高校生活㉙
「わたしは不満だからね」
地元の駅についても、まだ怒ったような口調が背中を追ってくる。今日は1日、かえではこんな感じ。
「まーだ言ってる。私は大丈夫だって」
信号待ちで足を止めて、かえでを振り返る。唇を尖らせている顔が少し嬉しくて、頬が緩んだ。
「あんな連中に気を使う必要なんてないよ。なんでこっちが折れないといけないわけ? 向こうが悪いんだから叩きのめしてやればいいんだ」
前言撤回。怒りすぎ。
かえでが「しゅしゅっ」と口で言いつつ、宙に向かってシャドーボクシングを始める。めっちゃパンチ遅いし。当たっても全然痛くなさそう。
「あのね、かえで。私は別に気を遣ったわけでも折れたわけでもないんだよ。お互い理解しあえるわけがないんだから、関わらないようにしてくださいって言ったの。諦めたとか、そういうんじゃなくてこれはどうしようもない話だからさ」
「なんかちとせちゃんが大人みたいなこと言ってる」
信号が変わって歩き始めた。青葉の茂った桜並木を抜けて、住宅街へと入ると、一気に人の声が遠のいた。
かえでの家へ向かう道だ。特に約束もしてないけど、最近は寄って帰ることが自然と増えている。
「案外、すっきりしたんだよね」
「すっきりって? あれで――」
また怒り出しそうなので、先んじて声を被せた。
「結局みんな私の近くから居なくなっちゃったけどさ。失ってみると正直ほっとしてる部分も不思議とあるんだ。頑張って維持する怖さがなくなったっていうか。私の求めてた生活ってなんだったんだろうなあって、ちょっとだけ、寂しいけど」
「わたしがいるじゃん!」
「うん」
「わたしがずっと居るから」
歩いていた背中越しが温かい。かえでに抱きつかれて、足を止めた。
「分かってる。かえでが居れば、私はそれでいいよ」
「理不尽なことばっか。やなことばっか」
拗ねたように吐き捨てて、肩のあたりに彼女が顔をうずめたのか、吐息を感じた。
夏の帰り道で、お互いの熱が籠もっている。不思議と不快じゃなかった。
「かえでが怒ってくれるからすごく、救われてる。ずっとそれ任せじゃだめなんだろうけど」
「ちとせちゃん。もっと怒ればいいのに」
「怒り方って、わかんないんだよ。本当に」
いらつくことはもちろんあるけど、それとは違う。
かえでみたいに感情を顕にして、それでいてちゃんと言いたいことを言う。
殴られたら殴り返せたら、良かったのかな。なれる気がしないや。黙ってたほうが楽だし。
「頑張れちとせちゃん」
「な、なに。くすぐったいから」
さっきから頭をぐりぐりと背中に押し付けられて、くすぐったいやら恥ずかしいやら。
しれっと腰の辺りも触られてるし。
「がーんばれーよー」
「酔っ払ったおっさんかお前は! つーか人来る! そろそろ離れてよ、歩きづらいし」
「やだ。このまま帰ろう」
「無茶言わないで。離れて」
「ええー……」
……。
「かーえーでー」
漫画を書いている彼女の首に上から手を回した。
無性にくっつきたい気分だったんだ。真剣な目をしている時の彼女の顔が好きだった。
「外とのこの差」
おかしそうに、かえで顔を上げて、私の両手を掴んだ。
「外は…人に見られると嫌じゃん」
「わたしは気にしない」
「私は気にするんだよ」
「ねえ、ちとせちゃん。好きだよ。すごくすごく好き。ほら、たまにはちとせちゃんからも言ってよ」
「……す」
そういえば、自分からははっきりと言ったことがなかった。答えたことはあったけど。
口の形は出来ているのに、うまく息が入らない。だって恥ずかしいんだよ。
それに、少し怖かった。わたしたちって付き合ってるの?
それを訊ねたら、彼女はなんて答えるんだろう。
「す?」
「……髪結ってあげる。もっといろんな髪型にすればいいのに」
そう言って、体を離した。黒くてさらさらの髪を撫でた。ほのかに暖かい。
「あー! ごまかした」
「また今度ね。ずっと一緒に居るんでしょ」
「居るよ。だってわたし、ちとせちゃんが居ないとだめだもん」
「逆じゃないの?」
私がいつも守られてきた。私はかえでが居ないと、たぶん学校に行く勇気だって出ない。
「ううん。違うよ。いつか言ったけど、ちとせちゃんがわたしの生きてる理由なんだよ。好きな人がひとりは居ないと、わたしもしんどい。この世界にも価値があるんだって、思えるから」
「好きで居てくれる人って言わないあたりが、かえでらしいかも。ほんと、ストレートに言うよね」
くすりと笑い声がもれた。あくまで自分目線。ぶれないやつ。
私とは逆だ。
「うん。ちとせちゃんのこと、めっちゃ好き。だからキスも、もちろんセックスだってしたい。今めっちゃ抱きたい」
「……ちょっとはオブラートに包んで!?」
冗談めかして唇を寄せてくるかえでを躱しながら、抱きつきあって、笑いあった。
今、すごく幸せだ。だから、まだ付き合ってるなんて言葉で縛ってしまわなくてもいい。
はっきりさせなくていいよ。
この先だってずっと一緒に居るんだから。いつか勇気が出たら、私からちゃんと言おう。
好きだって。
かえでの父親から引っ越しの事を聞いたのは、翌週のことだった。
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