思い出②

  教室に入るときはいつも緊張する。

 教室のドアの前で大きく息を吸う。

 大丈夫。普通にしてればいい。女のふりを、学校の間はするだけだ。

 これだって、そのうち慣れる日が来るよ。


 意を決して手をかけた。がらりと乾いた音がして扉が開く。


「おはよう」


「あ。ちとせ君おはよう」


 同じ小学校だった柴崎さんがこっちに視線を向たのは、一瞬だった。

 その一瞬は、はっきりと見えた。何度も見てきた表情だからだ。

 困ったような、見ちゃいけないものを見たような顔だ。


 柴崎さんは、もともと話していた子へ顔を戻して、何事もなかったかのように笑顔を浮かべている。

 いいさ、なれてる。

 

 別に、小学生のとき、女になってしまってからもいじめとかはなかったのだ。

 ことさらに排除されることもなかった。

 

 だけど、この前まで男だったやつが、女子トイレや女子更衣室に入ってきたら嫌だろう。

 オレは嫌だ。それは自然なことだと思う。

 かといって男子用のものは使えない。体はしっかり女なのだから。

 

 結局オレは宙に浮いた、幽霊みたいな存在となった。

 職員用を使用し、真綿のような優しさの中で過ごしていた。

 それらが中学からも変わらないのは、予想していたし、覚悟もしていた。

 だけど、平気だ


「よう、ちとせ。おはよう」


「おー。おはよ、結城」


 結城がひょいと手を上げて、オレは彼の席に向かった。

 だって、結城がいる。あかりだっている。

 彼に声をかけられると心底ほっとする。

 親友の高尾結城だけは、オレが女になる前から変わらない。

 変わらないでいてくれるのだ。


「昨日送った動画見た?」


 結城が椅子に座ったまま、オレを見上げる。


「なんか色々あって、見れてないや。悪い」


 色々あったのだ。ちらと横目で国領の席を見る。ぼんやりと頬杖をついていた。

 いいや。昨日のことは忘れてしまおう。


「まじかよ。おもろいから見てみ。お。笹塚さんだ」


「はよーう!」


 あかりがとん、とオレの背中を軽く叩き、オレと結城が挨拶を返す。


「ちーちゃん。元気?」


「何、急に」


 笑ってオレが答えるとあかりは顔をくしゃっとした。


「ううん! 元気ならいい!」


「心配しなくていいよ」


「心配なんてしとらんわ!」

 

 あかりがオレの脇腹をつつくと、「ひんっ」って変な声が出る。


「あはは! 変な声! じゃ、また後でね!」


 たたたと、足音すら立てて元気に駆けていく。

 その姿を視線で追っていると、いつもの女子の友達に元気に挨拶を交わしている。

 嵐のように現れて、嵐のように去って行く。


「おーい、ちとせ」 


 はっと目を戻す。心配そうな表情の結城と目が合った。


「ああ、悪い」


「ちとせ。もしかして、なんかあった?」


「うーん。ここじゃちょっと言いづらいよ」


 流石に国領のことはこんなところじゃ言えないよ。

 それに、言えば結城はきっと怒ってくれる。そういやつだ。それもなんか悪いなって思った。


「ふーん。まあ良いや。それより今日カード屋寄って帰ろうぜ」


「お。いく!」


 そこでチャイムが鳴って、いそいそと席についた。

 

 戻るついでに、国領の席の方を見た。

 あいつはずっと誰とも喋らないんだな。

 

 朝到着してからずっと一人で本を読んでいる。それが悪いとは思わない。

 オレだって、結城ぐらいとしか話せないし。


 学校がはじまって一週間も経てばそれなりにグループができている。

 男子も、女子もだ。

 

 結城は、良いんだろうか。女のオレといると、他の男子たちは近寄ってこない。

 結城だって、男の友達作りたいだろうに。

 オレだって見た目は女になったけど中身は変わらないんだ。


 好きなものだって、なんにも変わってない。だけど、はっきりと男女の壁があるのは、感じている。

 あかりは新しくできた女友達と話をしている。

 もうこの病気が治らないなら、どっちに行くべきなんだろうって、思う。


……。


 一度家に戻ってから制服を脱いだ。

 二度手間だけど結城と遊ぶのにスカートを履いているのは嫌だ。


 駅前の喧騒を抜けて、モノレールの高架橋の下の待ち合わせ先で、結城を見つけた。

 げ。

 思わず立ち止まった。

 結城だけじゃないのだ。


「やっほー」


 美少女が涼やかに手を振ってる。

 また国領だ。正直げんなりする。

 昨日あれだけはっきり断ったのに、あいつはやっぱりおかしいんだ。

 結城が戸惑ったような笑みを口の端に浮かべながら、オレに必死に目線を送っている。

 いかないと、だめだよな。

 げんなりしつつ近づくと、結城がオレの耳元に口を寄せてひそひそ声で言った。


「ちとせ。何、国領と仲良くなったの?」


「んなわけないって!」


 あ。思わず大声が出てしまった。

 結城が驚いて飛び退くのを、国領がおかしそうに見ていた。


「君たちが大声で話してるの聞いちゃった。私もカード屋いきたい。一緒に遊ぼう?」


 真っ白なワンピースっていう、漫画から飛び出してきたような容貌の彼女だ。

 結城が照れくさそうに頬を染めるし、それに国領のこびたような声音もあざとい格好もなんかむかつく。


「国領。お前カードとかやるの?」


「やんないよ。でもちとせちゃんが興味あるなら興味持ってもいいよ。今は男の子の気分」


「都合よく男とか女とか言うなよ。お前は女だろ」


「ちとせちゃんも一緒じゃない。本当は女のくせに。何、その格好」


 指を差されて自分の格好を見下ろす。ジーパンとTシャツ。男子だった小学生のときから変わらない格好だ。

 別に女がしたって特別変な格好じゃない。

 苛立ちを隠せずつい口調がきつくなる。


「別にオレがどんな格好しようが勝手だろ。お前ってさ、学校のときと全然違うよな。学校じゃ一言もしゃべらないのに」


「こっちが本当の私だもん。あっちは偽物。お互い、そうじゃない?」


「一緒にするなよ」


 すねたように頬をふくらませる彼女に、いい加減うんざりした。

 オレたちの間でまごついている結城の二の腕を引っ張って、さっさと歩きはじめる。


「もう良い。結城、行こう」


「うん。良いの? 国領は。せっかく友達になったんだろ?」


「友達じゃねえよ! 付きまとわれてるだけ! いいから、いくよ、結城」


 このやり取りのどこに友達要素があったんだ!

 結城はこういうところ鈍感すぎるよ。


「あ、ああ」


「わたしも勝手についていくね。二人のデートを見守ってるよ」


「デートじゃないから。好きにしたら」


 もう。なんなんだよ、こいつは。


……。


 結局、カード屋にまで国領かえではついてきた。

 おかげでちっとも楽しめなかった。

 彼女は何も言わずに、オレたちの様子を眺めるだけ。見透かしたような目で時々にやにやとしている。

 なんかやりづらいんだ。ただ遊んでるだけなのに。にやつかれるような事なんてしてない。

 デート? バカバカしい。


 落ち着かないから、結局早めに帰ることになった。

 夕方の帰り道の住宅街に差し掛かる。

 

 一戸建てが多くて、公園のあるとても静かな通りだ

 国領は無言でまだついてきている。

 いい加減、振り返って睨みつけた。


「ねえ、いつまでついてくるつもりだよ。もう家に帰るんだけど」


「わたしの家もこっちだから。意外と近いんだよ。知らなかった?」


「……知らないよ。興味もないし」


「今度遊びに来て? お姉さましか入れたことないんだ」


 なんか色々ひっかかるものもあったけど、訊くのも億劫だ。こいつの家の事情なんて知ったって仕方ない。

 ため息一つついて、前に向き直った。

 結城も結城で、文句の一つでも言ってくれたら良いのに。それは流石に頼り過ぎかなあ。


「っていうかさー。今日ずっと見てたけど。高尾くんって絶対ちとせちゃんのこと意識してるよね」


 オレたちの背後から、国領の弾んだ声がした。


「俺が? そんなわけないだろ」


「嘘だよ。だってずーっと微妙に距離あるもん」


 結城が足を止める。

 確かに今も縦にした腕3本分ぐらいの距離はあるけど、普通だろう。

 男同士でそんなにくっつく方がおかしい。

 前からこうだった。

 こうだった、はずだ。


「ちとせは親友だから。ずっと。男同士で」


「ふーん。じゃあ女としても見たこと無いんだ」


「ないよ」


「じゃあ、証明してよ」


「証明?」


「うん。そこでさ」


 国領が指差したのは公園。その先にある、コンクリート造りのやけに豪勢なトイレだった。

 彼女は鼻を鳴らして、自信あり気に言葉を続ける。


「女として見てないんでしょ? じゃあちとせちゃんの身体見たって平気ってことじゃない? 違う?」


「は、はあ? 国領、お前、頭おかしいぞ。なあ、ちとせ。お前もなんかいってやれよ」


 結城は親友だ。オレが女の身体になってからも、変わらないでいてくれた。

 そのはずなんだ。友達を作らないのはオレがいるからだ。

 オレがいるだけで、十分。


 男友達として十分満足している。その、はずなんだ。

 オレは、知りたかった。

 国領の言い分に載せられたわけじゃない。きっと心の奥でずっと知りたかったのだ。


「良いよ。じゃあ結城が平気だったら、国領。もうつきまとうのはやめろよな」


「うん。いいよ?」


「お、おい。ちとせ!」


「ねえ。結城。オレらって、親友だよな」


「当たり前だ」


 彼の目を真っ直ぐに見つめたつもりだった。

 けれど、先に目をそらしたのはどっちだったんだろう


……。


「狭くね?」


 結城が言う。

 ぎゅうぎゅうだ。男子トイレの個室に、女子一人に、男子二人。

 緊張している。

 心臓が口から飛び出しそうだった。結城とは、何回も旅行にいった仲だ。

 一緒に温泉にはいったこともある。プールでの着替えだって、別に普通にしてた。

 だから、平気だ。


「……」


 何かを言うのも嫌で、一気にシャツを脱いだ。

 下着も脱いだ。胸だって全然膨らんでない。男だった頃とそんなに変わってないはずだ。

 そう思いつつも、無意識に手で胸元を隠していた。


「手、どけないと意味なくない?」


「っさいな」


 指摘されて、焦る。

 手をどける。結城と目と目があった。

 怖い。そう感じてしまった。


「ほら。結城だって、平気でしょ」


 結城。お前は、変わってないよな?

 オレの声は震えていた。


「ああ、うん。そうだな。ああ、うん。ちとせ、お前……」


 結城の声も震えていた。

 なんでお前が泣くんだよ、結城。

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