じゃあね

「結城は外出てて」


 あかりがじろりと結城を睨み上げる。

 結城と同じく、これから部活なのか脇には大きなボストンバッグを抱えている。


「ちとせと今から出かけるんだよ」


「ごめんだけど、話聞いてた。ちーちゃんにわたしの着替え貸すから。男の人は出ていってくれるかな」


 低く、トゲだらけの声。いつも愛想よくにこにこしていたあかりのイメージとは程遠い姿だ。

 もしかしたら、私がただの友達だからこそ愛想よくしてもらえていて、親しいからこそ結城にはこういう姿を見せていたのかもしれないけど。

 ってそれより。

 

「あかり、もう時間ない」


 私も足踏みしたい気持ちを抑えつつ、言う。


「すぐ済むから。それに、そのまま外に出るとか、ばれてすぐ捕まっておしまいでしょ? そのほうがまずいと思う」


「そう、かも。じゃあ、借りるね。結城は外で待ってて」


 もちろん、あかりの様子からして、貸すだけが目的じゃないことぐらい分かってる。

 けど、ここで押し問答するのも時間がもったいないし、話さない訳にも行かない気がした。単純に着替えもほしいし。


 結城を外に締め出して、個室の扉を再び閉める。同時にあかりが服をさっさと脱ぎはじめた。驚かない事に、むしろ驚いた。

 かえでで慣れたのかも。


「あかり? なんで脱ぐの」


「体育着とジャージに着替えるから。ちーちゃんはわたしの服着て。結城のよりましでしょ。ちょっと大きいかもだけど」


「ありがと。助かるよ」


「いいよ」


「あかりの高校ってジャージですらなんかおしゃれだよね。うちなんてすっごいださいんだよ。女子も真っ黒なんだよ」


「もう全然動揺しないんだね。やっぱりちーちゃんは女の子だ」


 あかりが下着姿のまま振り返って、カーディガンやシャツ、ワイドストレートのパンツを渡してくれた。

 女子らしいまあるい体が近づいて、今でも羨ましいとは素直に思う。


「かえでが女の子が好きだから、女の子になりたいって思ってる」


 私が言うと、あかりは少し疲れたように笑った。


「ちーちゃんはすぐ人の影響受けるんだから」


「あかりが好きだった頃は、必死に男になろうとしてたし」


「ねえ。ちーちゃん、なんであんなことしたの。……その……自殺なんて」


「私達は死ぬつもりなんて一切なかったよ。いつも言いたいこと、全然言えないからさ。ああすることでしか言えなかった。あれが一番世界に対して、主張できる方法だって信じてる。

 そうしたら、かえでと一緒に居られるんじゃないかって。そんなことばっかり考えてた。おかしいよね。めちゃくちゃな理屈。

 でも、死にたいんじゃない。これだけは信じてよ。だめ?」


 茶化して笑う私に応じる声はなかった。

 あかりがバッグから体育着を取り出して、私も同じく借りた服を着込んでいく。

 衣擦れの音だけが部屋を満たしていく。


 あかりの匂いは昔と少しだけ変わった。

 アロマウェットティッシュと、制汗剤の混ざった匂い。昔はそのどちらかだった。

 少し大きめの服をベルトをきつめに締めたところで、あかりの優しげな声が耳に届く。


「ねえ、ちーちゃん。このままおとなしくここに居てくれない? だって、もしちーちゃんが一人で行くって言っても、結城はついていくよ。あいつ、ずっとちーちゃんの事好きだから」


 あんまり優しい声だから、それが相手を刺すための言葉だとは分からなかった。

 ぼんやりと、あかりの顔を見た。彼女が子供みたいに分かりやすい怒り顔をしていなければ、きっと気づかなかった。



「ごめん、あかり。でも、私はかえでが好きで、結城は関係ない」



「ずるいよ、ちーちゃんは。なんで、女になんてなったんだよ。ちーちゃんが女にならなければ、結城だっておかしくならなかった。うちらは、ずっと3人で居られたのに」


 あかりの嘘に気づいたけれど、それを指摘するは空気が読めないのかな。


「あかり。中学の時、女になってしまった時、守ってくれて嬉しかった」

 

 あかりの目が伏せられた。顔を赤くして、唇を噛みしめる。

 泣いているのだと思ったけれど、違ったみたいだ。次に目を開けた時、思い切り頬を叩かれた。

 怒っている。そんなことも、わからない。空気を読めないのは一体誰なんだか。


「ばかにしないで。守る気なんてなかったの、全部分かってた癖に。結城と一緒に居たいから、利用してただけだよ」


 頬を膨らませて、強がりのように見えたけれど、それはきっと私の願望だったんだろう。


「でも、救われてた。本心なんてどうでもよかったよ」


「ちーちゃんは、すっかりおかしくなっちゃったよ。間違ったことしてるって、自覚してるよね? かえでちゃんのせいじゃない。ふたりでいるからおかしくなるんだ」


「自覚はしてる。でも、みんなどっかおかしいんだ、きっと」


 世界が私をいじめて、私は世界を笑ってやった。

 どっちが正しいかなんてもうわからないよ。


「ちっとも噛み合わなかったもんね、わたし達」


「ほんとにね」


 私もあかりも苦笑いを浮かべた。とても苦かった。


「ちーちゃん。わたしは結城が好きだから、ちーちゃんが外に出たらナースコールを鳴らすよ。結城と一緒には行かせない。だって、今のちーちゃんと一緒に居たら結城は不幸になるもの。

 もしここに残るなら3人でやり直そう。出ていったら、二度とわたし達には関わらないで。

 約束して。諦める気なんてないから。結城のこと、大好きなんだ。重い女なんだよ。意外とね」


「うん。ずっと知ってる。答えも、もう決まってる」


「そ。服は返さないでいいからね。あと、これもあげる」


 小学生の時、私がプレゼントした小銭入れを投げて寄越して、彼女は綺麗に笑ったのだ。


「ありがと。結城にもよろしく」


 私も微笑んだ。


「やだ。結城には言ってあげない」


「じゃあね、あかり」


「ばいばい、ちーちゃん」


 個室を開けた。ナースコールがなった。

 驚く結城の横をすり抜けて、私は走った。

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