第15話 居残り練習
部活が終わった後も、徳人は一人時間ギリギリまでプールで練習していた。
部活のメニューよりもさらにハードに設定して、とにかく自分の限界へと挑んでいく。
昔から、俺は何をやっても下手くそで成長するスピードだって人より遅い方だった。水泳をやり始めた時も、まずは泳げるようになるところからのスタートで、クロールを泳げるようになるのも、四つの種目を全て泳げるようになるのも、俺は周りよりかなり遅かったと言える。
それに比べ、凪は違った。
徳人よりも一年遅く始めた水泳もあっという間に全ての種目を泳げるようになり、すぐに大会にだって出れるほどに凪の飲み込みは早かったのだ。
きっと凪は要領がいいのだろう。凪は勉強も運動も少しやれば並大抵の人と同じくらいにこなせてしまう。
それが悔しかったのかは分からない。確かに羨ましいと思ったことはある。妬ましいと思ったこともある。
けど、徳人は兄であるが故に、それを表に出せなかった。
出来ることは、ただ人よりも練習をすること。
みんなが練習すれば、俺はその二倍、三倍の練習をする。そうやってここまで水泳だって、勉強だって伸し上がってきたんだ。
「もう、こんな時間か……」
橙色に染まる外と時計を見て、ぽつりと呟いた。
そろそろ上がらないと先生に怒られてしまう。
体力的にも徳人の身体は限界だったため、ちょうどよかった。使ったものは直し、そのままシャワーを浴びに行く。
生温い水を頭から浴びて、疲労感でこのまま眠ってしまいそうだ。
しかしどうにか着替えを済ませて、エントランスまで出ると、椅子に腰かける人影が一つ見えた。
「凪……」
「あ、お兄ちゃん、もう終わったの?」
なんて言って凪は振り向きながら立ち上がる。
「先に帰ってなかったのか?」
「うん、お兄ちゃんが頑張ってるのに私だけ帰るなんて嫌じゃん」
「馬鹿だなぁ」
やれやれと微笑を零して、時間もないので外に出る。すると他の遅くまで残っていた部活動生も帰る様子で、生徒がちらほらと見えていた。
「俺たちも帰るか」
「うん!」
凪は嬉しそうに頷く。
歩幅を合わせて、ゆっくりと歩く徳人にペースを合わせている。
「やっぱりお兄ちゃんには敵わないね」
「なんだ? 急に」
「だって、普通に練習内容だってキツかったのに、さらに練習するって私にはできないもん」
「俺はそれくらいやんないと速くなれないんだよ。凪とは違ってな」
「え?」
「お前は何をやっても俺より卒なくこなしちゃうからさ。たぶん、このままじゃすぐに凪に追い越されちゃう」
そう、それは目に見えそうな未来だった。
凪は天才なんて呼ばれるタイプだ。なんでも少しの努力で人並み以上の結果を残せる。そんな凪が本気で努力をしているんだ。
今の凪は一年前の凪とは明らかに違う。成長スピードが異常だ。
天才が努力したら、そりゃもう敵わないさ。
「あはは……」
乾いた笑いだった。
しかし凪は足を止めて、真っ直ぐに徳人を見つめる。
「そんなことないもん……。私、お兄ちゃんのすごいところ、いっぱい知ってる。私も勝てないなって思うところ、いっぱいあるもん!」
「そうか? 凪は俺よりも優秀だと思うぞ。お前は天才だからな」
そう、凪は天才だ。
そして俺は……天才なんかじゃない。
「お兄ちゃんは……すごいもん。私知ってるよ、小学生の時から皆よりも練習してたの。お兄ちゃんが一人で、市民プールに行ってずっと練習してたの」
「……知ってたのか」
凪にも内緒でよく母さんに市民プールまで連れて行ってもらって、そこで一人でよく練習をしていた。とにかく皆に追いつくには、人の倍の練習をしないといけなかったから。
でも、それを人にも知られたくもなかった。
だから凪には友達と遊びに行っていたなんて嘘ついたり、凪がいないときに練習したりして、とにかく負けたくなかったのだ。
「お母さんがこっそり教えてくれたの」
秘密も守れないのか、うちの親は。
「だから知ってる。お兄ちゃんのすごいところは、誰よりも努力してるところだって」
「ふん、ただ悪足搔きさ。どんだけ頑張ったって、もう凪に追いつかれようとしている。努力ってのは、結果に繋がって、他者に認められて、初めて努力になるんだ。それまでは、ただの無駄な悪足搔きだ」
「私が認めてる!」
手に持っていた鞄を手放して凪が徳人の手を握った。
「お兄ちゃんのことを誰よりも知っている私が認めてるよ! だから私はまだお兄ちゃんには勝てない……。お兄ちゃんは、いっつも格好いいよ!」
面と向かってはっきりと言われると、徳人も恥ずかしさでつい俯いてしまう。
しかし、凪がこう思っているなんて知らなかった。
ほんと、とことんブラコンな妹だな。
だが、この状況はかなりまずい。
「凪……そろそろ手を放してくれないか……。周りに見られてる」
凪の声が聞えたのだろう。周囲には生徒がチラチラとこちらを見ながら通り過ぎていった。
ハッと凪もすぐに手を放す。
学校外ならまだ問題ないのだが、校内でこれは流石に恥ずかしすぎる。
「でも、お兄ちゃんはいつだって私の憧れだからね。それは忘れないで」
「お、おう……」
「うん、分かればいいの」
鞄を拾い、凪と徳人は再び歩き出す。
「でも、いつかはお兄ちゃんに勝つからね。勉強でも水泳でも」
「ああ、その時は潔く引導を渡すとするよ」
「そこは、俺も負けねえからな、でしょ」
「んじゃ、負けねえ」
「フフッ」
互いに笑みを洩らしながら二人は帰ってゆく。
やっぱり凪にはいろいろと敵わない。それでも、もうしばらくは俺も兄としてもっと先に立ち続ける必要があるらしい。
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