そのままの私を

「おじゃましまーす!」


 私が鍵を開けるなり元気に誰もいない室内に挨拶するマキちゃんを微笑ましく見守りつつ、私は恋人繋ぎから解放された手をなんとなしにぐーぱーと動かしてこっそり安堵の息をついた。


「ここがおねーさんのおうちかー」


「そうだけど……そんなに珍しいものもないでしょ」


 駅からそこそこ離れていて交通の利便性が低い分、フリーター1人分の稼ぎで家賃が払える2LDKはそこそこの広さではある。とはいえ造りはなんの変哲もない普通のアパートの一室だし、マキちゃんの家の方が広い。特に珍しい家具とか、何か専門的な道具が置いてあるわけでもない。それなのに廊下からダイニングに向かう間だけでも見るもの一つ一つを興味深そうに覗き込んだり触って確かめたりしている。いやいやそれニ◯リで買ってきた椅子だから。


「珍しいっていうか……ここにあるの、全部がおねーさんのだから、ちゃんと見ておかなきゃもったいないもん」


 楽しそうに目を輝かせてそんなことを言われてはそれ以上諌める気にもならない。本人が楽しんでいるなら別にいい、のだろうか。うーん、いやでも、別に私も嫌なわけじゃないしな。


 マキちゃんがダイニングを物色している間に、私は寝室に鞄を放り込んで上着を脱ぐ。いつもならそのまま部屋着に着替えてだらけるのだけど、さすがにマキちゃんの前でそんな堕落した姿を見せる度胸はなかった。

 携帯で時間を確認すると現在14時過ぎ。さて、これから明日の朝まで、何をしてどう過ごせばいいだろうか。


「おねーさん」


「んー?」


 声をかけられて振り返ると、寝室の扉を開けてマキちゃんが顔を覗かせていた。


「どしたの?」


「んーん、一緒にいたかっただけー」


 へへーと笑う表情は年相応だし、その発言自体も甘えん坊だなぁで済ませてしまえばいいはずのものだ。だから、そんな彼女を見て「恋人に甘えたがってるみたい」なんて考えが頭をよぎってしまったのは私の方に問題があるのだ。マキちゃんのせいじゃない。


「そ、そっか。ごめんね、じゃあさっきのお部屋に戻ろうか」


「はーい」


 素直な返事に安心しつつダイニングに戻ろうとすると、隣に並んだマキちゃんがまたぎゅっと手を握ってくる。


「ええと……さっきの部屋に戻るだけなんだけど」


「?」


 キョトンと何を言われているのやら、という顔のマキちゃんに見上げられて「あー……うん、なんでもないや」と誤魔化した。そっか、そんなちょっとの距離でも手を繋ぎたいのか。いやいや、なにちょっと照れてるんだ私。でもマキちゃんの顔をまっすぐ見れない。


「こっちのお部屋はー?」


「あー……」


 ダイニングに戻る途中でトイレとお風呂の扉を開けて軽く説明したあと、寝室の隣にあるもう一つの扉を指さしたマキちゃんの質問になんと答えるべきか迷う。別に隠すようなものではないのだけど、何の部屋? と言われるとさてなんの部屋と形容するのが正解なのか私にもよくわからなかった。


「えーと、映画の部屋、かな」


「映画の?」


「うん。ま、見たほうが早いかな」


 扉に手をかけたところで以前この部屋を見たいつせが珍しく真顔で「こりゃヤバイわ」と言っていたのを思い出して少し躊躇したが、変に隠しても好奇心を刺激するだけだろうと判断して扉を開けた。


「すっ」


 部屋に一歩足を踏み入れた途端、マキちゃんが目をまんまるにして息を吸い込むような声を出した。そして。


「っっっごーい!」


 ほわぁ! と感嘆の声を上げた。……ドン引きされなくてひと安心だ。

 私が胸を撫で下ろしている間にマキちゃんは私の手を離してたたたっと部屋の中へ駆け込むとぐるりと部屋を見回してもう一度「すっごー!」と感想を漏らした。


「お店みたい!」


「あはは、そこまでじゃないけどね」


 まぁ、いつせにも同じことを言われたし、言わんとしていることはわかる。2LDKという限られた間取りの中で一室を占拠しているのは大量のVHS、DVD、Blu−rayのパッケージが収められた棚である。


 窓も塞いで扉側の壁を除く三面すべてに棚が設けられていて、中にはぎっしり映像ソフトが詰まっている。部屋の真ん中には一人がけのソファと47インチのモニター――値段と大きさの妥協点がここだった――が向かい合っていて、モニターの下には各ソフトの再生機器が収納されている。一応ゲーム機も収納されていて、棚の一角にはゲームソフトも並んでいるのだけど、部屋全体からしたらそれも微々たる数。映画の部屋、という表現で概ね間違いないはずだ。


 ちなみにマキちゃんがよく店で借りていく魔法少女ものの女児向けアニメも全巻揃っていたりする。私の主戦場は映画なのだけど、アニメも観ないわけじゃないのだ。まぁ、このシリーズを揃えたのはよく店に顔を出すマキちゃんと仲良くなってからだけど。


「マキちゃん、映画は好き?」


「んー……普通?」


「だよね」


 マキちゃんの年齢で映画大好き、というのも珍しいだろう。部屋に入った瞬間の興奮具合とは違う冷めた反応に苦笑する。まぁ、嫌いと言われないだけマシだと思っておこう。


「あ、でもね――」


「ん?」


「おねーさんが好きなものは、わたしも好きになりたいからね、だから、今日は一緒に、映画みてあげるね」


 いや、イケメンかよ。


 得意げなドヤ顔で胸を張るマキちゃんを「ありがと」と撫でながら、私はじわりと顔が熱くなるのを感じた。ああ、やばい。これはちょっと、いやかなり、嬉しい。


 別にマキちゃんも、私の全てを知りたいとか受け入れるとか、そんな重たい意味で言った訳じゃないのはわかってる。でも、私のこの映画趣味が普通のラインを少々超えたものであることは自覚している。ひと部屋まるごと映画に費やすのは控えめに言っても十分ディープな映画オタクだ。


 私のこの趣味は昔からずっと続いているものだけど、学生時代からの友人たちも、付き合ったこともあったいつせも、私のこの趣味には軽く引いていたし、口を出してはこなかったけれど受け入れてもくれなかった。……もちろん、母さんあのひとも。


 趣味の領域だから頭ごなしに否定はしない、でも不用意につついて理解できない話もしたくない。そんな周囲の態度を察した私も、自然と自分の趣味を殊更人前で話すことはしなくなった。いまのバイト先で仕事を始めてから、遥さんや佐川くんといった同僚とは映画トークもするようになったが、それでもこの部屋を見せたことはなかった。


 だけどマキちゃんはこの部屋を見ても、私の好きなものを好きになりたいと言ってくれた。


 理解できないと諦めることなく、当たり前みたいな顔で私を特別扱いする。

 ……ずるい。

 子供ながらの素直さ、というだけかもしれない。深く考えていないだけかもしれない。そこまで考えても、私の顔はやっぱり熱を持ったままだ。


 そのままの私を心底から受け入れてくれたのは、目の前の少女が初めてだった。

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