高校生活㉘

 誰の迷惑にもなりたくないし、誰からも嫌われたくないって思ってる。

 だけど、存在自体が疎まれた時、一体どうしたらいいんだろう。


「だからさ、ここのトイレ使わないでつってんの。着替えだって同じ更衣室とかありえないんだけど」


「普段は特別教室棟の使ってるよ。でも休み時間は間に合わないんだよ。どいてよ、そこ」


 代田達3人が、壁のように横に連なって、トイレに入れない。

 間に挟まれてばつが悪そうにしているひなたが、きょろきょろと視線をさまよわせている中、私は地団駄を踏みたい気分だった。

 おしっこがしたい。切実な問題だ。

 完全に油断してたのだ。休み時間のトイレは混むのは分かっていたし、したくなると困るからあんまり水も飲まないようにしてた。それなのに朝かえでと調子にのってコーヒー屋なんて寄ったせいだ。私の現実はちっとも変わってないのに、変に強気になっていた。


「どいてってば!」


「ちょー。こっちくんなよぉ」


 代田がにやついた声を上げる。

 彼女らを無視して、体を間に無理やりねじ込んだのだのだけど、軽く押されただけですぐに押し戻されてしまう。

 かえでを笑えない貧弱さだ。男だったら、こんな事なかったのかな。

 良いんだ。私は今女なんだから。


「邪魔しないで」


「やだね。ひなたもなんか言ってやれよ。友達だろ?」


「え……? わたし?」


 肩に手を置かれたひなたが、こっちから見ても可哀想なぐらいに震えていた。もともと気の弱い彼女だし、見るからに顔も強張っている。


「そう、ひなただよ。友達、でしょ? あいつと。あたしたちに色々教えてくれたじゃん」


 色々。色々ってなんだろう。あんまり考えたくはなかった。


「ち……」ひなたが私の目を一瞬見て、すぐに反らした。「違うよ。ちょっと、話をしてただけ。絡まれて、困ってたんだ」


「ふーん。そうなんだ。なら、文句いってやりなよ。あたしたちが守ってやるからさ」


「でも……」


 ひなたが私の目をもう一度見た。はじめは怯える子犬みたいな、助けを求める目だった。


「良いから言えよ。あたしから言って上げてもいいんだけど?」


 代田が軽くひなたの背中を押して、甲高い声で笑った。校則違反ぎりぎりの茶髪を鬱陶しそうに何度もかきあげては、ひなたを睨みおろしている。


「……文倉さんは」ひなたの目は泣きそうに笑っていた。「美人なのを鼻にかけて、いつもクールぶって、すごく嫌いだった。先輩にだって、気に入られてたし、すごく、やな、やつ。男だって、わかって、すごく……」


 一語一語、英単語でも読むみたいに彼女は言った。

 今更傷ついたりはしない。ちょっと悲しいだけだ。


「言えたじゃん、ひなた! おめでとう!」


 代田の乾いた拍手に追従して、皆が笑う。声だけ聞けば、本当に良いことがあったみたいだ。

 実際、良いことなのかな。私が敵で、あっちが正しい。わかんないやもう。


「言いたいことが終わったんなら、どいてほしいんだけど」


「どいてほしいんだけど、だって」


 声真似がすげえむかつく。

 傷ついたり、しないよ。むかつくだけだ。

 腿の横でぎゅっとスカートを握った。


「あー! ちとせちゃんが遅いと思ったら! ふざけんなよ、代田! 東雲! 柴崎! ひなた!」


 すごい音がしてドアが開いて、でっかい声がした。

 学校中に響き渡るんじゃないかってぐらい、よく通るかえでの声だ。

 実際、開けられた廊下の向こうから、何事かってこちらをチラ見する生徒が数人居る。


「ちょ、声でけえよ、国領! お前こそふざけんな!」


「ちとせちゃんはわたしのなんだけど。勝手にいじめないでくれる?」


「は、はあ? 意味わかんねーし」


「かえで。やめてよ」

 

 私が伸ばそうとした手を躱して、かえでが彼女らに詰め寄る。

 へなちょこな体躯が、威嚇する猫みたいに大きく見えた。


「くだらないことやってんじゃねーっていってんの! そんなに彼氏取られるのが嫌なら、首輪でもつけてろ、この性格ブス! 後ひなた! お前の彼氏の……なんとか先輩だって、未だにわたしにきもいライン送ってきてるからな!」


「え……」


 この声は、ひなたのものか代田のものか分からなかった。

 どちらも顔を青くして、次の瞬間には真っ赤になっていく。どちらも口の端をひくつかせて、余裕ぶった表情を浮かべようとして失敗した。そんな顔だ。


「かえで! やめてってば!」


 私の悲鳴じみた叫びに、ようやくかえでが振り返る。

 私は、人を傷つけたいわけじゃない。人から傷つけられたいわけでもない。

 言いたいのは、


「ちとせちゃん?」


「代田。聞いてよ。わ、私は……確かに昔男、だったけど、今は女だよ。いろんなところが、人と違うけど、私は、なにもしないよ。誰にも害を与えたり、同性を変な目でみることだって、ない。代田の彼氏だって、取らないし、出来るだけ、更衣室も、使わないようにする。

 私はなにも、しないよ。ただ人と違うだけ」


 なんでだろうな。傷ついたわけじゃないのに、泣きそうに鼻がつんとして、顔を上げているのだけが精一杯。体だって、ガタガタ震えて、たぶん目も真っ赤だ。

 自分で自分をえぐってるからだろうか。

 それでも、なんとか言葉を継げたのは、かえでが手を握ってくれたおかげなんだろう。


「わ、私は……学校、嫌いじゃない。みんなと同じになれないけど、それでも学校に来たいんだ。同じ場所で、生きてたいんだ。

 私のこと、理解してとか思わないよ。仲良くしてとも言わないよ。もう、溶け込みたいとも思わないよ。なにもしないから、ただそっとしておいて欲しいだけなんだ」


 あがいた結果、出来たこと。あがいても、出来ないこと。変われる部分。変われない部分。

 仲良くなれる人。なれない人。

 魔法が使えないならそろそろ認めるべきなんだ。私だって、もうすぐ大人なんだから。諦めたわけじゃないんだ。


 窓から風が吹き込んで、予鈴が鳴った。

 代田が舌打ちをして、無言でトイレを出ていくのを、慌てて他の子達も追っていく。

 ぽつんと残されて、少しだけ寂しかった。でもかえでが痛いぐらいに手を握っていてくれていて、その寂しさもすぐに忘れられる気がした。

 かえでが居たから、やっと言えた。また助けられた。

 

「ちとせちゃん――」


 怒った顔のまま、なにか言いたそうに私を見つめる彼女を手で制して、手と体を離した。


「とりあえず、トイレ。待ってて。行かないで。お願い」


 自分でもびっくりするぐらい淡々とした声が出た。

 まだ、身体の糸が張り詰めている。


「うん。待ってる」


 確実に次の授業に遅れるだろう。かえではなんのためらいも無かった。

 甘えてるよ、私は。

 結局、その後は子供みたいに泣きじゃくって、彼女にしがみついていた。


 変えたいことを一つ見つけた。

 ひとりで、文句言えるようになる。あんまり、甘えない。

 寄りかかりすぎてる。

 かえでのことが好きだから、もう少し強くならないと。

 彼女に頭を撫でられながら、最高に格好わるい姿のまま、思った。

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