゃんの温かさに、なぜか私の体温まで上がった気がしたけれど、それはきっと気のせい、だよね。

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