第2話 二人暮らし

 入学式を終え、無事に高校一年となった滝川たきがわなぎ

 そしてその兄である高校二年生の滝川徳人のりと

 長い一日を終えて、沈む夕日に背を向けて帰宅する徳人の隣にはさも当然のように凪がくっ付いていた。


「なぁ、凪」

「何? お兄ちゃん。私のファーストキスはまだ誰にもあげないよ?」

「何の話をしてんだ? それより俺、母さんや父さんからも、お前がどこに住むのか聞いてないんだけどさ」

「あ、そうなのー?」


 すげえ、わざとらしい棒読みのセリフが零れた。


「ま、まさかだけど……俺の部屋じゃないよな……?」


 僅かな、本当に僅かな、宝くじ二回連続で最高額当選しちゃいましたくらいの僅かな可能性に賭けて訊ねてみた。

 けど、そんなものは神ですら不可能だと知っている。よって、結果も分かりきっていた。


「もちろん、お兄ちゃんの部屋だよ!」


 あざとく可愛く言っても無駄だからな⁉ そうやって甘えた感じで言えば、なんでも許されると思ったら大間違いだ!


「わざと、母さんたちにも口止めしてたな⁉」

「えー? 何のことかなーー?」


 またも見事な棒読みである。

 通っている浦笠うらかさ高校は二人の実家からかなり遠い。どうしても学業成績的にも、そして部活動的にもこの遠い地の高校を薦められた徳人は、一人暮らしを決意して家を出たのである。

 一年間の一人暮らしの日々は、自由な時間を好きに使えて、実に素晴らしい生活だった。


「今日からまた一緒に暮らせるね! お兄ちゃん♡」


 そんな徳人の平穏な日々は、どうやら終わりを迎えたらしい。

 確かに徳人の部屋は二人なら余裕で暮らせるぐらいの広い部屋を借りている。親が不自由のないように、と気を使ってくれたのだ。

 だが、今となっては最初から凪が住みつくための伏線にしか思えない。親が憎い!


「に、荷物はどうなるんだ?何も届いていなかったぞ?」

「えーっと、そろそろ届くころじゃないかな?」

「まさか今日届くのかよ!」

「あはは。驚いた?」

「はぁー……、もう呆れて言葉も出ない」

「言葉は出てるけどね。ほら、早く帰ろっ! 私たちの家に」


 凪はご機嫌良く徳人の手を引っ張って歩くスピードを上げる。

 その時の俺がどんな顔をしていたのか、自分でもよく分かっていない。


 家に帰ると、本当にタイミングよく凪の荷物が届いた。

 大きい段ボール箱がドスン、ドスンと玄関に積み上げられていく。

 一体どれだけ詰め込めば、こんな量になるのか知らないが、とにかく玄関は既に段ボールでジャックされた。


「で、どうすんの? これ」

「もちろん、お兄ちゃんが全部運ぶ」

「そんなのできるかぁー!」

「ええ~、じゃあどうすんのよ」

「それを俺が聞きたかったんだが……」


 しかしこのまま何もしなければ、状況はより悪化していく。なんせ外に出られないのだから。

 徳人は小さく嘆息しながらも、制服の上着を脱いでシャツの袖を捲った。

 鍛えられた筋肉がしっかりとついた腕に、凪は一瞬ドキッと頬を赤らめる。しかし徳人はそんな凪に気づくこともなく、段ボールを一つ持ち上げた。


「重ッ!」


 だが、これを運ばなければ脱出は不可だ。


「お兄ちゃん、頑張れー!」

「応援してないで、手伝ってくれよ……」


 そうして徳人の肉体労働が始まった。

 結局、凪は一切の手伝いをすることはなく、段ボールは全て徳人が中まで運んだ。


「それで、お兄ちゃん、私の部屋ってどれ?」

「あー、そうだったな」


 完全に考えていなかった。そもそもずっと一人で好きに使っていたのに、いきなり来ては部屋を渡すなんて無理な話である。


「ないなら、お兄ちゃんと共同部屋でもいいよ?」

「それは俺が嫌だ」

「むぅーーッ」


 凪が頬を膨らませて睨みつけてくるが、華麗に無視する。

 今すぐに明け渡せる部屋となると、完全に物置にしていた部屋くらいしかない。

 徳人は物置部屋に入ると、散らかった部屋に凪は絶句する。


「ねえ、ここが私の部屋なんて言わないよね……?」

「残念ながら、ここがお前の部屋だ」


 まるで掃除も一切されていない散乱された部屋には埃が溜まり、悪魔の漆黒生物Gやムカデなんかも出てきそうな有様である。


「やだ!やだやだやだやだやだやだ!」



 当然のように凪は反論する。


「こんな部屋だったら、お兄ちゃんと一緒がいい! むしろ一緒に住みたーい! 一緒に寝たーいッ!」


 なんて子供みたいな我儘を……。


「毎晩同じベッドで寝て、理性を抑えきれなくなったお兄ちゃんが、私を襲ってくるような夜を過ごしたーい!

 もう我慢できない……!

 お兄ちゃんなら、いいよ。好きに私を虐めて……。

 凪……。

 お兄ちゃん……。

 って風にお兄ちゃんとイチャイチャしたいの!」

「おい、本音とか本性とか性癖とか諸々が零れちゃってるぞ……」

「とにかくこんな部屋には住みたくないから!」

「あー、分かったよ。俺がちゃんと掃除するから……。はぁー、なんでこんなことになるんだよ~……」


 ということで、この汚部屋をすぐに綺麗するのは不可能なので、今日だけは徳人の部屋で過ごすことを許可することになった。

 だが、明日には掃除をして、ここで暮らしてもらう。


「じゃあ、先に風呂にするか? 飯にするか?」

「もちろん、お兄ちゃんにするー!」

「そういう定番的な受け答えを期待してたんじゃねーんだよ! ほら、早く選べ」


 凪は「んー」と少し考えてから、


「お風呂が先かな」


 と言ったので、お風呂を先に済ませることになった。

 風呂はちゃんと浴槽もついており、それなりに広いものとなっている。だが、面倒なことが嫌いな徳人はほとんどシャワーで済ませる日々であった。

 凪はおそらく浴槽に浸かりたいタイプだ。実家でも毎日浴槽に浸からないと気が済まない奴だったからな。


「使い方はなんとなく分かるな?」


 と風呂に入る前に訊ねると、キョトンとした様子で徳人を見つめる。


「一緒に入らないの?」

「なんでだよ!」


 おい、まるで一緒に入るのが当たり前みたいな目でこっちを見るな!


「ええー、昔は一緒に入ってたじゃん」

「それは小さい頃だろ! 今はお互い高校生だぞ⁉」

「だから、実家じゃ入れなくて我慢してたんだから、もういいでしょ。ここならお母さんたちもいないよ?」

「そういう問題じゃねえ!」


 むしろ親がいるから我慢してたってのが驚きだわ。できれば、ずっと我慢していただきたいものだが……。

 凪は今作ったような芝居で、困り顔をする。


「私、お風呂の使い方わからなーい。お兄ちゃん教えて~」

「教えるから、一人で入れよ」

「ええー、私物覚えが悪いし~」

「うちの高校クッソ偏差値高いのに入学した天才が何を言うか」

「ううぅ……。お兄ちゃん、一緒に入って!」


 とうとう子芝居も止めて、ドストレートに言ってきたか。

 なりふり構ってられない様子だ。


「今日だけでいいから! お願い!これも入学祝ってことで、ね!」


 どんだけこいつは兄貴と風呂に入りたいんだよ……。


「ずっと一緒に入りたかったの! 実家でもお兄ちゃんが入ってる時、いつでも一緒に入れるように全裸待機してたんだから」

「マジかよ⁉ それは流石にやめろ! 親に見つかったら、マジで気まずいわ!」

「だから、今日だけ! いいでしょ……?」

「んー……」

「一生のお願い!」


 もうこれで何度目の人生か分からないほど、聞き慣れたセリフだ。

 だが、ここが俺の甘い部分なのかもしれない。


「分かったよ。今日だけな」

「やったー!」

「だが、タオルは巻く! いいな!」

「はーい! お兄ちゃん、愛してるー!」


 そうして何年ぶりかも分からないほど久しぶりに、二人でお風呂に入るのだった。

 入浴の凪の暴走やそれを必死に止めながらも、目のやり場に困りながらも、自分の理性を抑えつけるのもやっとの徳人の様子はご想像にお任せする。

 ただ、よく耐えたな、と自分をほめてやりたかった。おっぱいの一つや二つ揉みたいところだったが、それでは凪が喜んでしまうので止めた。

 二人とも歯止めが利かなくなっては、イクところまでイッてしまう。それはいろいろと問題がある。

 何がともあれ、こうして波乱の二人暮らしが始まったのだった。

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