第8話 その実力2
「ピッ!」
ついに麗奈によってスタートの合図が鳴り響いた。
研ぎ澄ました耳でその笛が鳴ると同時に二人は足に思いっきり力込め、壁を蹴飛ばすように一斉に飛び込む。スタートは完璧だ。
二人は水中でどんどん進んで行く。
水中でバサロキックという背泳ぎ専用の泳法をしているのだ。ドルフィンキックという両足を揃えてイルカのように泳ぐキックを裏返したようなキック方なのだが、バック専門にしている選手は、基本的にスタートにこのバサロキックである程度泳ぐ。
そして身体が浮かぶと、よく見るような背泳ぎを始めるのだ。
先に浮かんできたのは早苗だった。顔を出すと長い腕を駆使して必死にかき進める。
凪は十メートル程進んでから浮かんできた。ここで既に早苗より僅かリードしているが、凪の真骨頂はここからだ。
同じように腕で使い、キックもバサロから普通のバタ足に戻る。しかし、まるでブースターでも取り付けているみたいに、凪のスピードは一気に加速し始めた。
「速い……!」
凪のスピードに三年生たちが口々にそう呟く。
早苗も食らいつこうとしているが、それでも凪との差はどんどん広がっていく。
凪のフォームはすごく綺麗なものだ。一連の動作に無駄がなく、ブレの少ないフォームがずっと続いている。
そして体二つ分の差で、凪が先にターンをする。五メートルフッラグと呼ばれる壁まで残り五メートルを知らせてくれる旗を見て、背泳ぎをする選手はターンのタイミングを計るのだ。
身体を捻り、クイックターンすると再び凪の長いバサロキックで早苗をさらに引き延ばす。
そこからはもう、タイムとの勝負だった。
凪の単独トップでゴールまで辿り着く。
息を切らしてしてゴーグルとキャップを外す凪。それから早苗がゴールするのを見届けると、早苗も息を切らしながら、プールサイドから上がった。
「二人ともお疲れ様」
麗奈が労いの言葉を掛けると、タオルを受け取り身体に付着した水をふき取る。
誰もが予想していたことだったが、やはり凪は速かった。しかも期待通りのスピードを見せつけてくれた。
「鹿部、どうだった?」
雄吾が訊ねると、麗奈は手に持っていたストップウォッチで改めてタイムを確認する。
「すごいわよ……。本当に徳人君の妹さんなんだね。一年生でこんなタイム初めて見たわ」
と言うと、ストップウォッチごと雄吾に見せる。
「おお……これは期待以上だぞ!」
徳人も気になったので、タイムを見てみる。すると徳人も同じように目を丸くして驚きを見せた。
「マジかよ……! 一分一秒とかいつの間にそんな速くなってんだよ……」
「私だってお兄ちゃんがいない間もずっと練習してたんだから。当然の結果よ!」
さっきまでの集中していた凪とは違い、今は完全に普段の凪に戻っていた。
だが、徳人の知る限りでも中三に上がる前の凪は、背泳ぎ百メートルでも一分十秒前後のタイムだった。
それをたった一年間で十秒近く縮めるなんて、誰も想像できないだろう。
「これが徳人の妹公の実力……!」
雄吾が言うと、本当に中二病チックで雰囲気が崩れるので止めていただきたいが、今はその気持ちもよく分かってしまう。
こうして凪は初日のたった一回の泳ぎで、この場の全員に認められることになったのだった。
「お兄ちゃんには、私にご褒美を与える権利をあげる!」
「……そうだな。俺もビックリするほどの成長だったし、分かった。なんか今日はお前の好きものでも食べに行こうぜ」
「そうでなくちゃね!」
凪はいつもの笑顔で言うと、早苗と一緒に更衣室に戻っていく。
本当に昔の凪とは違い、成長したなと徳人はしみじみ思った。
その後ろ姿を見て、思わず泣きそうになったのはここだけの秘密である。
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