TS少女ちとせちゃんと、空気の読めないかえでさん。
日向たなか
思い出
「あのさ」
そいつとの出会いは最悪だった。そいつはとてもきれいな顔だ。肩下までの黒髪と、ぱっちりした猫みたいな目で、手足も折れそうなほどに細い。
中学生ながら、美少女っていうよりも、美人と呼ぶほうがふさわしい容貌だ。
だけど、どうしてもそのにやついたような態度に薄気味悪さを感じていた。
中学が始まって一週間ぐらい経ったある日のことだった。
あまり面識のないそいつに校舎裏に呼び出されたのだ。
同じクラスのやつ。名前は…確か国領(こくりょう)かえで。
そいつが言い放った言葉は沈殿して、自分がどういう存在なのか中学に上がったばかりのオレに、嫌ってほどこびりついてくれた。
「君さ。性転換症…とかいう病気、なんでしょ? すごいよね」
「……は? すごい?」
「ねえ、体はどうなってるの? おっぱいはあるの? 全部、女の子なの? 教えてよ。それって心まで女の子になるの?」
彼女がぴったりとくっついてきて、鼻先でオレの胸元の匂いをかぐような動作をする。
それから、スカートの中に手を入れようとしてくるから、慌ててそれを弾いた。
このときの感情をどう説明したらいいのやら。
まるで珍獣でも見るような、興味に輝いた彼女の目だ。
怒ったし、不快だし、気味が悪い。そんなものが体の中で膨らんで、風船みたいに弾けた。
「触んな!」
オレが怒鳴ると、女の子みたいな…いや、女そのものの声がする。
そいつはきょとんと目をしばたかせている。
まるでオレが悪いみたいな顔をしているのだ。
「なんで怒るの? わたし知りたいんだ、君のこと」
「私は見世物じゃない」
付き合っていられない。踵を返してさっさと帰ることにした。
大股に歩くと、いちいち絡まってくるスカートが鬱陶しい
平穏な中学生活を送れるわけがないことを、改めてこのとき実感したのだった。
それでも、良い。だってそれはオレが選んだことだ。そんなのとっくに織り込み済みなのだ。
……。
『あははっ! ひどいねーそれ』
「笑い事じゃないから。あかり」
『ごめんごめん。でもさ、そこで怒鳴り返すのが、ちーちゃんらしいいよね。中学からは女の子になる! とか言ってなかったっけ』
文倉ちとせ。オレの名前。
家に帰って、速攻でラインして、通話で幼馴染の笹塚あかりに愚痴った。
底抜けに明るい声が、スマホ越しに弾んでいる。
こうやって大抵のことは笑い飛ばしてくれる彼女のことが、好きだ。
きっとこうやって今でも仲良くやっていられるっていう実感はあるし、ありがたかった。
オレが女になったのは小学5年生のときだ。
国内で数十例しかない奇病だと、オレの主治医は言った。
…ついでに、治る見込みはないとも。
だから今オレは女子の制服を着て中学に通っている。
「別に、オレは女になるなんて言ってない。中学からは女子の制服で学校に通うよって言っただけ。男だって言い張ったって面倒くさいことになるってこの2年で学んだんだよ。心まで女になった気はないね」
『うわ。理屈っぽい。それで開始一週間でクラスメイトにてめえこのやろうぶっ殺すぞ! って言ってるわけ?』
あはは!とまた笑われる。あかりめ。
「だーかーらー。オレはそこまで言ってないって! っていうかさ。……やっぱり、違う小学だったやつにも、広まってるんだな。オレのこと」
『同じ小学校だった子も多いから。仕方ないよ』
「……うん」
『大丈夫?』
「平気。覚悟はしてたから」
『そんなにわたしと同じ学校に通いたかったんだ? いやー。ちーちゃんも可愛いところあるよね』
からかうような声音だ。引っ越しも含めて、別の学校行くことだって、親は真剣に考えてくれていた。それでも、オレは同じ学区の中学を選んだのだ。
「そうだよ」
『ぶっ。ちょ、ちょっと! 何いってんだよ』
「冗談。なんか、嫌じゃん。なんでオレが逃げないといけないんだってさ」
逃げなかった理由。それはあかりと結城。言わないけどね。
「もー。焦るよ」
「っていうかさ、国領。あいつのことは――」
『わかってるよ。ここだけの話、でしょ。ほんと優しいよね、無駄に」
「優しかったら、愚痴らないよ。面倒なことがいやなだけ。広まるのは仕方ないにしても、さ。出来るだけ遅らせたいじゃん?」
言い終えると同時、玄関のチャイム音がなった。
ベッドから身を起こす。母は夜勤で家にいるのはオレだけだ。
「誰か来たみたい。あかり。また明日ね」
『うん。またあしたね!』
通話を終えて、二階の自室から玄関へと向かう。
インターフォンを覗いた瞬間、仰け反りそうになった。
それすら見越しているかのように、あいつはドアの向こうで微笑んだ。
国領かえで。さっきのさっきで、何しに来たんだ。
出来るだけ威圧的な表情を作ってから、ドアを開ける。
「やっほう、ちとせちゃん。来ちゃった」
効果はいまひとつみたいだった。相変わらずのにやついた、人を喰ったような態度だ。
「…国領かえで。何しに来たの。っていうかなんで家知ってるの」
まさか今日の復讐に着たわけじゃないよな。
思わず脚の横で拳を握りしめた。
「告白しにきたの」
ふふ、と人差し指を突きつける。その動作が演技っぽくて、なんか腹立たしい。
「なにがだよ」
「女子がする告白っていったら、一つしかないじゃん」
国領はおかしそうに、口元を隠しながらくすくす笑い始める。
言葉を彼女は続けた。
「好きになっちゃった」
「…はあ? いや。オレは…女だし。いや。男だけど」
あれ。なんだか戸惑って、うまく言い訳が思い浮かばない。
少なくても、心は男だ。だからこの言い訳はなんか違う。
「もしかして、自分でもどっちかわかんないの? おかしいんだ。それならわたしと付き合ってもよくない?」
「良くない。女とか、男とか、どうでもいいよ。とにかく帰ってよ」
「やだ。自分の性別を捨てられるなんて、すごいことだよ。ねえ、もっと君のことが知りたいんだ」
なんだ、こいつ。ずかずか上がりこんできてさっきからオレの嫌な部分に触っていく。
はらたつ!
「オレは好きで女になったんじゃない!」
「どうしてもだめな?」
「いい加減にしてよ」
オレが睨むと国領は受け流すように、大人っぽい涼し気な笑みを口の端に浮かべる。
自分の荒い息遣いだけが、間抜けに響いている。
「はいはい。わかりました。帰りますよ、つまんないな。でも、本当に好きになったんだよ、君の事」
一度振り返るその顔は、妖艶な女そのものだった。
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