柊さんはこじらせている
「や、お恥ずかしいところをお見せしましたー」
いやーまいったまいったと軽快に笑う女性に曖昧な笑みで応じながら「いえ、大事なくてよかったです」と当たり障りのない感じの返答でお茶を濁す。
先程までのぐったりした様子から一転、カラッとした景気のいい笑い声を上げるのはマキちゃん――いまさらだが本名は
さっぱりした態度そのままに短く切り揃えられた髪は黒と言うには明るい程度の茶髪。取り立てて美人というわけではないが、目と口が大きくてよく動くので顔の造形を気にする前にその快活さに呑まれてしまう感じだ。左耳にだけシンプルなリング状のピアスをしているのが、飾りっ気なさそうな彼女の印象を少しだけ鋭くしていた。
「いやぁ普段はあんなになるまで飲まないんですけどね! 今日は昔なじみの酒豪とばったり街で出くわしたもんだからついつい飲みすぎちゃって。どうにか家まで帰ってきたはいいんだけど、その後の記憶がまるっきりないんですわこれが」
やーねー、とばかりに顔の前で手を振るが、私は笑顔が引きつらないようにするので精一杯だ。旧友と再会したというのはまぁいいが、それであんなになるまで昼間から飲むというのはどうなんだ。一人ならまだしも、この人はマキちゃんの、一人の女の子の母親なわけだし。
そのマキちゃんは一度自分の部屋に引っ込んで着替えてからこちらへ戻ってきて、いまは私の膝の上に抱えられてご機嫌だった。
「やーほんと、マキが柊さんと一緒で助かりましたよ。この子だけじゃさっきの私の惨状に対処しきれなかったでしょうし」
そう、マキちゃんの家を訪れた時にはまだ夕暮れ色だった空はすっかりと暗くなって夜の様相。挨拶だけして帰るつもりが気づけばすっかり夕飯の時間である。
というのも、綾女さんはあのあとすぐに意識は取り戻したものの数歩前に歩くのも覚束ない様子で片付けもままならなかったわけで。仕方なく軽く水など飲ませてから綾女さんにはゲロまみれの顔を洗うついでにシャワーを浴びてきてもらい、私がリビングの惨状をどうにか復帰させていたのである。
まぁ、復帰といってもゲロの後片付けさえしてしまえば、あとは綾女さんが前後不覚で散らかしたリビングの小物をテーブルの端に寄せておくくらいしかすることはなかった。
「マキはこんな素敵なおねーさんとどうやってお友達になったのかしらねぇ」
「えへへー」
おねーさん、の発音がマキちゃんと一緒だった。なんとなく、親子なんだなぁと察する。
告白のことをぽろっとこぼされたらどうしようかと少し身構えたが、マキちゃんは私がお母さんに褒められたことが嬉しいのかにかっと笑って私を見上げてきた。自分が褒められたみたいにちょっと得意げにしているのがなんともくすぐったい。
そんな感じで場の空気はすっかり弛んでしまったが、ずるずるとここに居残るわけにもいかない。
「……あー、ええとそれで、ですね」
「あ、はいはい。遅くなりましたけどご用件を伺いますよ、うちの子がどうかしました?」
「あ、やーそういうことではなく……」
ええい、ままよ。
「あ、明日なん、です、けど……む、娘さんを、うちに泊めてもよろしいでしょうか?」
「あら、いいんですか? 助かりますー」
……ん?
「いいの、お母さん!?」
「いいわよ。迷惑かけないように、ちゃんといい子でいるのよ?」
「うん!」
いやいや、待って待ってちょっと待ってむしろ待て。
「え、いやあの、え?」
「「?」」
露骨に取り乱す私に親子が揃って首をかしげる。私か? 私がおかしいのか? そんな馬鹿な。
「ちょっと待ってください、そんな、あっさり」
100%拒否されるという前提でここまで来たのだ。そんな風にノータイムでオッケーされるとは微塵も思っていなかった。
「だってあの、私、お母さんとお話しさせて頂くのは、初めてですよ?」
「お店で少しお話したじゃないですか」
あ、この人一応私があのレンタル屋の店員だってことは把握してるのか。いやでも、それだけでこうもあっさり娘を預ける決断に至るのはおかしいでしょうよ。
「それは、でも店員として対応しただけですし」
「まぁほら、誰とも知らない訳じゃないですから」
なんでだ。なんでそんな風に簡単にお泊りを認めるんだ。百歩譲ってお泊りを許可するにしても、その前に私の住所やマキちゃんとの関係を問いただすのが親の責任じゃないのか。ひとつも、何の確認もしないままに認めるなんて、そんなのまるで、マキちゃんのことをちっとも大事にしてないみたいじゃないか。
……なんか、だんだん腹が立ってきた。
「綾女さんは、心配じゃないんですか? 大事な娘さんを、私みたいなよくわかんない女の家に急に預けるとか、それに、昼間から酔いつぶれて娘さんに心配かけて、ちょっと、無責任過ぎるんじゃないですか!?」
自然、責めるような口調になりヒートアップしていく私を、冷静な私は諌めもせずに見つめている。無責任なのは誰だ。受け入れられる可能性を初めから考えもせず、軽薄にこの家に足を運んだのは誰だ。
「お酒が好きなのも、旧交を温めるのも結構です! でも、貴女はマキちゃんのお母さんでしょう! どうしてそんなに、そんなに――っ」
そんなに、何だというのか。加熱する感情だけが先走って口から飛び出し、言葉が続かない。感じている憤りが目の前で驚いた顔をしている綾女さんに対してのものなのか、私自身へのものなのか、それすらも判別がつかない。
意味もわからないのに涙が滲んできて、怒りなのか焦りなのか羞恥なのかわからない熱が顔に籠もって、勝手に唇が震えて、じわりと涙が滲む。
私はこんなに不安定な人間だっただろうか。絶対コレ、今日家に帰って自己嫌悪で動けなくなるやつだ。
そうまでわかっていながら、燃え出した感情の火は一向に収まらない。
その時、唐突にぎゅっと、手を握られた。
「っ、ぁ……」
私に抱えられていたマキちゃんが、私の右手を両手でぎゅっと握って、不安げに私を見上げていた。
「ごめ、マキちゃ――」
「……泣かないで?」
涙が、引っ込んだ。
「泣かないで、おねーさん。わたし、わたしぃ……ふぇ」
え。
「ふぇぇええええ――」
「ちょ、マキちゃん!?」
「あらあら、ほらマキ? おねーさん困ってるわよ」
「だっでぇぇぇぇぇえ」
「ご、ごめんねマキちゃん! 私が、あの、えっと」
ああわかんない、なんでマキちゃんが泣くんだ。追い詰められていたのは私だし、責められていたのは綾女さんのはずなのに、なんでこの子が泣くんだ。これだから子供って苦手なんだ。予想がつかなくて、大事にしたいのに全然知らないところで傷ついて、理解の及ばない理由で泣き出して。
――そうやって「わからない」という言い訳を、私に許す。
びええええと泣くマキちゃんを前に、先程までの怒りや焦燥も吹っ飛んで、彼女が泣き疲れて眠るまで、私は綾女さんと一緒に彼女を撫でたり抱きしめたりとてんやわんやだった。
……いや、だからってコアラみたいにしがみついて寝息を立てられても、困るんですけどぉ……。
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