第6話 部活勧誘2

 放課後の一年二組の教室で、凪は兄である徳人が迎えに来てくれるのを待っていた。

 ついさっきメールで「水泳部に案内するから、教室で待ってろ」という短い文面が送られてきたのだ。

 そして凪の隣には、同じく一年で水泳部希望の早苗も一緒にいる。


「あの徳人先輩に会えるなんて、夢みたいです!」

「って言っても私には普通のお兄ちゃんなんだけどね」

「いいなぁ~、すごいお兄さんがいて。私のお兄ちゃんなんて……」

「早苗ちゃんにもお兄ちゃんいるの?」

「うん……一応ね。でも、全然会わないし、歳も離れてて家を出たきり今はどこで何をしているのかさっぱり……」


 そう言う早苗はしゅんと暗い顔を浮かべてしまうが、凪が機転を利かせて話を変えてあげる。


「あ、そろそろお兄ちゃんも来ると思うし、そろそろ準備しよっか」

「うん」


 凪が言うと、本当にタイミングを見計らったかのように徳人が教室の窓から顔を出した。


「よう、凪。来てやったぞ」

「お兄ちゃん!」


 顔を見るや、凪は荷物なんて持たず徳人の元へと駆け寄る。


「遅いよ! 私を待たせるなんて罰金、死刑なんだから!」

「どっちも嫌だな。んで、準備はできてるな?」

「もちろん。……あ、そうだ、この子も一緒に行くけどいいよね」


 と凪が振り向いた先で、徳人の顔を見た早苗が緊張の面持ちでお辞儀していた。

 あれは……昼休みに凪と一緒にいた女子か。

 なんて思い出しながら、徳人も軽く手を挙げる。


「ああ、もちろん。水泳部希望なら大歓迎だよ」

「あ、あああ、ありがとうございます! 徳人先輩!」

「あれ? 自己紹介したっけ? あ、凪が話してくれたのか?」


 なんとなく予想で言うと、凪は否定の意で首を振った。


「早苗ちゃんは、お兄ちゃんのファンなんだって」


 その言い方にはどこか棘がある。

 明らかに猛毒の含まれた鋭い棘が。


「三豊早苗と言います! えっと……ずっとこの高校で水泳したくて……それで先輩のことは去年から知っていました! 出場した大会、種目では次々と記録を塗り替えたり、将来は世界でも通じるって噂も聞いて、ずっと尊敬しています!」

「あはは。それはどうも。でも、そんな期待しないで。俺なんてまだまだだから」

「そんなっ、それは私の方です。えっと、それから……握手してください!」

「あ、ああ、うん……」


 生まれて初めてのこんな待遇に徳人は戸惑いながらも右手を差し出した。それをまるで割れ物でも扱うように早苗は握る。


「ああ~、嬉しいなぁ」

「……お兄ちゃん? そろそろイチャイチャは終わったかな?」


 すごい横からの邪悪なオーラが漂ってきているのは徳人も気づいていた。完全に引きつった笑みで徳人は凪の方を見る。

 眉がピクピクと動き、なんなら額には血筋が浮かんでいる。

 相当お怒りのご様子だ。


「そ、そろそろ行こうか! 三年の先輩たちが部室で待ってる」


 と無理やりの子の空気から逃れようと、徳人から手を放し先に歩き出した。

 凪はムスッとした顔で徳人を睨みながらも、早苗には愛想よく接している。

 それから三人は水泳部の部室へと移動した。この高校のプールは室内の温度調節完備温水プールになっている。

 その為、冬でも春でも関係なく年中練習ができるのだ。これもこの学校の部活への力の入れ方の現れだろう。

 その室内プールの中に水泳部の部室も用意されていた。

 まだ四月の肌寒い外に比べ、室内プールの玄関口を通れば、一気に心地よい室温で身体が満たされる。


「暖かいですね」


 早苗が、鼻を少し赤くしながら言う。


「まあね。こういうところは水泳部の特権だね。やっぱ冷暖房完備は有難い。部室はこっちだよ」


 そういう徳人の後ろを凪と早苗がついて行く。

 部室らしい部屋の扉をノックなしに開けると、中には数人の生徒たちが集まっていた。


「部長、連れてきましたよ」

「おお、待っていたぞ! 徳人! しかも妹公だけではなくもう一人連れてくるとは! 褒めて遣わすぞ!」

「いや、部長に褒められても気持ち悪いだけなんで」


 なんて徳人が言うも、部長の雄吾は完全にテンションが上がっており、聞こえている様子ではない。

 メガネの位置を整えながら、雄吾は凪と早苗に鼻息を荒くして迫り来る。流石に「ハァハァ」と息を荒くして、ニヤニヤと口角を釣り上げては完全に女子高生を襲う変出者の姿だ。

 そんな変出者が妹に近づいては、流石に徳人も黙って見ておけなかった。

 徳人が咄嗟に雄吾の進行方向を遮ろうとするも、その前に雄吾の足が止まる。


「ちょっと、水嶋! そんな風にすると一年が怖がるでしょ!」


 雄吾を止めたのは、この水泳部の副部長を務める三年の鹿部しかべ麗奈れなだった。


「あんたがそんなキモイ顔と喋りで近付くから、通りかかった一年生にも逃げられるんでしょ! ちょっと考えなさい!」

「は、はい……」


 まるで母親のように雄吾を叱る麗奈に凪と早苗の二人はポカーンと口を開けたまま立ち尽くしていた。

 それに気づいた麗奈が申し訳ない顔で謝罪する。


「ごめんね、二人とも。私は鹿部麗奈。水泳部の副部長をしているの。この気持ち悪いのは部長だけど、気にしないでね。悪気があるわけじゃないのよ」

「いえいえ、私は大丈夫です」

「び、びっくりしましたけど、私も大丈夫です!」


 凪と早苗が言うと、ホッとした様子でもう一度「ほんと、ごめんね」と謝った。それから徳人にも頭を下げる。


「鹿部先輩も気にしないでください」

「ほら、あんたも謝りなさい!」

「す、すまぬ」

「ああん⁉」

「ごめん、なさい……」


 あの面倒な口調さえも変えざるを得ないほどに、雄吾にとって麗奈は縄を握られているのだろう。こうして見ると、世話の焼ける弟を見る姉みたいだ。

 しかしこれで水泳部にも入部希望者が二人もやってきた。二年生の方もきっと何人かは連れてくるだろうし、より水泳部も意気揚々としてくる。

 そんな中で雄吾は復活も早く、いつもの喋りで徳人に訊ねた。


「徳人、君の妹公はどっちだい?」

「私ですけど……」


 徳人が答える前に凪が一歩前に出てくる。


「そうか、君か。それじゃあ、さっそく我が部のエースの妹公の実力を見せてもらおうか」


 その時の雄吾の不敵な笑みは、もはやアニメにでも出てくる悪役そのものだった。

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