これくらい、なら
「おいしい?」
「しー」
しー、と歯を見せて笑うマキちゃんの頭をくしゃっとやるとスプーンを持ったままへへーと嬉しそうにする。ごく普通のオムライスくらいでこんなに喜んでくれるならたまの料理という手間にも十分お釣りが来るというものだ。毎日こんな顔を見れるなら料理するのも悪くないなぁとか、綾女さんはそれを実行してるのかぁとか考えながら私は自分の皿を片付ける。
マキちゃんには「ゆっくり食べていいよ」と一声かけてから、料理で使ったフライパンなんかもまとめて洗っていく。炒飯とかカレーとか、その程度の自炊しか出来ない身としては、ケチャップライスを作るだけじゃなく卵まで上乗せしたんだからこれでも頑張った方だ。マキちゃんは十分喜んでくれてるみたいだし、豪勢な夕食でなくたっていいだろう。……でも、今度綾女さんにマキちゃんの好きな料理とレシピくらい聞いておいてもいいかもなぁ……いや、別に次回があるとかそんなことは思ってないけどね。念の為だ。いやいや何の念だよ。
食器を泡立てながら勝手に転がっていく自分の思考を引き戻していると背後から「ごちそうさまっ」と声とともに勢いよく手を合わせる音が聞こえた。大方洗い終えた食器類を水切り棚に移して振り返ると、ちょうどマキちゃんがお皿を持って立っていた。
「んー」
「……スプーン咥えて歩くのはやめなさい。転んだら危ないよ」
「ちゅばっ、はーい!」
咥えていたスプーンを引っこ抜いてやるとマキちゃんは元気に手を上げて返事をした。……ちょっと、スプーン引っ張ったときの音が――とか思ってない。思ってないってば。
「すぐ洗っちゃうから、テレビでも見てたら」
「ん、わかった」
食事していたテーブルに戻ったマキちゃんがテレビのスイッチを入れるまでなんとなく見届けてから、私は受け取った皿を泡水のたまった桶に放り込み、続けてマキちゃんがくわえていたスプーンも放り込――もうとして、無意識のうちに手が止まった。
……マキちゃんの咥えてた、スプーン。
なんとなくじっと凝視して、なんとなく喉が鳴ってしまったあたりでハッとして理性が戻った。いやいやなにちょっとドキドキしてるんだスプーンだぞスプーン。マキちゃんが美味しくオムライスを頂いたあとのただのスプーンだ、ソレ以上でも以下でもないのだ。ない、けど。
『キスしよ、おねーさん』
『……ふたりっきりだね、おねーさん』
『おねーさんが好きなものは、わたしも好きになりたいからね』
『だめじゃないなら、して』
いや、いやいや、だめだろ、これは。もう全然ばっちりだめじゃなくない。普通にだめなやつだって。なんならマキちゃんとガチキスするよりやばいって。
復活したはずの理性が必死に私を説得しようと試みるけれど、そんな理性のストップなどどこ吹く風と言わんばかりに、私の手はゆっくりと握ったスプーンを口元に近づけていく。
……背後ではテレビの音が鳴っている。マキちゃんはこっちを見ていないハズだ。それなら、キスはだめだけど、これくらい、バレなければ、別に――。
私は大人で、マキちゃんは子供で、女同士で、だから。キスは、できないけど。
私の趣味を、私自身を受け入れて、慕ってくれる可愛い女の子に求められて、嬉しくないわけがなくて。好きだって言われて、触れたくないわけがなくて。
だから、これくらい、なら。
ちゅ、と。ほんの唇で触れるだけ。マキちゃんの使ったスプーンの、皿状の部分、その盛り上がった裏側にキスともいえない接触をして。マキちゃんの味は、あんまりしないな、とかバカ丸出しの感想を抱いて、ようやく。
……ああああもう、なにしてんだよ私!
羞恥と自己嫌悪で勝手に沸騰していく思考を追い払おうと、私はスプーンを洗い桶に勢いよく突っ込んだ。
こっそり後ろを振り返れば、マキちゃんはテレビの方を向いたまま動かない。よかった、見られてない。気の迷いだってことにして、さっさと私も忘れてしまおう。
顔の熱が引くのを待つ分だけ時間をかけて、私はいつもより念入りにスプーンを洗ったのだった。
* * *
や、っばぁ。
な、なんだろ、いまの。すごく、すっごぉく、どきどきする。どきどきしてる。
テレビをつけてはみたけどこの時間にはどこもニュースばっかりだったから、テレビよりもおねーさんを見ていたくなって洗い物をする後ろ姿を眺めていた。
エプロンもつけず、水がはねるのも気にしないで流しに立つおねーさんはちょっぴりだらしなくて、おうちにいるからか外で会うよりなんだか大雑把で、そんないつもとちょっと違うおねーさんを見られただけでわたしは嬉しくなって口が勝手に笑っちゃう。
しばらくそんな風ににまにましながらおねーさんの背中を見つめていた、んだけど。
ぴたりと手を止めたおねーさんが手に持ったなにかをじっと見つめだして。おねーさんの身体の陰になって手元は見えないけど、その手はさっきわたしの口からスプーンを引っ張った手だってことを、わたしは覚えていた。
なにしてるんだろ、と首をかしげているうちにおねーさんはその手をゆっくりと持ち上げて、口元に寄せて、あれ、もしかして、ってわたしが思う間もなく。
わたしが使ったスプーンに、ちゅっとキスを、してた。
「〜〜〜〜〜!?!?」
思わずぐりんっと身体の向きをテレビの方に戻してしまう。だ、だってなんか、いま、おねーさんの顔みるの、すっごい恥ずかしい気がして。
だって、いまの、わたしのスプーンに、おねーさんが、あれって、あの。
「か、間接キス、しちゃった……」
おでこにちゅーだってしてもらったことあるのに、なんでこんなに恥ずかしいの! でも、そうだ、だってあのときはおねーさんからしてくれたんじゃなかったから、わたしがキスしてってお願いしたからしてくれた。
じゃあ、今のは?
間接キスなんてお願いしてないし、考えもしなかった。そんなつもりで、おねーさんにスプーンを渡したわけじゃない。でも、まちがいなくわたしの口に入ったそれを、おねーさんが、自分で。
「なんなの、これぇっ……!」
勝手に心臓がバクバクと鳴って、どこまでもどこまでも、顔が熱く、赤くなる。
真っ赤になった顔を見られるのが恥ずかしくて、顔の熱さがいなくなるまでおねーさん戻ってこないで、ってそんなことを思った。
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