女なので、

 案外眠れたし、落ち着いている。

 起き抜けにシャワーを浴びて、下着を身につける。洗面台の鏡に自分を写した。

 また少し痩せたかもしれない。ブラのサイズが合わなくなって、胸元が少し空いていた。


 お昼以外はちゃんと食べてるんだけどな。

 心をからっぽにして、何も感じないでいるつもりでも、身体はしっかり削れるものなんだなあと、他人事のように思った。


 こんな負け犬みたいな状態でかえでに会うのはちょっと、ううん。かなり恥ずかしい。

 久しぶりに会ったらなんて言おう。

 

 失敗した逃亡の気まずさが、二人の間に溝を作っているかもしれない。

 実際、私は少し気まずい。

 こんな私を見て、かえでは怒るかな。悲しむかな。

 せめて今日だけは前を向いて笑っていよう。

 

 私の決定が、一つの家族を壊すかもしれないのに、そんなことばっかり考えている。

 私はやっぱりどこかおかしい。

 でも、おかしいのは私だけじゃないのは、最近ようやく分かってきた。

 たぶん。


……。


 いつもどおり混んでいて、皆が無表情な駅構内を歩いている。

 それでも、最低限の気遣いと秩序があるこの場所は嫌いじゃない。

 皆が他人同士だから、ほっとするのだ。


 満員電車で、無理やりにでもスペースを作ってくれる優しいおじさんに頭を下げる私や、駅の階段を登るときにスカートを気にする私はやっぱり女子なんだろう。


 男性の目と関係と、態度と挨拶とか順番とか察する力とか、気遣いとか共感したふりとか、時々の生理とか。

 私は大体そんなもので、出来ている。みんなはどうなんだろう。


 上手くやれなかったな。

 砂糖やスパイスで出来ている素敵な女の子になれたら良かった。

 クラスの女子と私は何が違うんだろう。わかんないし、もうどうでもいいことだ。


 さくらさん言ってた。

 かえでは私を助けてくれるって。

 助けるってなんだろう。

 別に助けなんていらない。欲しいのは、

 かえでが何かをしでかすにしても、決まった転校がなくなるわけじゃないだろう。


 ああ、もう。

 久しぶりに頭が動いていて、むず痒い。

 色々考えて、頭の中がぐるぐるしていてまるでだめだ。

 いつものように思考をやめてしまおう。そう考えて、イヤホンを耳にはめた。




 いつもの癖で駅を出る頃には、すっかり全部の思考をオフにしていた。

 ぼんやりと惰性のように足だけを動かす。動かす。うごかす。

 通い慣れた道を歩いて、サラリーマンの集団からはぐれたら、今度は黒と白の制服の群れに合流する。

 みんながコンクリと錆びた校門に吸い込まれていく。


 そんな中、校門の横で所在なさげに爪先で地面を蹴る、かえでの姿を見つけた。似合わない無骨で大きなリュックの真紅が、目を刺すように鮮やかだった。

 イヤホンを外した。世界に音が戻ってきた。


「……か、」


 大声を出して、駆け寄りたいのと、周囲の目と恥ずかしさ。勝ったのは後者で、私はなんでもない風に周りに合わせて、ゆっくりと歩いた。

 

「あ!」

 

 それなのに、かえではこちらを見つけたかと思うと、重たそうなリュックをゆらしながら走ってくる。  

 その足取りは、絡まりそうによたよたしていて、転びそうだ。思わず私も駆け出してしまった。


「ちとせちゃん!」


「いっ」


 痛ったい。リュックの重量と、走ってきた勢い。かえでが正面からぶつかるように抱きついてくる。

 押し倒されそうなのを、なんとか両足で耐えた。


「会いたかった」


「いや、ちょっと待ってよ。こんなところで」


 見知らぬ生徒。リボンからして先輩が微笑ましそうに目を向けるのが、気恥ずかしい。


「なんで?」


「なんでって……」


「わたしはずっと会いたかったよ」


「わ、私は、恥ずかしいよ」


「分かった。人に見られるのを気にしてる」


「そうだけど、そうじゃないよ」


「わかんないよ、ちとせちゃん!」


「だから!」


「え、なに!?」


 かえでから身体を離して、驚く彼女をの手を無理やり引っ張った。校門を抜ける時にクラスメイトが居たような気がしたけれど、本当に、どうでもよかった。

 玄関へ向かわず、人の流れから外れて前庭の木陰へ向かう。苔むしたベンチと雑草なのか、植えてある花なのかもよくわからない草花と、根っこの飛び出した、老人みたいな樹皮の、大きな樹。


 そこまで来ると、もう人の声も、何も聞こえなかった。

 かえでの手を離して、樹にせもたれ、そのままひんやりとした土に座り込んだ。

 背中越しに制服が擦れて、ざらりと嫌な音と感触をあげたけれど、それも、どうでもよかった。


「ちとせちゃん、大丈夫? どっか痛いところあるの? ねえ」


「だから、さ」


 私は顔を上げることもできず、両膝に顔をうずめてた。

 しばらく離れていたからって気まずさとか、ないんだ。

 私の恥ずかしさも、不安も、かえではストレートにぶち破ってくる。


「えっと、だから、なに?」


「………少しは、格好つけさせてよ」


 元気でやってるよ。君が居なくても私は平気なんだよ。だから心配しないで。

 そんな姿を見せたかったのに、涙と一緒にどっかへ行ってしまった。

 いつからか、私はかえでが居ないとだめになってしまった。

 欲しいのは、好きでいてくれるひとりだけ。それだけだったんだ。


「そんなのいいから、顔見せて」


「そんなのって言うな」


「久しぶりに顔をちゃんと見たいのに」


「いつも、まっすぐすぎるんだよ、かえでは」


「言いたいことを言わないと、伝わらないもん。いちいちこの前の事を気にして何も言えないうちに、ちとせちゃんが遠くに行ったら、悲しいよ」


「……うっさいなぁ」


 鼻声の掠れた声で、小さく答えた。


「怒らせちゃった」


「ちがう」


「ねえ、ちとせちゃん。カード、選んでくれてありがとう。今は、すごく嬉しいよ。ちょっとだけ怖いけど、どうしても選べなかったから。今から……そう。女子高生の自殺配信とかご一緒しませんか」


 底抜けに明るい声で、笑いながら言う彼女の言葉が、冗談なのか本気なのかも分からない。

 まあでも。そんなのどっちでもいいことだろう。

 それにひとつだけ言いたいことがまだ残っている。


「好き」


「え?」


「私はかえでのことが、好き」


「知ってるけど。私も好きだよ」


 涙は止まったけれど、やっぱり顔は上げられない。

 たぶん今、私の顔は真っ赤だろうから。

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