第4話 初登校

 入学式後の土日の休日を挟み、凪の部屋の掃除と片付けは一通り終わりを迎えた。

 これでちゃんとした生活空間も確保して、暮らしていける状態になり、今日は月曜日。さっそく凪にとっては登校初日である。

 とは言っても、徳人と一緒に向かうことになるので、中学の頃を思い出させるような懐かしが生まれる。

 真新しい制服は入学式ぶりに袖を通し、髪型もしっかりとセットしている。化粧に関しても校則では許されているが、凪という元の素材が良いため、してもしなくてもどちらでも可愛いことに変わりなかった。


「あまり急ぐな。こけるぞ」

「そんな子どもじゃないもーん」

「転んでから泣いても知らないからな」

「その時はお兄ちゃんが学校までおんぶしてくれるからいーもん」


 なんで一日の始まりにそんな労力を消費しなくちゃいけないのか訳が分からない。学校に着く前に疲れるとか、絶対に嫌だ。

 徳人は基本的に面倒なことは嫌いだし、避けるようにしている。いわゆる効率を重視した行動をとりたいのだ。それが一番賢い生きた方だと思うし、徳人自身もそんな自分のスタイルが嫌いじゃない。

 だが、凪がいる時は基本的に例外が生まれる。

 凪にはそんな理屈も言い訳も通じるわけがなく、必ず損する役回りになっちまうのは家族として暮らしてきた徳人自身がよく分かっている。

 にしても、今朝から凪はご機嫌がいい。いつも朝は機嫌が悪い時の方が多いのに、今日は珍しいパターンだ。

 何かいい夢でも見たのだろうか。


「そう言えば、凪の他に同中学の友達はいるのか?」

「ううん、いないよ」

「だよなー、ここ地元から遠いし、レベルも高いしな。来る奴なんてそうそういないか」


 徳人の時も、中学からこの浦笠高校にやってきたのは徳人以外に誰もいなかった。その為、完全に友達0人の状態で学校生活が始まってしまう。

 凪は容姿もいいが、もちろん人付き合いも上手い方だ。家では、兄をこき使うこんなクソみたいな妹だが、人前では普通の女子高生でいられる。

 それでも兄として、徳人は若干の心配を抱いていた。


「友達作りは最初が大事だぞ。自己紹介とかちゃんとしろよ」

「分かってる。お兄ちゃんよりは社交的な方だし、まさかお兄ちゃんからアドバイスされる日が来るなんて思いもしなかったよ~、クスス」


 おい、兄の心配を返せ!良心を何だと思ってるんだ!

 しかし確かに凪なら問題はないだろう。

 学校が見えてくると、新一年生らしき初々しい顔がちらほら見える。


「じゃあ、ここまでだな。なんかあったら連絡しろ」

「うん、お兄ちゃんこそ私がいなくて寂しい時は会いに来ていいからね!」


 凪は意地悪顔でそう言うと、昇降口で分かれた。学年で場所が分かれているため徳人も二年生の決められた場所で靴を履き替える。

 さて、念のため昼休みくらいには顔を出してやるかな。

 そんなことを考えながら徳人は階段を上っていくのだった。


「みなさん、おはようございます。私がこの一年二組を受け持つことになりました担任の相場あいばといいます。これから一年間、よろしくお願いします」


 凪のクラスではさっそくHRが始まっていた。

 担任の相場という女性の先生は、歳は三十代前半くらいでビシッとしたスーツ姿がよく似合う人だった。

 厳しそうな視線や態度が、この高校のレベルの高さを表しているようにも見える。


「ここはより優秀な生徒を多く排出してきました。卒業生の中には、有名な学者や政治家の人たちも多く活躍しております。みなさんもそんな大人に育てていきますので、しっかりとついてきてくださいね」

「「はい」」


 生徒たちが返事をする。

 凪もつまらなそうな顔をしながらも、一応言葉を返した。

 早く休み時間にならないかなぁ、なんて考えながら。


「それでは、まずは皆さんの顔を名前を知りたいので、自己紹介をしていただきます。一人ずつ各自、自由に自己紹介をしてください」


 あー、始まった、と凪も一人一人の自己紹介を聞き流していく。正直男子には興味がない。興味があるのは兄である徳人だけだ。

 女子の自己紹介だけはちゃんと聞いて、その人の人柄を覚えておくようにする。

 すると凪の順番はすぐ回ってきた。


「それでは次に……滝川凪さん」

「はい」


 呼ばれると席を立って皆に顔を見せる。

 何を言おうかな……。


「○○中から来ました滝川凪です。同じ中学の友達がいないので、是非仲良くしてください。部活は、小学校の時から続けている水泳部に入る予定です。これからよろしくお願いします」


 という風に淡々と無難な自己紹介を済ませると、一同の伝統のような緩い拍手が起こり、凪は席に着いた。

 すると、さっそく隣の席の子が人差し指で突っついてくる。

 右隣の席の……名前は三豊みとよ早苗さなえちゃんだった。


「私、三豊早苗っていいます。滝川さんって水泳部に入るの?」

「うん、そうだよ」

「私も水泳部に入るつもりなんだぁ~。よかったら仲良くしてね」

「うん! こちらこそ一人だったから心寂しかったの。仲良くして早苗ちゃん。私のことも凪でいいよ」

「よろしくね、凪ちゃん」


 と、さっそく共通点のある女子と関係が得られた。

 凪も少しだけホッとした表情を浮かべては、休み時間のチャイムをただ待ち続けるのだった。

 休み時間になると、早苗と基本的に喋るようにして、他の女子たちとも少しずつ輪に混ざって会話に溶け込む。

 そんなことをしているうちに女子の大半は顔も名前も覚えたし、気がつけば昼休になっていた。昼食は徳人が作ってくれた弁当があったため、それを広げて早苗も自前の弁当を同じ机に広げている。


「えぇ~! 凪ちゃん、全国大会に行ったこともあるの⁉」

「うん、あるよー。小学生の時からずっとやってるからね」

「私だって十歳から水泳してるけど、そんな大きな大会まで行ったことないよ」

「でも、水泳好きなんでしょ?」

「うん! 泳ぐのすごく好きなの! ここの高校って水泳部がとても強いでしょ? だから私もこの高校に入学したんだ」


 早苗は心からそう言っている。それは凪にもよく伝わってきた。


「じゃあ、お兄ちゃんと一緒だね」

「お兄ちゃん?」

「そう。二年生に私のお兄ちゃんがいるんだけど、お兄ちゃんも水泳部だよ。浦笠高校も部活推薦枠で入学したし」

「お兄さん、すごいね! 名前なんて言うの?」

「滝川徳人」

「のりと、先輩? ……って、あの徳人先輩なの⁉」


 早苗は教室だということにも関わらず大声を出してしまい、すぐに自分の口を手で塞いだ。慌てながら他のみんなに「ごめんなさい」と頭を下げる。

 素直でいい子だけど、ちょっと変わったところもあるのだろうか。

 だが、この反応を見るからに早苗は徳人のことを知っている様子だった。


「早苗ちゃん、お兄ちゃんのこと知ってるの?」

「当たり前だよ! だって、徳人先輩って、この高校で一番速い選手だよ! 三年の先輩や部長たちよりも群を抜いて速いって評判で私の中学では有名だったんだから! 確か去年も一年生なのに、フリーもメドレーもリレーメンバーに選ばれてたし、個人でも大会記録を次々と塗り替えていった期待のエースだって」


 確かにお兄ちゃんが水泳でずば抜けた功績を持っていたのは知っていたし、中学時代も部長として最後の全国大会はかなりいいところまで残っていた。

 でも、まさかここまで知られているとは思ってもいなかった。


「お兄ちゃんがそこまですごいなんて知らなかった……」

「でもそんな徳人先輩の妹さんだったら、納得だね。凪ちゃんも速いんでしょ」

「まぁね。お兄ちゃんにだって、ブレ(平泳ぎ)とフリー(クロール)なら勝ったことあるし」

「すごいな~、なんか私がすごい場違いな気がしてきたよ……」


 早苗は肩身を縮めながら言う。

 そんな早苗の肩に凪は手を乗せる。


「そんなことないよ。私も泳ぐの好きでやってるし、私でよければいろいろアドバイスや練習にも付き合うよ」

「ほんと⁉ ありがとう、凪ちゃん!」


 早苗が喜ぶと、凪も釣られてつい嬉しくなってしまう。


 そんな二人が楽しそうに談笑に花を咲かせているところを、廊下から徳人は軽く覗いていた。 

 心配して一人だったら、飯でも誘おうと思っていたが、やっぱりいらない心配だったな。すっかりもう友達ができているじゃないか。

 徳人は何も言わずに、一人で来た道を戻っていくのだった。 

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