恋愛特集に寄せて

「ありがとうございましたー」


 カップルらしい二人連れが店を出ていくのに軽く頭を下げてから顔を上げると、ぽけーっとした顔でこっちを見ている同僚と目が合った。


「……なに?」


「いや、なんか靜サン、急に元気になったッスね」


「は?」


「いやなんで半ギレなんすか」


 そう言いながらちっとも怯えた風でもない同僚、高校生の佐川くんはふわぁとあくびを噛み殺した。さっきシフトに入ったばかりのくせにまるでやる気が感じられない。まぁ、こんなんでも学生だし、バイトは本分ではないのだからある意味その勤務態度は正しいのかもしれないけれど。


「なんか、昨日まではやたらと『私いまめちゃくちゃ悩んでますけど気にしないでくださいほんと放っといてまじで聞くな何も聞くな』みたいな空気出してたのに、今日はそんな様子無いんで」


「……なにその具体的な空気」


「だってマジでそんなんでしたもん」


 いやほんとマジで、とマジでを連呼される。そんな具体的な空気あるか、とは思うものの佐川くんが指摘した内容は確かに昨日までの私の心境と一致している。八割方誇張されているかもしれないが、そんな空気を出していたのは事実なのかもしれなかった。


「ま、解決したよーで何よりっスけど」


「お陰様で」


「いえいえ」


 ちっともお陰様ではないのだが、そんなやり取りを交わす。


「じゃ、俺特集コーナー整理してくるんで」


「はいはい……ん?」


 特集コーナー、という語にひっかかりを覚えて視線を逸らしかけた同僚をもう一度振り返る。その手にぶら下がっているDVDのジャケットと、週替わりで内容を入れ替えている特集コーナーを脳内で並べてみる。


 今週は確か、カップルにオススメの恋愛映画特集。さっき出ていったカップルも、数本借りていった中に『恋人たちの予感』と『或る夜の出来事』があった。どちらも私が並べたものだから、誰にともなくちょっとした優越感を感じた。

 そして佐川くんの手にあったのは、見間違えでなければ。


「待て」


「はい?」


「その手のものを見せろ」


 なんすかーと言いながら佐川クンがひょいと手にしたDVDのジャケットをこちらに向ける。


「……『郵便配達は二度ベルを鳴らす』」


「純愛じゃないっすか」


「出会って即合体を世間一般で純愛とは言わねぇのよ?」


 いや名作だけど、名作だけどさぁ! 不倫、殺人、事故死の三連コンボかます映画をカップル向けの特集に並べるのはおかしいでしょうが!


「一番ウケそうなラフェルソン版にしたのに」


「ヴィスコンティ版なんかうちの店に無いでしょ」


「……靜サンって、結構な映画オタクですよね」


「じゃなきゃビデオ屋をバイト先に選ばなかったわ。いいからそれ、棚に戻して違うの選んできて」


「じゃあ『ネクロマンティック』を――」


「あんた世の中のカップルに何の恨みがあるのよ」


 断言するけどトラウマにしかならない。第一あの映画、主人公は恋人にこっぴどく振られるじゃないの、と私が睨むと「冗談っすよ」とヘラヘラ笑いが返ってきた。


「もっと当たり障りのないとこにしときなさい。『幸せのレシピ』とか『恋愛小説家』とか」


「結局靜サンのチョイスじゃないっすか。つーか『恋愛小説家』って言うほど普通っすかね」


 ぶーぶー文句を言いながらも、一応ここでの先輩である私の言に従うあたり、悪い子ではないんだよなぁ、とその背中をジトっと睨みながらも思う。


 ……悪い子、か。


 高校生の彼でさえ、私からしたら「子」なんて呼んでしまうような距離感なのだ。高校生の彼でも、私とは十近い年の差がある。まして私とマキちゃんではそれ以上の差があって、しかも女同士なのだ。

 佐川クンを恋愛対象に見れるか、と言われたらおそらく無理だろう。一年近く同じ店で働いて、シフトもそれなりに重なっているがドキリとさせられた試しもない。男の子ではなく、男性だと意識したこともない。彼をそんな風に見れないなら、必然、それより幼いマキちゃんだって恋愛対象にならない。


「……うん」


 やっぱりそうだ。私があの子に笑ってほしいと思うのは、やっぱり年長者として彼女を可愛く思うからであって、そこに恋愛感情なんて差し挟む余地はない。


「でも俺、やっぱ『郵便配達』は純愛だと思うんスよね」


「まだ引っ張る気?」


 特集コーナーの穴埋めを済ませて戻ってきた佐川くんがそんなことを言う。私も口では鬱陶しそうに応じながら、内心暇つぶしに映画の話なんて乙じゃないかと乗り気だった。


「まぁアレは行き過ぎにしてもさ、出会ってすぐキスも出来ない相手のこと、本気になれます?」


「あんたは外国人か」


 そんな陽気な長靴半島の人みたいな挨拶をする人間は知り合いにもいないぞ、と言うと、佐川くんは焦れったそうに「いやそうじゃなくて」と続ける。


「実際するかどうかはまぁ別問題としてですけど、この人とキスくらいならいいかも、って思える相手じゃないとそっから先本気になれない気がするんですよね」


「何そのチャラい発言」


「え、チャラいっすかコレ」


 割と本気でショックを受けたような顔をする佐川クンに呆れながらも、キスという単語に昨日の出来事が脳裏をよぎった。


 マキちゃんが私に告白してくれた時、私はもっとお互いのことを知り合ってから、と答えを先延ばして、マキちゃんとお友達になった。


 そんな彼女が、私にキスをせがんだ。


 憧れがそうさせたんだと、もっと私に近づきたい想いがそうさせたんだと思ったけれど。少なくともまだただの友達である私とキスをしたいとマキちゃんは思ったわけで。それは佐川流恋愛観によれば彼女にとって私が「本気になれる」かもしれない相手だったってこと、なのか。


 いや、そもそもマキちゃんは私に告白までしてくれたんだから、本気も何もって話なんだけど、でもほら、そういうのは頭や言葉より、身体や感覚の方が正直だったりするし。


 ……というか、じゃあ私は?


 キスをせがまれて、マキちゃんの額にキスをした。唇ではなかったけれど、ただの友達のはずの彼女に、キスをした。できた。これは、これもやっぱり、本気になれるってことに――。


「いやいや、そんな訳ないし」


 おでこはおでこだ。いい年してあんなのをキスだなんだって騒ぐことなんてない。唇へのキスをねだられて、でもそれを受ける気は最初からなかった、そう、それが私の答えだ。そうに決まってる。


「あー、解決したんじゃなかったんスか?」


「え?」


「また、難しい顔してまシたよ」


「……ほっとけ、大人にはいろいろあんのよ」


 へーいと気の抜けた返事をして、佐川クンは返却ディスクを持って奥の棚に消えていった。

 その背中に「余計なこと考えさせやがって」と恨みのこもった視線を送りながら、ぼんやりと先程の続きを考える。


 なんだかもやもやした感じは消えない。消えないけど、まぁ。

 どうせキスなんてすることもないんだし、と私はそこで思考を打ち切った。

 さーて、仕事仕事。

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