第19話 凪の将来

 部活も終わり、家に帰り着くと凪は重石でも下ろすように鞄を置いた。


「ああ~、疲れた~~!」

「ダラッとするのは手洗いうがいと、着替えを済ませてからにしろ」

「お兄ちゃんが私の服着替えさせて」

「馬鹿言ってないで、さっさとする」

「はーい」


 学校ではしっかりとした凪なのだが、家に帰るとやっぱり気の抜けたいつもの凪に戻っている。

 ダラダラとした足取りで洗面所へと向かい、手洗いうがいを済ませ、制服も皺にならないように着替えを済ませた。

 しばらく凪は部屋でゆっくりとするだろうから、その間に徳人は夕飯の準備を始める。

 適当にアニソンを流しながら支度していると、休息を取った凪が部屋から顔を出してきた。


「今日はなに?」

「今日はビーフシチューだ」

「やったぁ~!」


 喜ぶ凪の顔を見て、今日の進路希望調査票のことを思い出す。

 夕飯の時に聞くか。

 それから完成された夕飯がテーブルに並べられると、二人が向かい合わせに座った。


「いただきます!」

「いただきます」


 食べ進めながら、さっそく徳人は訊ねてみる。


「なぁ、凪。お前さ、進路ってもう決めてたりするか?」

「進路?」

「そうそう。進路希望調査票を今日貰ってな」

「あ、私たちも貰ったよ。今週中に書いてきなさいって」


 一年生は今週中なのか。まぁ面談があるわけでもないからかな?


「凪はなんて書くんだ?」

「もちろん将来はお兄ちゃんのお嫁さんに――」

「真面目に答えろ」


 冗談が聞きたいわけではないのだ。いや、凪のことだから半分は本気なんだろうけど。

 凪は手を止めて、しばらく考える。


「お兄ちゃんは?」

「いや、俺のことは今関係ないだろ?」


 そう、凪はよく俺のことを慕ってくれている。だからこそ、俺の影響で将来の進む道を決めてほしくはない。

 この高校に入ったのも、水泳を始めたのも、続けてきたのも、きっとその先に滝川徳人がいたから、という要因が少なからず含まれると思う。

 自分が進む進路を示さなかったら、どうするのか純粋に気になった。


「普通に働きたい、かも」

「普通って?」

「先生とか、OLとか、なんか役場の事務職とか……」


 まさかの回答だった。

 それじゃまるで自分と同じじゃないか。


「夢とか、ないのか?お前なら何でもできるだろ。頭もいいし、運動もできる」

「んー……私はずっとお兄ちゃんといられたら、それで幸せだし」

「……」

「こうやって一緒に学校行って、一緒に部活して、一緒に帰って、一緒にご飯食べて……今みたいな暮らしが一番幸せなの」


 マジで言ってやがる……。


 目も合わせずに、もじもじと身体を動かしながら言う凪に、徳人はなんて言ってやればいいのか分からなった。


「でもね」

「?」

「競泳の世界は……ちょっと興味あるかも」

「おお、マジか。じゃあ水泳選手になるってことか」

「ちょっと興味があるだけね。もしそうなってお兄ちゃんと一緒にいられなくなるのは嫌」

「おいおい、そこで俺を出さないでくれよ……」

「だーめ、私にとってはお兄ちゃんが最優先なんだから」


 なんて言って再び凪はパクパクとご飯を食べ進めていく。

 食べ終わると凪はまた部屋へと戻り、徳人は食器を片付けながら考える。


 もし凪が本気で水泳選手を目指しているのなら、俺はそれを応援したい。あいつには才能がある。

 だから俺は力になるために、普通に大学へ行って就職して、ある程度の余裕のある暮らしができれば、金銭面でも援助ができるかもしれない。


「だとしたら、俺は教師にでもなろうかな……」


 凪のために。


 ***


 部屋で机に向かう凪は進路希望調査票を出して、ペンを握っていた。

 私はお兄ちゃんの背中を見て、ずっと生きてきた。お兄ちゃんの進む道が私の進むべき道だった。


 結局、徳人の進路を知ることができなかった凪は、立て掛けられている写真に目を移す。

 そこに映るのは小学生の時に撮った徳人とのツーショット写真。徳人は無邪気な笑みを浮かべてピースをしているが、その後ろに隠れるようにして凪が写っている。


「お兄ちゃんに認められたいな……」


 徳人に認められて、ずっとこの先も徳人と一緒に暮らしたい。

 だから大学に行って、ちゃんとした職について、ちゃんとした収入を得られるようになりたい。


 お兄ちゃんのために。

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