第26話 失くしもの

「あれ? ……ない⁉」


 夏休みが近づく、とある日の昼休み。

 凪は鞄の中を慌てた様子で漁りながらそう言った。すぐ近くにいた三豊早苗が小首を傾げながら訊ねる。


「どうしたの?」

「ないの!」

「なにが?」

「キーホルダー! 四つ葉のクローバーの装飾が付いているのなんだけど……」


 そこまで言うと凪は自分のスマホを取り出して早苗に見せた。

 確かに、凪はいつもスマホに同じキーホルダーを付けていた。たった一つだけ、しかも少し古いというか傷がいくつか入ったものだった気がする。

 それが今のスマホには何も付いていなかったのだ。


「落としちゃったのかな」

「たぶん……ストラップのところが切れちゃったんだと思う。どうしよう……大切なやつだったのに……」

「そうなの?」

「うん」


 とだけ答えて、それ以上は何も言ってはくれない。しかし、ここまで動揺する凪も珍しかった。よほど、そのキーホルダーが大切なものだったのだろう。

 鞄の中に紛れていないことを確認すると、教室の辺りの床に視線を落とした。


「私ちょっと探してくる。ごめんね、先にお昼食べてて」

「う、うん」


 と早苗を置いて、凪は真下を見ながら教室を出て行った。

 とにかく記憶に新しい順で、自分の通った道をひたすら辿っていく。しかし廊下にはそれらしいものは一切落ちていなかった。

 もしかしたら、職員室に届けられているかもしれない。

 そのまま職員室へと足を運ぶと、ちょうど職員室の中から見知った顔が出てきた。


「……おっと、あれ? 滝川さん?」

「鹿部先輩!」


 ちょうど目の前にやってきたのは、水泳部副部長を務めている鹿部麗奈だった。後ろで一つに結われた長い髪がサラッと揺れ、危うくぶつかりそうなところをギリギリで制止する。


「こんなところで珍しいね」

「は、はい」

「もしかしれ職員室に?」

「はい。ちょっと落とし物をしちゃって、届けられていないかなと思って」

「へ~。どんな?」

「キーホルダーです。四つ葉のクローバーの装飾がついた」

「ん~、私は見てないかな。ごめんなさいね」

「いいえ。ありがとうございます」


 サクッとお辞儀すると、凪は職員室の中へと入っていった。いつも礼儀正しさがあり、流石滝川徳人の妹という印象だった麗奈だったが、こうも焦りを見せる凪にやや興味をそそられる。

 彼女は部活でも常に誰よりも速く泳ぎ、厳しい練習メニューにもついて来れる唯一の新入生という印象も強いが、冷静に何でも卒なくこなすクールなイメージ。

 そんな彼女の取り乱す姿が目新しく、ついクスッと笑いが零れてしまう。


「あの滝川さんが取り乱すほどに大切なものって何なんだろ」


 でも今は、それを探るのは野暮だと察する。

 今度、徳人君からでも聞いてみよう。

 そんなことを考えて麗奈はその場を後にした。


 ***


 結局のところ、職寝室には届けられていなかった。それどころか、心当たりのある場所は全て足を運んだが、一切見つかることはなく放課後にまでなってしまった。

 学校でこれだけ探して見つからないということは、もう外で落としてしまった可能性が高い。

 でもいつ? どこで?

 そう考えているうちに、もう当てもない学校外でキーホルダーを見つけるのは、ほぼ不可能に近いと察し始めていた。


「どうしよ……」

「何をどうするって?」


 その声が垂れる首の上から降ってくる。

 顔を上げると、そこには兄である徳人が立っていた。


「なんか昼休みから忙しくしてみたいだな」

「お兄ちゃん……。どうして」

「んーっと、部長たちのところに行ったら鹿部先輩から聞いた」

「鹿部先輩……」

「んで、何をしてるんだ? 部活もサボって」

「それはお兄ちゃんもでしょ」


 今は放課後であり、本来なら部活時間である。まさか、このタイミングで徳人が来るのは完全に予想外だった。


「俺はちゃんと次の大会で結果出せるからいいんだよ」

「私だって出せるもん」

「うるせえ。後輩はちゃんと練習でないと調子乗ってるって思われるぞ」

「みんないい先輩たちだし、それはない」

「……まぁ、それはないな」


 自分で言っておいて、徳人まで納得してしまう。


「……キーホルダーなくしちゃった」


 ぽつりと凪が言う。


「キーホルダー? それってお前がスマホに付けてたやつか?」

「うん」

「それをずっと探したって言うのか?」


 徳人は別の理由を想像していたらしく、拍子抜けした様な声を洩らした。


「それ俺が中学の時の修学旅行で買ってきた土産だろ? それを昼休みからずっと探してたのか?」


 コクッとはっきり頷く。

 そんな凪に徳人は呆れた溜息を洩らした。


「はぁー。お前、そんなの失くしても探すほどじゃないだろ」

「だって数少ないお兄ちゃんからの贈り物だもん! 大事なものだもん!」

「……」

「お兄ちゃんからの貰ったものは何でも私にってはお宝だもん……。だからずっと大切にして、肌身離さないようにスマホにつけてたのに……」

「お前なぁ、そんなキーホルダーごときで泣くなって」


 徳人から言葉で初めて自分が涙を流していたことを自覚する。

 勢い任せで言い放ち、頭に血が上っていたのだろう。一気に冷静さを取り戻すと、凪は制服の裾で涙を拭う。

 元々プレゼントの類をくれる兄ではなかった。それ故に、中学の時修学旅行で貰ったお土産のキーホルダーという形あるものが嬉しかったのだ。

 絶対大切にずっと身に付けていようと思ったキーホルダーが今では行方知れず。

 そう思うだけで、心の中にぽっかりと穴がいたように寂しさが訪れてしまう。


「ごめんなさい……なくしちゃった……」


 嗚咽を洩らしながら凪は言う。

 例え、徳人にとってはたかが修学旅行のお土産でも、凪にとっては大切な思い出の品だった。


「私、もう少しだけ探す」


 歩き出そうとする凪の手を徳人が掴む。


「やめろ」

「やだ! 探す!」

「だから、ちゃんとしたのをプレゼントするから探すのは無しだ!」

「……え?」

「今度代わりのものを買ってやるから、もう探すのはやめてくれ」

「でも――」

「ちゃんと凪のために……選んでやるから」


 私の……ために?

 それでもあのキーホルダーには思い出がある。ずっと大切にしていたものを早々に諦めることなんてできない。

 でも、徳人のそのやけに真剣な眼差しを向けられると、凪からは何もできなかった。


「……うん」

「よし、それじゃ、戻ろう。みんな心配してる」


 さて、何をあげたものだか……。そう簡単に凪の気持ちを払拭させるような贈り物は思いつかない。


 徳人の頭は既にプレゼントのことでいっぱいになっていた。

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