約束と責任
夢を、みていた気がする。
ぼんやり、もやーっとした世界の中で、わたしよりも大きな影が何度もわたしに近づいては離れて、そしてまた近づいてを繰り返す。ぼんやりとしていて、ほんとだったら怖く感じてしまいそうなのに、ちっともそんな感じはしない。それどころか、その影が近づくたびにじんわりと唇が熱くなって、その熱さが全身を駆け巡っていく気がする。
ほっとする温かさなのに、心臓の音がちょっとずつ早くなっていく。幸せなドキドキで、なんだか視界がじんわりと滲むような気がした。
はじめは唇に触るだけだったそれが、だんだん、わたしの身体ぜんぶを包み込むような温もりに変わっていって。いまよりもっと小さい頃、おかあさんに抱っこされていた時の安心感が戻ってきたみたい。
唇を通して伝わる熱さがわたしをなかからぽかぽかさせて、身体を包んでくれる温かさが、外からぽかぽかさせてくれる。
優しくて温かくて、とても幸せな気持ちで、だけどなんだかちょっぴり恥ずかしくて、やっぱりドキドキしちゃう。今まで感じたことのない感覚のはずなのに、なんだろ、わたし、つい最近こんな感じを、どこか、で――。
* * *
「――――っ、あ」
もはや何度めかわからない口づけのあと、息継ぎのためにマキちゃんに覆いかぶさった姿勢から身を起こした私の口から、思わず間抜けな声がこぼれた。
「……おねーさ、ん?」
「あ、えと、これは」
慌ててベッド脇に置かれた時計に目をやると六時三十分。う、うそ、あれ、さっきベッドに入ったばかりじゃないっけ? あれ、外明るい……。
「んー……ぅ?」
かわいい……じゃなくて! こ、これはセーフ? セーフなの? マキちゃん寝ぼけてるっぽいし、起こしに来ただけだよーって誤魔化しきれる?
「……ゆめ?」
「! そ、そっかーマキちゃん夢みてたの? どんな夢だった?」
「んー……なんか、いっぱいちゅーされたゆめー……」
やべぇ。
背筋を冷たいものが滑るのを感じる。朝まで夢中でマキちゃんの唇を貪っていた私も大概ヤバイ人だけど今の問題はそこじゃない。昨夜情けなく泣いてまでマキちゃんを受け入れられないとか拒否したくせに(そのあとキスは拒まなかったけど)、寝込みを襲って朝まで勝手に唇を吸い続けてたなんてマキちゃんにバレたら。
「え、靜さ……柊さん、わたしにそんなことしたの? 付き合えないって言ったくせに……最低、もう二度とわたしに近づかないで」
とか言われたら、私その場で死にかねない。
いや、うん、もちろんこんな気持ちを抱いてしまっている以上、マキちゃんとは今まで以上に適切な距離を保って接するべきだと思う。お泊りとか、そういうのも今日限りで終わりにしないと、いつ理性が吹っ飛んでマキちゃんを押し倒さないとも限らない。キスだけでこんなに頭おかしくなってるし。
ただそれでも、私から一線を引くのとマキちゃんに心底嫌われるのとでは雲泥の差がある。っていうか嫌だ。もう、たとえ認めてはいけない気持ちだとしても、こんなに惹かれてしまっているのに、その相手に心底嫌われて、それで関係まるごとハイおしまいなんて、絶対に嫌だ。
ここはなんとか誤魔化さなくては、私の名誉、というか、マキちゃんの中の私の名誉を守るために。
「ゆ、昨夜のことでも、夢に見ちゃったのかな?」
「ゆーべ……」
思わずとんでもない話題で誤魔化そうとしてしまったけど、考えてみたらそれ全然誤魔化せてない。っていうかなんならさっきまでの夢(夢じゃないけど)と一緒に昨夜のキスも全部夢の中の出来事として忘れ去ってしまって欲しかった。……それはちょっと、寂しいけど。
「あ」
私が何か訂正したり言い繕うより先に、眠たげだったマキちゃんの両目がパチッとはっきり瞬く。明確に覚醒したらしいマキちゃんが私を見上げて。
「おねーさんの、キスだ」
「え、と?」
大正解、という気持ち半分。なんのことだ、という純粋な疑問半分。そんな中途半端な疑問符が口をついた。確かにキスしまくっていたのは私だ。でも、さっきまで半分寝ているような状態だったマキちゃんの口から唐突にそれを確信する言葉が出た理由は解せない。
「あのね、さっきまで夢で見てたの、おねーさんのキスとおんなじ感じがした」
「あー……いや、そっか、うん」
そりゃ私だからね! とは言えない。どうしよう、とりあえず昨夜のことは話題に出しちゃったし、そのことを夢の中で思い出してたんじゃない、って方向で誤魔化すのがベターか。
「えっと」
「おねーさん」
「ひゃい」
噛んだ。
「わたしに、ちゅー……キス、した?」
「い、やーそれは」
「さっきも、してた?」
マキちゃん、もう確信してるでしょ。
「………………しました」
罪を認めた。嘘を重ねるのは、私の最後の良心が咎める。これで嫌われたり、軽蔑されるのならそれも致し方ない。私が自分でしたことだ。とりあえず3日くらい泣き崩れるからそっとしておいてほしい。
「やった!」
むぎゅ、と。ベッドから飛び出したマキちゃんが私にぎゅーっと目一杯抱きついてくる。胸元に感じるぬくぬくしたマキちゃんの体温に「えぁ、お、おお?」と戸惑いながら、抱き返せばいいのか押し返せばいいのか悩む。
私の大して豊かでもない胸にもごもごと顔を埋めていたマキちゃんが、パッと顔を上げる。その顔はまさに喜色満面。嬉しくてたまらないという気持ちがこれでもかと溢れている。
「え、と、マキちゃん? あの、どうし――」
「これでわたし、おねーさんのカノジョだ!」
「……ん?」
わっつ? ほわい?
なに、何の話? なんだカノジョって。彼女? 誰が、マキちゃんが私の? なんで? なんでそうなる? キスしたから? 責任取れ的な? いやそりゃ確かに知らん顔するのは無責任かもしれないけど、でもそれだってマキちゃんの健全な成長と将来を思ってのことであって決して私の保身では……そういう部分がないとは言えないけど。
私がぐるぐる目を回している間もマキちゃんはやったやったと喜びの声を上げ続け、わんこのように私の身体に全身をこすりつけてじゃれついてくる。や、やめてぇ、さっきまでのキスの余韻と重なって変な気分になっちゃう!
「約束したもんね、彼女になったらーって!」
「やく、そく?」
「うん約束! わたしがおねーさんの彼女になったら、おねーさんからキスしてくれるって!」
うそ、何その約束。私そんなこと言った? いつ? いやマキちゃんとそんな話をしたのなんて公園に行った時くらいだけど私そんな無責任な約束なんて。
『でも、約束だからね。彼女になったら、おねーさんからキスしてよね!』
『あはは、うん、じゃあ約束』
してたわ。バカだ私。
「いや、あのねマキちゃん、あれはその」
「……ちがうの?」
うぅ、やめて、そんな一気にシュンとしないで、罪悪感で道を踏み外しそう。
「ええと、だからね、あれはその、ちゃんとお付き合いをしたら私からキスもできるよっていうことでね、キスしたからもう付き合ってるっていうのはちょっと、発送の飛躍っていうか逆転っていうか」
「ひやく?」
「あー……だから、えっと」
タイムマシンがあったら数分前の自分をぶん殴ってでもキスをやめさせるのに。いやでも多分数分前の私、ぶん殴られたくらいじゃマキちゃんの唇を諦めないかもしれない。
……そりゃ、付き合いたいか付き合いたくないか、って言われたら、付き合いたいよ。だって私、こんなにマキちゃんに惹かれてる。
でも公園でそんな口約束をした時の私はそんな風にしっかりとマキちゃんへの気持ちを自覚していたわけじゃないし、ついさっきまでその約束自体忘れていた。
そして寝ているマキちゃんに勝手に発情して寝込みを襲って一晩中その唇を堪能して、挙句それが露見したらなんとか誤魔化そうと逃げ道ばかり探している。
そんな私が、マキちゃんに好きだって言っても、いいんだろうか。受け入れてもらって、いいんだろうか。
いま私が、そうだね、約束したもんね、って頷いてしまえば私はマキちゃんとお付き合いすることになる。それはきっと、私にとってもマキちゃんにとっても嬉しいことには違いない。
でも、そんなのただのズルじゃないか。
『失恋もさせないまま自分だけ逃げるって、そんなの無責任じゃないっスかね』
佐川くんの言葉を思い出す。いまのまま、流れに任せて付き合ってしまったら、それはやっぱりマキちゃんの気持ちに対して無責任なことだと思う。失恋させずに距離を取るのも、自分のズルさを見逃して付き合うのも、結局同じこと。マキちゃんの気持ちに、ちっとも向き合ってない。
「おねーさん?」
不安げに私を見上げてくるマキちゃんを思いっきり抱きしめたい気持ちが、今の私の胸にはある。でも、衝動に任せてそうするのは、無責任だ。
だから。
「ごめんね、マキちゃん」
私がそう言うと、マキちゃんがサッと悲しみを顔に浮かべる。だから私は必要以上に突き放してしまわないよう、なるべく優しい声と表情を意識して、ぎゅっと強く抱きたい気持ちをこらえてそっと包むように、あやすようにマキちゃんを抱きしめる。
「混乱させて、ごめんね。ちゃんとお話、しよう。私の気持ちも、ちゃんと話すから。聞いてもらえないかな」
とん、とん、と。落ち着かせるように背中を叩く。しばらくそうしてからゆっくりと身を離して、マキちゃんの顔を覗き込むと、未だ少し緊張と不安を残した顔つきながらも「……ん」と小さく頷いてくれた。
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