第7話 その実力1
水泳部の部室へとやってきた滝川徳人の妹、凪は突然、部長である水嶋雄吾の発言によりその実力を見せることになってしまった。
凪と早苗の二人は副部長である鹿部麗奈に案内されて女子更衣室へとやって来ている。
「突然、ごめんね。ほんと、あのバカが……」
もう何度目かも分からない程、この短時間で麗奈の謝罪を聞いている気がする。
しかし性格や雰囲気からして、あの雄吾という部長よりはしっかりとした人なんだろうな、ということは凪も早苗も分かり始めていた。
「でもね、滝川凪さん。あなたにはみんなからの期待がかかっているのよ。勝手なこともかもしれないけど、あの徳人君がすごすぎるから。きっと凪さんも速いんだろうって」
「……」
「やっぱり嫌だよね。そんなプレッシャーの中で入部するなんて」
「いいえ、構いませんよ」
「え?」
凪の表情はあれほどの期待の籠った言葉を聞いたとは思えない程に落ち着いている。普通であれば、あれほどのプレッシャーを聞いて平常心でいられるはずがない。
早苗も麗奈もその異様な落ち着きに、驚きを隠せない。
「みんなお兄ちゃんのことを認めてくれているんですよね。だから、私にも同様の期待を寄せている。だったら、私のやることはただ一つです。兄の尊厳を失くさないように、滝川徳人の妹として相応しい結果を見せるだけです」
本当に十五歳の少女なのかと疑ってしまう程に逞しい言葉だった。
その自信は、その覚悟はどこから来ているのか二人には分からない。けど今この場で分かることは、滝川凪は、徳人と同じようにただ者ではない、ということだ。
競泳水着へと着替えて、凪と早苗はシャワーを浴び、ストレッチを始める。
凪一人で泳ぐより誰かと泳いだ方が競争心が出ていいだろうということで、ちょうど新面子の早苗も一緒に泳ぐことになった。
淡々とストレッチをしていく凪に比べ、早苗は緊張で今にも心臓が口から飛び出しそうな顔をしている。
「凪、ちゃんとアップしとけよ」
「分かってるよ、お兄ちゃん」
様子を見に来た徳人に凪は、いつもよりも素っ気ない態度をとる。
完全に集中している証拠だ。
凪は精神状態を整えると、俺のことなんて眼中にないほどに集中する。これ以上言葉をかけても邪魔になるだけだ。
代わりにその隣で緊張が丸分かりの早苗に声を掛けた。
「三豊さんもリラックスして泳いでね。別にテストってわけでもないし、これで入部できないってわけでもないから」
「は、はい! ありがとうございます!」
やっぱり肩の力が全然取れていない。
あんなガチガチの状態でいつものベストな泳ぎは難しいだろう。
二人はプールに入ると、アップを開始する。アップはいわゆるウォーミングアップで、軽く体を見ずになじませていく。
五十メートルプールを二人が静かに泳ぎ始めるのを、三年の先輩たちと、徳人が眺めていた。
「徳人君、二人の様子は大丈夫だった?」
麗奈が戻ってくる徳人に訊ねる。
「はい、凪の方は大丈夫です。三豊さんはやっぱり緊張していますね」
「そう。でも仕方ないわよ。私たち先輩が見ている中で泳ぐんだから、緊張くらいはね」
麗奈も分かってくれているようで、後は二人のアップが終わるのを待つ。
しばらくして、二人ともプールがあがった。
「それじゃあ、まず二人の専門を教えてもらってもいいかな?」
「私は、フリー(クロール)とバック(背泳ぎ)です!」
「私はバタ(バタフライ)とバックです」
「分かったわ。じゃあ、種目はバックにします。距離は百メートル、それでいい?」
麗奈が訊ねる先は二人ではなく、部長たちの三年生だった。
「うむ、問題ない」
徳人も黙って頷いた。
「それでは始めようか」
麗奈は言うと、笛を首に下げる。
第八レーンまであるプールで、凪が三レーン、早苗が四レーンの飛び込み台の前に立った。しっかり二人ともシリコン製のキャップと光を緩和してくれるミラーゴーグルをはめている。
ミラーゴーグルはサングラスのように入ってくる光を緩和して外で背泳ぎを泳いでも太陽の光が眩しくないようにしたり、室内でも照明の明かりを緩和してくれる働きがある。
二人もバックを専門しているから、ミラーゴーグルは必需品と言えるだろう。
「ピッピッ、ピーーッ!」
聞き慣れた笛の音が鳴る。
長いピーーッという音に合わせて二人は再びプールの中に侵入する。背泳ぎは中からのスタートなのだ。
「よーい」
構えると、時が止まったかのように二人の動きがピタッと止まる。
俺的にはこの時間が一番緊張する瞬間だ。
「ピッ!」
ついに麗奈によってスタートの合図が鳴り響いた。
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